2つの政策ベクトルと形而上学

1)2つのベクトル

 

2つの政策ベクトルとは工業化の政策ベクトルと情報化の政策ベクトルです。

 

工業化の政策ベクトルは、工業製品を作る企業の工場の建設に政府は補助金を出し、官僚は、その企業に天下りします。政治家は、企業または、企業の労働組合を支援団体として、選挙に当選します。工場が医師会などの他のグループに入れ替わることはありますが、既存の産業グループの支援団体に対して、与党の政治家が利益誘導するしくみは共通しています。

 

工業化の政策ベクトルが有効に機能する前提条件は次の2つです。

 

(S1)産業構造がかわらない。

 

(S2)労働生産性の差が小さく、数の論理が通用する。

 

選挙は、原則一人一票です。農村部と都市部で、当選に必要な有権者数に3倍以上の差がついていますが、これは例外であって、分布全体でみれば、原則一人一票です。

 

工業化社会では、機械をつかうことで、労働生産性があがります。しかし、仕事は、肉体労働の延長にあります。労働生産性の違いは最大でも3倍以内です。肉体を鍛えた人と普通の人がモノを運ぶ場合の能力の違いは3倍程度です。

 

速足であるけば毎時10㎞の速度で移動できます。市内の自動車の制限速度は毎時60㎞ですが、信号機があって、実際の平均速度は毎時30km程度です。これも、3倍の差です。

 

情報化の政策ベクトルとは、社会システムをデジタル社会に対応するように組み替える政策です。

 

情報化の政策ベクトルを考えます。

 

(T1)産業構造が変わります。

 

(T2)労働生産性の差は大きく、数の論理は通用しません。

 

例えば、自動運転のソフトウェアが開発できれば、1つのソフトウェアで、何千万人ものドライバーの代替ができます。これは、究極の例ですが、既に、GAFAMなどのビックテックが非常に高い利益率をあげている理由は、高い生産性の違いにあります。

 

政府は、今後ソフトウェアエンジニアが不足するといっていますが、その論理は、工業化の政策ベクトルにそっています。

 

実際には、インドでは、生成AIによるソフトウェアエンジニアの雇用の減少が起こっています。

 

政府は、リスキリングを進め、補助金をばら撒いています。企業は、配置転換でリスキリングを進めています。しかし、筆者は、お手軽なリスキリングした人の8割は、生産性が低く、失業すると考えます。

 

ソフトウェア工学は、すさまじい速度で発展しています。その速度に遅れないでついていくには、ギフテッドに近い能力が必要です。お手軽なリスキリングでは、生成AIにすら勝てず、問題になりません。

 

つまり、今後ソフトウェアエンジニアが不足することはありませせん。高度人材のソフトウェアエンジニアは不足して取り合いになりますが、生成AIにすら勝てないソフトウェアエンジニアは余ります。

 

マイナンバーカードを作るレベルのソフトウェアエンジニアは余ります。

 

情報化の政策ベクトルでは、民主主義の再定義が必要になると思います。ギフテッドに近い能力をもったエンジニアに働いてもらうことは必要です。現在のこうした能力のある若い人が能力を発揮できないと社会は停滞してしまいます。

 

ギフテッドに近い能力をもったエンジニアは、ジョブ型雇用であれば、高い収入をえることができます。だからといって、ギフテッドに近い能力をもったエンジニアを、強欲資本主義であるとして、活動を阻害すれば、皆が貧しくなります。

 

ビル・ゲーツは、大金を稼ぎましたが、その多くを寄付しています。ギフテッドに近い能力をもったエンジニアで、オープンソフトで、無収入のボランティアで活動している人もいます。こうした活動は、ジョブ型雇用で、1年のうち数か月だけ食べるために働けば、あとは、社会貢献ができるという自由度があることに由来しています。

 

情報化の政策ベクトルは、レジームシフトを含むので、市場経済にまかせることになります。

 

ジームシフトが起こると、ベンチャー企業のように、失敗の確率は高くなります。つまり、政策ベクトルが方向を決めるのではなく、失敗しても、何度もやり直せる社会システムが必要になります。

 

前例主義の思考パターンでは、変化に取り残されるため、ほぼ100%失敗します。

 

他の人の成功を見てから、成功を真似するのでは、間に合わないのです。

 

どの分野が伸びるかを政府が決定することはできません。

 

つまり、情報化の政策ベクトルでは、チャレンジを容易にする規制緩和と、失敗しても最低限食べていける社会保障のようなセーフティネットワークが必要になります。

 

2)形而上学

 

1877年に、パースは「ブリーフの固定化法(The fixation of belief)」を出版し、その中で、ブリーフの固定化法には、4つの固執の方法、権威の方法、形而上学、科学の方法の中で、科学の方法を使うべきであると論じました。

 

これは、論理的な検討には、科学の方法を使わないと、成果(アウトカムズ)が得られないことを主張しています。



2023年6月7日の現代ビジネスで、加谷 珪一氏は、「日本社会の構造は典型的な前近代的共同体(いわゆるゲマインシャフト)である」といい、土居健郎氏の『「甘え」の構造』を根拠の一つとして引用しています。

ゲマインシャフトは、「地縁、血縁などにより自然発生した社会集団」のことで、権威の方法に相当します。

 

あるいは、政治学者の丸山眞男が、「近代国家においては個人の内面と外面的な行動は切り離されており、本人がどう思ったかではなく、どう行動し、どう発言したかによってのみ評価・判断されるべき」といった近代社会の原則を紹介しています。

