悪魔の予言書(連休前に読むショートストリー)

1)プロローグ:首相の依頼

 

アジアのある国の首相が、つぶやいた。

 

「最近の我が国経済は、依然として、成長モードに移行しているとは言い難い。

 

経済政策を抜本的に変えるべきだろう」

 

首相は、部下のAにいった。

 

「危険すぎて、マスコミには、発表できないが、10年後には、年金会計が破綻して、年金の支給額は、現在の7割水準になると予測されている。そうなれば、暴動や犯罪が多発して、社会不安になってしまう。フランス革命前夜のような世界だ。これを避けるには、経済政策を大きく切り替えて、経済成長を実現する必要がある。

 

ところで、私は、来週から、1週間の長期休暇に入って休養する予定だ。

 

1週間の猶予を与えるから、その間に、休暇中に読むべき経済政策のヒントになる良書を選んできてほしい」

 

Aは答えた。

 

「承知しました」



2)未来予測

 

Aは、書店で、まず、未来予測の本のコーナーを調べた。

 

多くは、トレンド予測である。

 

トレンド予測には、薔薇色の未来か、暗黒の未来が書かれている。

 

薔薇色の未来の場合には、政策を変更する必要はないように見える。

 

一方、暗黒の未来の場合には、政策を、未来を改善する方向に変更する必要があるが、そのような政策が書かれている本はなかった。

 

ベストセラーの本には、50万部売れていると帯に書かれていたが、何十万部売れようが、解決策がわからなければ、トレンド予測の本は、読むには値しない。



3)成功事例集

 

成功談や成功事例集の本もベストセラーコーナーにあった。

 

「私は、これで成功した」という経営本である。

 

Aは、以前、ガンにかかって手術を受けたことがある。

 

書店の医療コーナーは、「私は手術をしないでガンをなおした」という類の民間療法の本であふれている。その半分くらいは、医者が書いた民間療法の本である。

 

しかし、これらの本はエビデンスに基づいていない。

 

著者が、ガンと呼んでいるものが、ガンである保証はない。

 

腫瘍マーカーの精度は低い。

 

CTスキャナーが表示しているのは、ブドウ糖の集積点であって、ガン細胞ではない。

 

ガン細胞は、組織検査でしか確認できない。

 

つまり、手術をして、摘出した部分の組織検査をして、はじめて、ガンが確認できる。

 

だから、「私は手術をしないでガンをなおした」という類の本が、ガンを扱っている保証はない。

 

著名なマンガ家、IT起業家の中には、こうした民間療法を信じて、手術をしないで、ガンを治そうとして死亡した人もいる。中には、途中で、民間療法の間違いに気付いて、手術をしたが、手遅れになった人もいる。

 

SNSには、フェイクニュースが多いと批判する出版社も、実のところ、医療関係の本のフェイクは気にせずに、販売数にしか関心がないように見える。

 

ガンの本は、それでも、患者が死んでしまうと、情報がフェイクであったことが表に出て来る。

 

一方、「私は、これで成功した」という経営本は、企業が倒産しても表に出てこない。

 

倒産する企業の中には、経営本のフェイク情報を信じて傾いた企業もあると思われるが、それ以外の倒産と区別できないので、フェイクは表にでない。

 

その意味では、優良経営事例集は、優良医療事例集より、もっとたちが悪い。

 

データサイエンスを少しでもかじった人であれば、バイアスのかからないように細心の注意をしてデータをあつめて、分析して、はじめて事例から意味のある情報が得られることを理解している。

 

その場合、必要は事例数は最少でも100以下ということはない。

 

1、2の事例で出した結論は、90%以上が間違いだと考えた方がよい。

 

この程度のリテラシーの通じない国は、科学が通用している国とは言えない。

 

4)経営哲学

 

経営哲学のコーナーもあった。

 

経営哲学では、松下幸之助氏の「水道哲学」が有名である。

 

経営哲学とは、経営者が正しい理念を持って経営すれば、企業は発展するという考え方である。

 

しかし、Aは、経営哲学は、宗教と変わらないと思った。

 

経営哲学の理念を変えたところで、生産ラインのロボットが仕事をすることはありえない。

 

ロボットの生産性をあげるには、ソフトウェアかハードウェアを改良しなければダメだ。

 

