いとし藤の写真(11)

今回のテーマは、「夏とひまわり」です。

 

「ひまわり」は、「ひまわり」を主題とした写真です。

 

「夏」の写真に、「ひまわり」が写っているのは、「ひまわり」は、「夏」という隠れた主題のシンボルであるということです。

 

1)オブジェクトとインスタンス

 

オブジェクトとインスタンスでいえば、「夏」はオブジェクトで、「ひまわり」がインスタンスです。

 

多くの写真で、感動を与えるのは、オブジェクトで、インスタンスではありません。

 

風景写真を見て、郷愁をさそうのは、その写真が、昔見た風景(インスタンス)を想起させるからです。

 

写真のボケに効果があるのは、インスタンスをオブジェクトに変換するためです。

 

親子の写真を見て、「愛情」を感じるのは、親子のインスタンスに、「愛情」というオブジェクトを見るからです。

 

写真の親子が、有名人であれば、注意はそちらにいってしまい、「愛情」というオブジェクトが想起されません。

 

2)インスタンス重視の写真

 

投稿写真をみれば、スマホのカメラが普及しましたので、インスタンスとしての写真は、既に投稿しつくされています。つまり、インスタンスに注目するのであれば、次のような特徴が必要です。

 

(S1)対象が特異である。

撮り鉄が対象にする列車が典型です。

 

 

(S2)機材が特殊である。

超望遠レンズ、超広角レンズ、超マクロレンスを使えば、今まで見たことがない写真が撮れます。

 

インスタンス重視の写真の正否は分かり易いですが、時間とコストがかかります。

 

なので、筆者は、今のところ、インスタンス重視の写真には、深入りしないことにしています。

 

2)オブジェクト重視の写真

 

オブジェクト重視の写真であれば、既に、投稿された写真と重複する可能性は低くなります。なぜなら、写っているインスタンスが同じであることは問題にならないからです。

 

ただし、写真では、強調したいオブジェクトが識別できる必要があります。

 

つまり、撮影者の意図のない写真は、ダメです。

 

ここでの、問題点は、カメラはオブジェクトを写すようにできていないことです。

 

なお、生成AIの写真がオブジェクトを合成することは難しいと思います。

 

それは、生成AIには、オブジェクトとインスタンスの区別がないからです。

 

将来、生成AIが、インスタンスではなく、オブジェクトを合成できるようになれば、カメラマンは、ほぼ完全に失業します。

 

さて、話をもどします。

 

カメラは、フレームの中央にある物体にピントを合わせます。

 

最近のオートフォーカスは、少しは改善されていますが、「フレームの中央にある物体にピント」という基本は大きく変わってはいません。

 

つまり、カメラは、そのまま撮影すれば、日の丸構図の写真を撮影するようにできています。

 

日の丸構図はダメと言われる理由は、ここにあります。

 

カメラは日の丸構図を撮影する機械です。

 

注意しないと、構図はすべて、日の丸構図になります。

 

そこで、3分割構図をとることが勧められます。

 

ただし、3分割構図で、オートフォーカスするカメラはありません。

 

そこで、シャッターを半押しした後で、フレームをずらすか、後で、トリミングすることになります。

 

犬が散歩している写真では、撮影者も移動しているので、後で、トリミングするしか方法がありません。カメラは、片手で撮影できる小型である必要があります。

この場合、ほぼ100%の写真にトリミング処理をします。フィルム時代では、考えられなかった撮影法ですが、特に難しいことはありません。

 

さて、撮影者にオブジェクトの意図のある写真とは何かが問題になります。

 

(S1)モノではなく、コトを撮影する

 

第1の方法は、「モノではなく、コトを撮影する」方法です。

 

紅茶の写真には、ティーカップカップに入った紅茶が写っています。

 

これはモノ(インスタンス)です。

 

これをティタイムというコト(オブジェクト)に切りかえます。

 

ポットから、カップに注がれる紅茶であったり、カップにかかっている指が見える写真であれば、モノの写真が、コトの写真に変化します。

 

観光地に、犬連れでいった場合を考えます。観光地が大仏であれば、モノの写真は、大仏だけが写っていればよいことになります。コトの写真では、大仏と犬が写っている必要があります。

