評価の可能性

(パースに従って、評価の可能性を考えます)

 

1)ブリーフの固定化法

 

「ブリーフの固定化法(The fixation of belief)」で、パースは、ブリーフを固定化する方法には、(1)固執の方法、(2)権威の方法、(3)形而上学、(4)科学の方法の4つの方法があると指摘しました。

 

プリーフの固定化は、科学的な仮説の固定化、政策の固定化など、多くの選択肢を含む場合の意思決定の方法を指す言葉です。

 

複数の選択肢があった場合、その中にで優劣を決めるためには、評価が必要になります。

 

これから、4つの方法には、評価方法が含まれることがわかります。

 

2)評価の難しさ

 

評価は非常に複雑で困難なプロセスです。

 

企業は、採用面接で評価を行いますが、評価が成功しているかは不明です。

 

たとえば、評価する人間と、評価される人間の能力のレベルでは、評価する人間の方が、評価される人間より、能力が高いことが必要な条件です。

 

これは、具体例を考えればわかります。

 

環境対策を例にとります。Aさんが、Xという環境対策を提案したとします。上司のBさんが、Xという環境対策の是非を判断するとします。Bさんの生態学の理解レベルが、Aさんの生態学の理解レベルより低い場合には、どうして、Aさんが、Xという環境対策を選択したのは理解できません。つまり、理解のレベルは、「評価される側の理解のレベル<評価する側の理解のレベル」でなければ、適切な評価は困難です。

 

一方、採用面接では、面接者が優秀で、将来ライバルになるリスクがある場合には、面接官は、競争相手を排除するために不採用の評価をすることも多いと言われています。

 

3)官邸主導の歴史

 

1997年12月3日の行政改革会議の最終報告では、「戦後型行政権の問題点」を解決すべく、「総合性、戦略性を確保するという観点から、基本的に政策の企画立案や重要政策についての総合調整力の向上を目指して、官邸・内閣機能の思い切った強化を図る」ことを推奨しました。

 

これ以降、官邸主導といって、内閣が人事権を掌握しています。

 

官邸主導の意思決定を「ブリーフの固定化法」で読み解けば、その意思決定の実態は、4つの方法に分けて考えることができます。

 

(1)固執の方法

 

従来の方法を変えない意思決定です。女系天皇を認めないこと、夫婦別姓を認めないことなどが該当します。固執の方法を使っている場合には、全ての議論は無駄になります。

 

(2)権威の方法

 

ブリーフの内容ではなく、誰がいったブリーフであるかが判断基準になります。これは、忖度による意思決定になります。

 

(3)形而上学

 

形而上学は、リアルワールドとは無関係な議論です。

 

芥川賞直木賞を受賞する作品には、価値があります。しかし、フィクションの世界では、リアルワールドは問題にされません。芥川賞直木賞の選考では、リアルワールドをどこまで正確に反映しているかが問題にされることはありません。

 

政治や政策の文章でも、リアルワールドがまともに反映されていない例は多く見かけます。これは、リアルワールドとは無関係な形而上学になります。

 

官僚の霞が関文学の答弁は、リアルワールドを変化させない形而上学です。

 

霞が関文学も、芥川賞直木賞の受賞作品と同じように文学的価値はあるかも知れません。

 

しかし、文学は、リアルワールドに直接介入することのない形而上学です。意味の通じる美文を書くにはそれなりのスキルが必要です。しかし、そのスキルは、リアルワールドの問題を解決するスキルとは関係がありません。

 

筆者は、文章中心の形而上学をドキュメンタリズムと呼んでいます。

 

ドキュメンタリズムが横行すれば、リアルワールドの問題は放置されます。

 

文部科学省は、各大学に「3つの方針」を一体的に策定・公開することを義務づけています。「アドミッション・ポリシー(入学者受入れの方針)」、「カリキュラム・ポリシー(教育課程編成・実施の方針)」「ディプロマ・ポリシー(卒業認定・学位授与の方針)」です。3つを並べることで、入口から出口までの方針が明確になり、各大学の教育の方向性が可視化されると言います。 

 

これは、典型的なドキュメンタリズムです。「3つの方針」を一体的に策定・公開しても、分数のできない大学生が、分数ができるようになる訳ではありません。

 

文部科学省と審議会の政策評価は、形而上学になっています。

 