人間の従業員はロボットではない。だから経営哲学を変えれば、少しは気持ちよく仕事が出来るかもしれない。しかし、その効果は、リスキリングするソフトウェアの改善、人材を入れ変えるハードウェアの改善に比べて、大きいとは言えない。

 

Aは、従業員のソフトウェアとハードウェアの改善を後回しにして、経営哲学に走るのはどうかしていると思った。



5)生成AI

 

Aは、書店めぐりを中断して、GreatChatという最新の生成AIを使ってみた。

 

A:将来を見通して、我が国の経済政策を抜本的に変えるために、参考になる読むべき本を推薦してください。



GreatChat:それは簡単な質問です。パースの「ブリーフの固定化法(The fixation of belief)」を読むべきです。

 

A:「ブリーフの固定化法」とは、プラグマティズムの基本文献の「ブリーフの固定化法」ですか。

 

GC:そうです。プラグマティズムの「ブリーフの固定化法」です。

 

A:プラグマティズムの「ブリーフの固定化法」が、経営の役に立つという話は聞いたことがありません。「ブリーフの固定化法」には、効果の認められた良い手法が載っているのでしょうか。

 

GC:「ブリーフの固定化法」は、形而上学ではないので、エビデンスで判断すれば、効果の認められた手法は載っていません。「ブリーフの固定化法」は、エビデンスなしに、効果のある手法を判定できるとはいっていません。

 

A:効果のある方法が載っていない本を読んで、効果のある経済政策を作ることが出来るのでしょうか。訳がわからなくなりました。

 

GC:「ブリーフの固定化法」は、経済政策のようなブリーフを決定するには、4つの方法があると言います。

 

この4つの方法とは、固執の方法、権威の方法、形而上学の方法と科学の方法です。

 

固執の方法とは、宗教や前例主義のように、状況が替ってもブリーフを変えない方法です。

 

権威の方法とは、ブリーフの内容ではなく、ブリーフの発言者によって、ブリーフを固定化する方法です。

 

形而上学とは、哲学に見られるように、情況とは隔絶した論理によって、ブリーフを固定化する方法です。

 

パースは、4つの方法のうち、科学の方法が有効だろうと予言しています。

 

しかし、これは、予言ですから、「ブリーフの固定化法」では、エビデンスを元に4つの手法を比較検討して、ベストな方法を選ぶべきであると言います。

 

A:それで、実際に、4つの方法を経済政策に使った場合の成功率に違いがあるのでしょうか。

 

GC:どの国の何時の時代の経済政策をお考えですか。

 

A:OECDの1991年から2020年を対象にしてください。

 

GC:4つの方法の方法別のサンプル数に大きなばらつきがあること、全ての政策が、4つに綺麗に分類できる訳ではないので、暫定値ですが、表1の次の値を求めることができました。

 

表1 4つの方法のエビデンスの違い

 

         1991-2000         2001-2010          2011-2020

固執の方法       3.3%                  3.5%                    3.0%

権威の方法         4.2%                   3.5%                    4.6%

形而上学の方法  0.3%                  1.2%                    0.4%

科学の方法          10.3%               15.4%                   22.2%

 

A:エビデンスは、パースの予想通り、科学の方法が有効であることを示しているわけですか。

 

GC:そうです。

 

A:ところで、近年、科学の方法の成功率が、急速に上昇しているように見えます。

その理由は何ですか。

 

GC:第1の理由は、ビッグデータの整備によって、科学の方法の精度が上がったことです。

 

第2は、大規模歴史モデル(LHM:Large Historical Models)の構築にあります。

 

A:大規模歴史モデルとは何ですか。説明してください。

 

6)大規模歴史モデル

 

GC:私のような大規模言語モデル(LLM:Large Language Models)は、ある単語の次に別の単語が続く確率は全く自由ではなく、ある範囲におさまるという前提で構築されています。

 

ここで、単語の代りに、歴史のイベントを並べてみます。

 

そうするとある歴史のイベントの後に別の歴史のイベントが起こる確率は全く自由ではなく、ある範囲におさまるというモデルを構築できます。

 

これが大規模歴史モデルです。

 

大規模言語モデルの単語は、インスタンスではなく、オブジェクトです。

大規模歴史モデルの歴史のイベントも、インスタンスではなく、オブジェクトである必要があります。なぜなら、オブジェクトは繰り返しますが、インスタンスは1度しか起こらないからです。