 

カメラは、フレーム内の2つの異なる点に焦点を合わせるようにできていませんので、これは、非常に難しいです。

 

絞って、被写界深度をとれば、大仏も犬もある程度ピントがあいます。しかし、犬の写真は、エッジがたったきつい表情になってしまいます。

 

絞りを開けて、柔らかい犬の表情を優先すれば、背景の大仏はぼけてしまいます。シリーズ写真の場合には、、背景の大仏がぼけた写真と、大仏にピントがあった写真を並べると、実際に、観光旅行にいったイメージに近くなります。

 

筆者は、シリーズ写真が重要だと考えますが、それは、少数派です。

 

スマホは前後のカメラをつかって、合成撮影ができます。同じように、犬の写真と大仏の写真を別々にとって合成することもできます。ただし、不自然になります。

 

昔のハリウッド映画では、スタジオで、背景に、現地の風景を投影して、撮影していました。これは、フィルム感度の限界があるので、ライティングできない現地の風景を取り入れる合理的な方法でした。現在では、映画では、画像合成を使っています。

 

同様に、静止画でも、合成でよいのかも知れません。ただ、2つの対象が、現実にあり得ないほど、クリアーに写っていれば不自然になります。

 

スタジオ撮影中心のカメラマンは、隅々まで、クリアーでない写真は、許容できないと思います。

 

一方、ライティングのできないフィールド写真中心のカメラマンは、隅々まで、クリアーである写真は、過度に加工しすぎていると考えます。見えないものは、写っているべきではないと考えます。

 

自撮り写真、マスコットをいれた写真、人物の背中が写っている写真は、いずれも、モノをコトに変化する試みです。

 

(S2)モノを放棄する

 

印象派の画家は、モノを拒否して、絵画は、色と明暗のパターンにすぎないと考えました。

 

写真も、色と明暗のパターンにすぎないと考えることができます。

 

構図についていえば、伝統的な風景画の近景、中景、遠景といったインスタンス中心の構図概念を放棄することになります。

 

構図は、空間レイアウトの間を反映すればよいことになります。

 

ミニマリストの写真も背景のモノの放棄になります。

 

流れとしては、この方向でよいと考えます。

 

問題は、カメラが歴史的に、インスタンスを表現する機械であるとみなされてきた点にあります。

 

証拠写真という表現には、写真は、インスタンスを反映しているという期待があります。

 

印画紙に写っているものは、色と明暗のパターンにすぎないのですが、世間は、そのように解釈してはくれません。

 

「いとし藤」は、藤の花を題材ししたパターンです。そこには、パターンの変化を楽しむ美意識があります。

 

主題の藤は、パターン作成のヒントにすぎません。

 

葉の写真を撮影して、加工すれば、唐草模様をつくることができます。

 

ラッピングペーパーのデザインであれば、これで問題はないと考えます。

 

投稿写真サイトでは、インデックスを付けます。これは基本的に、インスタンスです。

 

「いとし藤」の写真は、写真から、モノ(主題、インスタンス)を排除します。

 

写真投稿サイトの掲載基準には、ピントがあっていることが条件になっています。

 

これは、主題のモノ(インスタンス)にピントがあっていることを意味します。

 

つまり、オブジェクトを考えていても、インスタンスとオブジェクトの2重構造を前提にしているように思われます。

 

筆者が考えている「いとし藤」の写真では、カメラはパターンジェネレータです。

 

カメラを対象に向けて、シャッターを押すと、モニターには、カメラ内現像でできたパターンが、唐草模様のように表示される状態が理想です。

 

こうして撮影した唐草模様の中から、一番美しい唐草模様を抽出するのが写真選択のプロセスです。イスラム美術の美意識に近いかも知れません。

 

どうも、写真投稿サイトでは、「いとし藤」の写真は、掲載拒否にあいそうです。

 

「いとし藤」の写真は、撮影とは何かを見直す、良い方法なので、検討する価値はあります。

 

しかし、掲載される写真を撮影するには、モノ写真のレベルに止めるべきと思われます。