これが文部科学省が、習得主義ではなく、履修主義をとることができる理由です。

 

文部科学省は、フィンランドなどの教育を参考に、総合的な学習(探究)の時間において、「総合的な学習(探究)の時間は、変化の激しい社会に対応して、探究的な見方・考え方を働かせ、横断的・総合的な学習を行うことを通して、よりよく課題を解決し、自己の生き方を考えていくための資質・能力を育成することを目標にしていることから、これからの時代においてますます重要な役割を果たすものである」(原文のまま、日本語の主語と述語がおかしいです)としています。

 

探究学習(Inquiry-based learning、ウィキペディア英語版)では、次の様に書かれています。

 

「探求ベースの学習の哲学は、とりわけピアジェ、デューイ、ヴィゴツキーフレイレの研究など、構成主義的な学習理論にその前例があることがわかります。

(中略)

 

科学教育における探究学習

 

20世紀初頭の有名な教育哲学者であるジョン・デューイは、科学教育が若い科学的思想家を育成する方法で教えられていないという事実を最初に批判しました。デューイは、科学は暗記すべき事実を伴う主題としてではなく、プロセスや考え方として教えられるべきであると提案しました。この問題に最初に注目を集めたのはデューイでしたが、科学教育の改革の多くはジョセフ・シュワブの生涯にわたる仕事と努力に倣いました」

 

ここには、混乱があります。デューイの発言は、ジェームス、パースに遡り、ルーツはアブダプションになります。科学は因果モデルなので、アブダプションが唯一の推論ですが、帰納法演繹法の幽霊が、混在しています。

 

(4)科学の方法

 

科学の方法は、エビデンスベースの評価ですが、これが実用化されたのは、1990年代以降のEBM(根拠に基づく医療)が最初です。

 

1997年の行政改革会議の最終報告に、エビデンスの基づく政策決定が考慮されていたとは思えません。

 

4)官邸主導の評価の可能性

 

1997年から、官邸主導がスタートします。パースの「ブリーフの固定化法(The fixation of belief)」によれば、科学の方法が用いられない場合には、忖度((2)権威の方法)か、ドキュメンタリズム((3)形而上学)が採用されることになります。

 

しかし、この点は問題にされていません。



4-1) 飯尾潤氏の分析

 

 飯尾潤氏の論文の要旨は以下です。

 

 

近年、日本政府において政策論議の健全性が欠けているとされることがあるが、政策形成に本来必要なのは、民主的正統性の確保や、政策の目的・手段関係の合理性、立憲的制約への考慮、他政策との整合性確保、実施可能性などに配慮した検討がなされることである。日本における統治構造の変容に伴い、従来主流であった漸変主義に基づく相互調整型政策形成から、首相主導による政策形成への転換が生じているのに、政治家にも官僚にも旧来の行動様式が残っているために、政策決定において代替案を比較検討するなど、意識的に政策分析の要素を取り入れるなどのことが行われていない点に問題がある。とりわけ安倍内閣の官邸主導体制においては、政府内部の統一性を最重要視し、足並みの乱れと見なされがちな政策論議が表に出ることが抑制されるため、政策論議の健全性に問題が生じやすい。事態の改善のためには、政治的意思集約過程の変革とともに、官僚制が調整能力に加え、政策分析や組織管理能力を備える必要がある。

 

 

これは、筆者には、形而上学の議論に思われます。ここには、エビデンスは出てきません。ひろゆき氏の言い方を採用すれば、各自の「意見」を並べて調整することが政策論議になっています。ここには、科学のリテラシーがありません。

 

4-2)松井孝治氏の見解



官僚出身で民主党参院議員として行政改革に携わり、「内閣人事局の生みの親」の一人でもある松井孝治官房副長官慶応義塾大教授)は、自戒も込めつつ「行き過ぎた官邸主導になってしまった。見直しが必要」と次のように指摘しています。

 



菅さんは内閣人事局を、恐怖政治的に使いました。役人時代の同僚は、菅さんから「後で残ってくれ」と言われると「背筋が凍った」と話していましたね。

 

