(科学の時代には、権力や権威が、できることは限られています。権力者は、そのことを自覚すべきです)
1)裸の王様問題
権力者は、自分に都合のよい論理を組み立てることができます。しかし、データサイエンスは、その論理を評価できます。権力を元に、自分に都合のよい論理を押し付けることはできますが、それは、権力の及ぶ範囲に限定されます。
これは、裸の王様の問題です。
権力者は、自分が使っている論理が有効であると、周囲の人に強制的に認めさせることができます。
科学的に効果が認められた論理は、王様が着ている衣装に、防寒効果がある場合に相当します。
科学的に効果が認められない論理は、王様が着ている衣装に、防寒効果がない場合に相当します。
つまり、この場合には、王様は本当は裸なのです。
アンデルセンの童話のように、王様は権力をつかって、国民に、王様は、立派な衣装を身に着けていると言わせることができます。裸の王様の論理を押し付ける訳です。
でも、裸の王様の論理には、実際の防寒効果(科学的な裏付け)はありません。
アンデルセンの童話は、昔のことで、航空機も出てきませんので、王様は、外国に行くことはありません。
現在の王様(権力者)は、航空機がありますので、G7のように、直ぐに海外にいって、他の国の王様と会談します。
他の国の王様は、国民ではありませんので、他の王様に、裸の王様の論理を押し付けることはできません。
他の国の王様は、礼儀正しいので、日本の王様の着ている衣装がみすぼらしくても、素敵な衣装ですねと社交辞令をいいます。しかし、本心では、なぜ、日本の王様は裸なのだろうかと訝しがっているはずです。
エビデンスに基づいて科学的に政策決定をすれば、どこの国の政策も、似たようなものになります。
最近では、他の先進国と比べて、日本だけが例外的な政策がとられている場合がありますが、その場合には、裸の王様の論理になっている可能性を考えるべきです。日本だけが、失われた30年になっていますので、あちら、こちらで、裸の王様の論理が幅を効かせている可能性があります。裸の王様の論理が通れば、科学は衰退し、科学立国からは脱落します。
科学技術予算は、それなりにありますので、それから考えると、裸の王様(の論理のため)の科学を研究している研究者や学会が多くあると考えられます。「裸の王様の科学」は科学ではありませんし、体制維持を主張するだけで、「裸の王様の科学」には問題解決ができる実用的価値はありません。
2)アンデルセンにもどって
アンデルセンの童話では、悪者は、王様ではなく、ペテン師の仕立屋です。
同じように、悪いのは王様ではなく、どこかに、ペテン師がいるのかもしれません。
アンデルセンの王様は、国民の生活には、口を出しませんが、日本の王様は、国民生活にも口を出します。最近では、株式投資をするようにいっていますし、そのうち、王様と同じ衣装を着るように求めてくるかも知れません。実際に、企業の幹部には、王様への忠誠を示すために、王様と同じ衣装を身に着けた人もいます。同じ衣装を身に着けると、企業への助成金をより沢山もらうことができます。
忖度が大好きな王様が即位すると、裸の王様の論理が幅を効かせて、ペテン師を告発する人がいなくなります。
科学が、忖度の科学、裸の王様の科学になってしまえば、日本は、間違った政策をとり続けるので、途上国への坂道をとめどなく、下ることになります。これが日本の現状だと思われます。
3)裸の王様の科学の回避
「裸の王様の科学の回避方法」は、重要な論点です。本書では、この問題を詳細に論じますが、ここでは、論点の入り口を覗いてみます。
裸の王様の科学を生み出す原動力は、次の3条件だと考えます。
(1)帰納法を用いる
(2)経験科学である
(3)実験ができない
政治学の世界では、「(1)帰納法を用いる」ことには、現在の体制を是認するバイアスがあります。絶対王政時代に、政治の現状を帰納的にまとめれば、王様は正しいという王権神授説になってしまいます。社会契約論や民主主義は、帰納法ではなく、ビジョンがないと出てきません。問題解決に役に立つのはビジョンであって、帰納法で検証される過去のルールではありません。
(1)(2)(3)をあわせれば、ヒストリアンの視点になります。
科学を、「裸の王様の科学」に閉じ込めるために、ヒストリアンの視点が強要されています。
よく使われるのは「前例がない」という指摘です。これは、「反体制になるリスクがあるから、中止しろ」という圧力です。「帰納法は科学的に無効な手法である」ことが間違いの原因です。
「帰納法は科学的に無効な手法である」という命題は自明です。
「極めて限定された条件下においてのみ、帰納法は科学的に有効な手法である」と言い換えることもできます。
「帰納法は科学的に無効な手法である」という命題を理解することが、裸の王様の科学の回避のスタートになりますので、この点を後で論じます。
実は、「帰納法は科学的に無効な手法である」ことは、古くからわかっていました。しかし、代替手段がないために利用され続けてきた歴史があります。
データサイエンスは、この歴史を書き換えています。
つまり、「裸の王様の科学の回避方法」は、データサイエンスの導入に繋がります。
そして、これは、権威の失墜に繋がるので、アンシャンレジームが起こっていて、DXが、骨抜きにされています。