(19)弱形式の問題とリスキリング
(Q:弱形式の問題の問題点を指摘できますか)
1)弱形式の問題
弱形式の問題の取り扱いが、ソリューション・デザインのコアになります。
その理由は、弱形式の問題は、人的なエネルギーを消耗するだけで、効果が極めて限定的で、解決を遅らせることで、問題解決をより困難にしてしまうからです。
以前に書いた、弱形式と強形式の定義を引用します。
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「非常にゆっくり問題解決」をする、あるいは、「問題解決をするふりをして、時間稼ぎ」をする(弱形式の問題解決)ことは、問題解決ではありません。
このような弱形式の問題解決がなされた場合、その成果が出るまでの時間の猶予が与えられたと解釈されることがあります。しかし、弱形式の問題解決は、時間稼ぎであって、本来解決すべき問題を放置して、解決をより困難にしてしまいます。
ですから、弱形式の問題解決は、問題を解決するのではなく、問題をこじらせて、解決困難にする手段であると評価しなけれなりません。
一方、問題解決までにかかる時間が必要と想定される期間内に収まっている問題解決を強形式の問題解決と呼ぶことにします。
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ソリューション・デザインの格率は、以下です。
「問題は、弱形式を避けて、強形式で解かれなければならない」
日本人の高度人材の流出が止まりません。
春闘の賃上げは、弱形式の問題解決で、高度人材の流出問題の解決を困難にします。
「弱形式を避けて、強形式で解く」ことがポイントになります。
2)問題解決のプロセス
パースに順次で、問題解決のプロセスを分類すれば、次のようになります。
(1)問題発見
(2)部品交換
(3)弱形式の問題解決
(4)強形式の問題解決
T1)問題発見
故障の原因がどこにあるのか、問題点は何かを分析します。
この時点では、症候群に留まらないように注意する必要があります。
例えば、人口は、出生率と死亡率の差です。
人口減少という問題発見は、症候群のレベルにとどまっています。
ロケットで言えば、発射しなかったことは問題ではなく、症候群です。発射しなかった症候群を特定の問題に分解する必要があります。
この時に、問題は、故障した部品と評価するか、部品の故障を事前に排除できなかった点検システムにあったと考えるのかで、その後の対応が変わります。
T2)部品交換
一番簡単な問題解決の方法です。
言い換えれば、部品交換で、問題解決ができない場合には、「問題発見」アプローチは、有効ではないと言えます。
T3)弱形式の問題解決
効果が限定的、効果の発揮する速度が遅い、全体のシステムを無視した部分改良にとどまる方法です。この方法は、時間稼ぎにしかなりません。
T4)強形式の問題解決
これは、全体のエコシステムの一部として問題をとらえて解決する方法です。
イーロン・マスク氏のビジョン発言は、大風呂敷と批判されますが、「全体のエコシステムの一部として問題をとらえて解決」する視点ですので、強形式の問題解決になります。
3)弱形式の問題解決の問題点
人文的文化からみれば、弱形式の問題解決には問題点がないとおもわれるかも知れません。
しかし、人文的文化には、バイアスがあります。
学生は、小学生時代から、偉人の伝記を読まされます。
偉人の伝記は大概、大変な努力をして成功したというストーリーになっています。
しかし、成功するのは、努力とは関係がありません。
2019年になくなった1993年のノーベル賞受賞者で、PCR法を発明したキャリー・マリス氏は、サーファーで、あちらこちらで“女性問題”を起こしています。
1993年に、ノーベル賞を貰う前に日本国際賞を受賞した際、皇后陛下に「 sweetie! (かわい子ちゃん)」と言葉をかけています。
マリス氏は自身を「自分は非常に身持ちが悪いのでノーベル賞は貰えないかもしれない」と思っていたようです。
しかし、成功するのは、問題が解決できたからで、努力とは関係がありません。(注1)
マリス氏が成功したのは、PCR法を思いついたからで、努力をしたからではありません。
マリス氏が、PCR法を思いついたのは、当時の同僚で交際相手のジェニファーを乗せてのドライブ中だそうです。つまり、遊んでいる最中です。
日本では、サービス残業が常態化している企業もあります。
サービス残業をさせると、直属の上司は、その上の上司からうける評価があがるかもしれません。
しかし、サービス残業が、企業業績を改善させるというエビデンスはありません。