 霞が関ではみんな、実際に官邸に反発した役人の左遷と気に入られた幹部の昇進を見ているわけです。抜てきと一罰百戒の見せしめによる恐怖政治です。総理や官房長官が人事権を使うのは当然だし想定していたことですが、長官任期の長期化もあって、人事権の主導権は完全に菅長官に握られ、少々バランスが崩れました。その結果、局長レベルにとどまらず、課長や課長補佐まで「政権の意向」を模索するようになってしまった。「政権の意向にそぐわなければ、仕事ができない」という受け止めが強くなりすぎたと思います。組織コントロールとしては有効なやり方ですが、行き過ぎましたね。

 

 

これを読んで目を疑いました。

 

「法ブリーフの固定化(The fixation of belief)」によれば、客観的な評価は科学の方法以外ではできません。

 

政治家は、科学の方法が理解できていません。

 

官邸主導で、科学の方法を無視すれば、忖度((2)権威の方法)か、ドキュメンタリズム((3)形而上学)が採用されます。

 

それ以前の官僚主導は、ドキュメンタリズム((3)形而上学)でしたので、消去法を使えば、官邸主導は、忖度が主たる評価手段になることは自明です。

 

内閣人事局が、恐怖政治であるというのは、忖度が主たる評価手段になったということです。

 

これが、予測できなかったこと、科学の方法に基づかなない無駄な予算を消化する政策をごり押しする方法を「組織コントロールとしては有効なやり方」と判断するのは、科学的なリテラシーの欠如です。

 

科学の方法を使わなければ、客観的な評価はできません。

 

いくら予算をつぎこんでも、効果がでないのは、「ブリーフの固定化法」が間違っているからです。

 

科学、特に、データサイエンスのリテラシーがなければ、問題は解決できません。

 

5)まとめ

 

Diamondに、野口悠紀雄氏は、「ニューヨーク・タイムズ」(2023年6月11日)に掲載されたデイヴィッド・ストレイトフェルド記者の論考「シリコンバレーがシンギュラリティの到来に直面している」を紹介しています。(以下、筆者の要約)

 

 

「シンギュラリティ」(技術的特異点)とは、AI(⼈⼯知能)の急速な進化によって、⼈間が理解できないほど⾼度な能⼒を持つ機械が出現することを指します。



ChatGPTは完全ではないし、創造もできないけれども、もはや⼈間のレベルになっていると考えることができます。そして、幾つかの⾯では⼈間をはるかに超えています。

 

これから、ストレイトフェルド⽒は、シンギュラリティは、ChatGPTの出現によってすでに実現してしまったといいます。

 

シリコンバレーの人々は、政府は急速に進展する生成系AIの技術開発を監督するには遅すぎ、愚かすぎると考えています。Googleの元CEOエリック・シュミット氏は、「政府の中には、生成系AIを正しく理解できる人はいない。しかし、業界は、生成系AIをおおよそ正しく行うことができる」と述べました。

 

ステレイトフェルド⽒は、⽣成系AIは無限の富を⽣み出すマシンであるはずなのに、⾦持ちになっているのは、すでに⾦持ちである⼈々だけだと指摘しました。

 

 

ステレイトフェルド⽒は、⽣成系AIを使って⾦持ちになっているのは、すでに⾦持ちである⼈々だけだと指摘しました。

 

筆者は、同様に、科学の方法を使って因果モデルに基づく経済政策をしているのは、経済成長を実現して、すでに、1人たりGDPが高い(労働生産性が高い)先進国だけで、日本は、そこには、含まれていないと思います。

 

そして、ステレイトフェルド⽒が指摘しているように、科学の方法によって、「ブリーフの固定」をしていない国では、シンギュラリティから取り残されて行くと思われます。





引用文献

 

総合的な学習(探究)の時間 文部科学省

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/sougou/main14_a2.htm

 

官邸主導とは何だったのか 内閣人事局「生みの親」が語る安倍・菅政権 2021/09/27 毎日新聞 松倉佑輔

https://mainichi.jp/articles/20210927/k00/00m/010/057000c



政策の質と官僚制の役割 ―安倍内閣における「官邸主導」を例にして― 飯尾 潤     行政研究叢書 54 (0), 2-20, 2019  

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jspa/54/0/54_01/_article/-char/ja/

 

政治主導の政策展開と国会の役割 宮﨑 一徳(内閣委員会調査室) 立法と調査 2023. 6 No. 457 

https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/20230601.html

 

生成系AIがもたらす格差拡大、「シンギュラリティ時代」の政府の責任 2023/07/20 Diamond 野口悠紀雄

https://diamond.jp/articles/-/326335