 

「本人がどう思ったか」は、形而上学です。

 

「どう行動し、どう発言したか」は、エビデンスに基づく科学の方法です。

 

したがって、加谷 珪一氏の議論は、パースの「ブリーフの固定化法」の議論の一部です。

 

土居健郎氏の『「甘え」の構造』のような日本人の特殊性を持ち出す必要はなく、1877年のアメリカでは、広く見られた現象であり、アメリカ社会は、プラグマティズムによって、この問題を解消してきたことになります。

 

3)論点の整理

 

工業化の政策ベクトルはもはや有効ではなく、情報化の政策ベクトルがに切り替える必要があるという基本的視点については、日本は、DXが遅れているという認識のように共通理解が出来ていると思わます。

 

問題は、どのような手段によって、ベクトルを切り替えるか、その検討は、どのようなフラームワークで行われる必要があるかという検討手順に関する共通理解です。

 

情報化の政策ベクトルは、ベクトルという名前がふさわしくないように、方向性はありません。

 

政府は、IC工場の建設に膨大な補助金を投入しています。しかし、その補助金に効果があったというエビデンスはありません。現実問題として、戦闘機の製造のように、企業が作ったものを100%政府が買い上げる場合を除けば、補助金の効果は限定的です。IC工場に必要な投資額は、膨大で、政府の補助でまかなえる金額ではありません。政策の優先順位としては、規制緩和など他にできることが多くあります。

 

IC工場の補助金を投入する論理は、欧米が補助金を投入しているからというものと思われます。これは、典型的な前例主義で、科学的には、間違った方法です。雇用形態、ベンチャー企業の数とポテンシャル、製造したICの国内マーケットなどの条件が、欧米と日本では全く異なります。電気代ひとつをとっても国によって大きな差があります。

 

ですから、前例主義は、非科学的でほぼ必ず失敗します。

 

4)2つのベクトルの調整の可能性

 

工業化の政策ベクトルと情報化の政策ベクトルは、明らかにずれています。

 

論点は、ズレを調整する方法を認めるか否かにかかわります。

 

たとえば、輸出製品を作っているモノつくり企業が国際競争力がなくなった場合、競争力を取り戻す方法は、次の2つです。

 

(S1)円安や補助金をもとに、競争力を取り戻す。

 

(S2)新しい情報技術をつかった企業に組み替える、

 

(S2)は企業全体をスクラップするのか、企業の一部門をスクラップするのかで、みかけはことなりますが、スクラップをしてモノづくりから、情報産業で食べ行く点は、共通しています。

(S1)は、工業化の政策ベクトルに相当します。

 

(S2)は、情報化の政策ベクトルに相当します。

 

過去のエビデンスをみれば、(S1)と(S2)を同時に実現した例はありません。

 

これは、認知バイアスの制約かもしれませんが、政策ベクトルは、1つしか選択できないと解釈することもできます。

 

政府は、DXを促進すると言います。デジタル庁は、そのために機能するといいます。

 

これは、工業化の政策ベクトルを情報化の政策ベクトルにすり合わせると言っているように聞こえます。

 

本当にそのようなことは可能でしょうか。

 

鉄のトライアイグルは、工業化の政策ベクトルの上に構成されています。

 

これは、前例主義です。欧米先進国の科学技術をコピーして、真似して追いつく方法です。

 

追いつく対象がモノであれば、分解してリバースすれば、わかります。

 

設計図があれば、わかります。

 

しかし、ソフトウェアは分解できません。

 

ソフトウェアを理解できるのは、高度人材だけです。

 

ソースコードを公開しても、理解できる人は限られています。

 

むしろ、公開されたソースコードに対するレスポンスをみれば、理解度が直ぐに判断できます。

 

最近では、技術の流出を防ぐための法案がつくられています。

 

こうした法案は、工業化の政策ベクトルを反映しています。

 

特殊材料のようなすり合わせの世界では、配合比率が重要で、こうした技術流出を防ぐ法案も有効と思われます。

 

しかし、情報化の政策ベクトルでは、第1に、高度人材に働いてもらわないとダメです。

 

鉄のトライアングルが、工業化の政策ベクトルに依存していれば、情報化の政策ベクトルにシフトすることは利益を失うことになるので、実現しません。

 

簡単に言えば、DXが進まない理由は、DXが進むと、利益を失う人がいて、DXを阻止しているからです。

 

表向きは、DXに反対すると批判されますので、形式的には、情報化の政策ベクトルに切り替えるふりをします。しかし、これは形而上学です。

 

例えば、文部科学省は、ITをつかって、エビデンスに基づく教育をする補助事業を進めています。

 

しかし、一方では、履修主義を取り下げていません。

 

つまり、ここには、向きの異なった2つのベクトルがあります。

 

習得主義であれば、ITのエビデンスの利用方法は明快です。

 

しかし、履修主義では、矛盾が生じます。

 

2つのベクトルの調整のテーマは筆者の頭の中でも整理しきれていません。

 

ただ、このすり合わせの部分に、問題の本質があることは理解していただけると思います。

 

引用文献

 

The fixation of belief

 

https://www.bocc.ubi.pt/pag/peirce-charles-fixation-belief.pdf



日本人はなぜ「世襲議員」に投票してしまうのか…無自覚に抱く「甘え」の正体 2023/06/07 現代ビジネス 加谷 珪一

https://gendai.media/articles/-/111292