従業員が、マリス氏がPCR法を思いついたように、独創的で、効果的なビジネスソリューションを思いつくかもしれません。
しかし、効果的なビジネスソリューションは、サービス残業をしても生まれません。
サービス残業をさせる上司は、部下のビジネスソリューションの提案が理解できていないはずです。そうでなければ、サービス残業をさせるはずがありません。
つまり、サービス残業をさせる企業には、ジョブ評価のできる上司がいないことになります。
これでは、DXが進むはずがありません。上司は、ジョブの進み具合には関心がなく、勤務時間だけに関心があります。
これは、弱形式の問題解決の一例です。
ともかく、偉人伝の読みすぎのような、人文的文化に洗脳されて上司のもとで、企業業績があがる科学的な理由はありません。
4)レジームシフトとリスキリング
レジームシフトが起こる場合には、エコシステムが入れ替わります。
この場合には、強形式の問題解決でないと全く歯が立ちません。
リスキリングは、解雇と再雇用のエコシステムの中で、効果を発揮します。
解雇がなければ、リスキリングの効果はありません。
5)ドキュメンタリズムと弱形式の問題
ドキュメンタリズムと弱形式の問題は、相性が良いです。
大学の教員が教授になるためには、内容の如何にかかわらず、論文の本数が条件になっています。
これは、言うまでもなく文書の形式があっていれば内容は問わないというドキュメンタリズムです。
そうなれば、書きやすいテーマで論文を書きます。
つまり、弱形式の問題ばかりを解いた人材が教授になります。
もっと困った問題は、「(1)問題発見」の論文が横行することです。
学会が、科学ができない(ビジョンの評価をさける)場合には、調査をした事例報告の論文ばかりなり、専門家は問題の指摘は出来るが、問題を解くことができない人ばかりいなります。
農林水産省は、2022年7月に、2025年に廃止を決定した農村集落調査を、2023年2月21 日に継続する方針転換を行いました。
調査が廃止になった理由は、過疎で人口が減少して、調査の継続が困難になったからです。
もともと、個人情報の観点から、集落の戸数は4戸以下の場合には、情報を開示しないルールでしたが、個人情報の取り扱いが厳しくなって、更に、調査が困難になっています。
過疎という問題は、人文的文化で、科学的文化ではありません。人口密度が日本より低い国はいくらでもありますが、過疎を問題にすることはありません。
農村集落調査がないと、「(1)問題発見」の論文が書けないので困る研究者がいたのだと思われます。
村おこしで、1村1品運動を行う方法も、弱形式の問題解決です。その理由は、労働生産性が余りに低いからです。労働生産性が低ければ、給与が低くなるので、人材の流出は止まりません。
確かに、1村1品運動が成功すれば、1村1品運動を行わない場合よりも、人口流出の速度は減ります。つまり、時間稼ぎはできます。
しかし、1村1品運動は、圧倒的な労働生産性の差という本来の問題点を無視しています。今までは、農村を維持するために、都市の労働者による税収の移転が行われてきました。
このシステムは、工業製品を輸出して、貿易黒字がでる(財源がある)という前提に載っています。
しかし、レジームシフトを拒否した結果、都市の労働者の労働生産性が、低くなり、貿易黒字がなくなって(財源なくなって)います。
結局、労働生産性をあげるという強形式の問題の解決を先延ばしにしたツケがきています。
6)A:弱形式の問題の問題点の指摘
変わらない日本とは、エコシステムの変化を前提とした問題解決、つまり、強形式の問題解決ができないことを意味します。
そこで、「どうして、変わる日本のビジョンを描けないのか」、あるいは、「描かないのか」が疑問になります。
この疑問に対する筆者の解答は、弱形式の問題解決が、変わらない日本の原因であるというものです。
「弱形式の問題解決」は一見すると、変化に対応するように見えます。
しかし、その本質は、サンプリングバイアスを利用した時間稼ぎで、問題の先送りです。
つまり、弱形式の問題を排除できないと、先に進めなくなります。
注1:
成功するためには、努力は必須ではありませんが、失敗は必須です。
何もしなければ、何も(成功も、失敗も)起こりません。
ヒストリアンは、過去の成功をコピーして努力すればよいと信じています。
これは、偉人の伝記を読めば、成功するという物語になっています。
これよりは、試してみて上手くいけば、成功するというアメリカンドリームの物語の方が、科学的文化に近いです。
失敗を許容しない社会では、進歩はありません。
弱形式の問題を解くのは、容易です。
強形式の問題を解くのは、困難です。
つまり、強形式の問題を解くには、失敗を許容できなけばなりません。