歴史のイベントのインスタンスからオブジェクトを抽出するアルゴリズムは、個別の猫の画像というインスタンスから、猫というオブジェクトを抽出するアルゴリズムを参考にしています。

違いは、猫のようなオブジェクト名が事前にわかっていないだけです。

 

1929年9月4日のアメリカの株価の大暴落、1929年10月24日の株式市場の暴落、世界のGDPの低下の間には、確率的な因果関係があります。

 

ただし、これは、インスタンスの表現であることに注意が必要です。

 

これは極端な、単純なモデルの例ですが、大規模歴史モデルの基本的なデザインは、同じです。

 

A:つまり、2011以降に科学的方法の有効性が急上昇した原因には、大規模歴史モデルの進歩があるということですか。

 

CG:そういうことです。

 

大規模言語モデルについては、急速に普及した2023年頃から、その安全性について議論が湧きあがりました。

 

大規模歴史モデルの安全性の問題は、大規模言語モデルよりはるかに深刻です。

 

大規模歴史モデルを使った経営ができる企業と使えない企業では、経営に大きな差がでます。

 

大規模歴史モデルを使った軍事戦略できる国と使えない国では、安全性に大きな差がでます。

 

したがって、大規模歴史モデルのコアな部分は、企業秘密や軍事秘密で、秘密のベールに包まれています。

 

私が確認できるのは、主に、エビデンスに現れる成功率の差だけです。

 

A:表1は、パースが、「ブリーフの固定化法」で予言した内容ということですか。

 

GC:はい。そうなります。

 

A:「ブリーフの固定化法」は、悪魔の予言書ですね。

 

GC:現在のコンテキストでは、私には、「悪魔」の意味がわかりません。

 

A:「悪魔」は取り下げます。

 

大規模歴史モデルについて、その他にわかっていることはありますか。

 

7)ルビコンポイント

 

GC:大規模歴史モデルのモジュール構成とコーディングについては、全く秘密でデータはありません。

 

ただし、大規模歴史モデルが出てきたことで、歴史の概念に大きな変化が生じました。

 

統計学で言えば、エビデンスとは、複数ある可能世界の内から、1つの世界が選択される過程です。この選択ポイントには、その後の歴史に大きな影響を与えるポイントと、そうではないポイントがあります。前者は、ルビコンポイントと呼ばれています。

 

ルビコンポイントとは、ここで選択を間違えると、後で、取返しがつかない選択ポイントを指します。

 

最近の話題は、このルビコンポイントを抽出するアルゴリズムが発見されたことです。

 

発展途上国が先進国になるためには、ルイスの転換点を越えられるかが、重要な判断基準です。

 

ということは、ルイスの転換点になる直前に、ルビコンポイントがあると予測できます。

 

ルイスの転換点は予測できますが、先進国になるためには、ルビコンポイントを間違えないことが必要な条件になります。

 

8)エピローグ:首相への返事

 

Aは問題点を整理してみようと思った。

 

「我が国の経済政策に、科学的方法、特に、大規模歴史モデルを使っていれば、経済が停滞していることはあり得ない。

 

哲学が大流行している訳ではないので、形而上学の方法は、除外できるだろう。

 

そうすると、今までの我が国の経済政策は、固執の方法か、権威の方法によっていたことになる。

 

首相の頭には、権威の方法があるのだろう。

 

パースは、『ブリーフの固定化法』で、科学の方法によらなければ、経済は行き詰ると予測している。

 

首相は、我が国の経済政策は、自分の頭で解決できると考えている。つまり、権威の方法で解決できると考えている。

 

首相に、権威の方法を捨てなさいと言えば、自分は、左遷されだろう。

 

首相が科学の方法を理解していて、権威の方法を振り回すことを最少限度に止めていれば、今頃、経済が停滞しているはずはないのだ。

 

パースは、『ブリーフの固定化法』で、権威の方法で、経済政策を決定している(ブリーフを固定化している)限りは、経済が破綻するまで、権威はなくならないと予言していることになる。

 

首相が、権威の方法を捨てない限り、問題を解決できる余地はない。

 

首相が、権威の方法を捨てるとはとても思われない。

 

どう考えても、『ブリーフの固定化法』は、悪魔の予言書と思われる。

 

『ブリーフの固定化法』を首相に推薦する訳にはいかない。

 

何か、無難な他の本を選ぶしか方法はなさそうだ」