(10)The Fixation of Belief再考
(Q:The Fixation of Belieと問題解決法の関連を説明して下さい)
1)リカーシブな提案
筆者は、前回、「日本では、パースのThe Fixation of Beliefの4つの方法を一長一短だと扱ったという解釈をする人もいます」と書きました。これは、パースのThe Fixation of Beliefの趣旨は、4番目の科学的探求方法のあるという筆者の解釈と相容れません。
スノーの「二つの文化と科学革命」を筆者は、「人文的文化と科学的文化の間のギャップは埋められないので、エンジニア教育を重視すべき」という主張と理解しています。
一方、日本国内では、「人文的文化と科学的文化の間のギャップを埋めることの重要性を指摘した」と理解している人も多くいます。
つまり、ここには、解釈( Belief、信念)の不一致が見られます。
どうして不一致が見られるかといえば、4つの方法が違うからです。
前回は、パースのThe Fixation of Beliefを政治的な合意の分野で解釈しました。
パースのThe Fixation of Beliefは、「パースのThe Fixation of Belief」の解釈でも利用できます。
つまり、「パースのThe Fixation of Belief」が、リカーシブにできています。
「パースのThe Fixation of Belief」の解釈にも、4つの方法が適用できます。
(1)信念を変えない方法
「The Fixation of Belief」が、自分の信念に合致する場合には、使えると判断し、自分の信念に合致しない場合には、使えないと判断します。
(2)権威による方法
内容が正しいか判断できない場合には、一流大学の教授の解釈であったり、一流と言われる学会誌にのった解釈を使います。
歴史に耐えて残った古典は正しいという主張も、古典の筆者の知名度に依存する権威主義です。
(3)前例主義
誰かが行った「The Fixation of Belief」の解釈を踏襲します。(2)と似ていますが、必ずしも権威は必要ありません。
(4)科学的探求方法
実際に、「The Fixation of Belief」に載っている4つの方法を試して、パースが主張する「(4)科学的探求方法」が使えるかをテストして見ます。
以上のように考えると「The Fixation of Belief」で、パースは、科学的探求方法が、自然科学以外の分野でも使えるという仮説を提示しているとみなせます。
「The Fixation of Belief」は、ソリューション・デザイン(問題解決法)の元祖のような論文です。
筆者の「パースのThe Fixation of Belief」の解釈、スノーの「二つの文化と科学革命」の解釈が正しいか否かは、第1から第3の方法では、白黒がつきませんが、第4の方法であれば、白黒をつけることができます。
学会などで信念の合意があるかもしれませんが、人文的文化が、第1から第3の方法によっている限り、「パースのThe Fixation of Belief」は、その合意には、問題があるといっています。
つまり、ソリューション・デザインにおいては、信念の合意形成プロセスを点検すれば、問題点がチェックできます。
どうやら、「科学的な信念の合意形成プロセス」は、ソリューション・デザインの中心に来る必要があります。
2)パースが評価されなかった理由
パースの「The Fixation of Belief」は正論ですが、長い間評価されませんでした。
筆者は、その理由は、単純だと考えます。
その理由は、パースの科学的探求方法は、アイデア倒れで、実装できなかったからです。
医学で言えば、EBMは1990年頃に始まっています。
国立がん研究センターは、1997年診断症例より部位別臨床病期別5年生存率を発表していますが、これ以前には、体系的なデータはありません。
「 がん登録等の推進に関する法律 」 は、2016年1月1日から施行されています。
アメリカでは、 ジョージ・W・ブッシュ大統領時代の2002年に「落ちこぼれを作らないための初等中等教育法(No Child Left Behind Act , NCLB)」を制定して、成果に対するより強固なアカウンタビリティ(Stronger Accountability for Results)と実証された方法(Proven Methods)が重視されています。
2015年11月20日のリクルートで、教育経済学の中室牧子氏は次のようにのべています。(注1)
(筆者要約)
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経済財政諮問会議の議事録を読むと、データに基づく現状分析が行われ、経済学的な議論が行われている。
教育再生の話になると、多くの委員が「私の個人的な意見ではあるが」とか「私の友人で、ある学校の校長をしている人の話によると」とか「わが社の例では」などのように、個人的な体験に基づく主観的な議論を展開している。
活躍している人と同じことしても、その人のような成果はおさめられない。人間の成功には、多くの要因が影響しているため、一般化できないからである。個人の経験談は一般化できない。
教育政策は、データを用いた客観的な事実や根拠に基づいた政策運営がなされていない。
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科学的探求方法には、クラウド上のデータベースとデータサイエンスのソフトウェアが必須です。
教育政策では、個人の経験談(前例主義)が多用されています。
チャットGPTは、データを用いた客観的な事実や根拠に基づいてつくられたソフトウェアです。
個人の経験談(前例主義)に基づいた教育カリキュラムでは、チャットGPTに対して、勝ち目はないと思われます。
2023年3月1日のNewsweekで、冷泉彰彦氏は、チャットGPTを次のように評価しています。
「英文のネイティブチェック的な使い方を、テック技術者のアシストで経験し、その精度に驚嘆した」
「(英語の)文章の作成や添削の能力としては、ハッキリ申し上げて実用レベルに達している」
つまり、英作文の添削であれば、英語教師の代りになるということです。
「パースのThe Fixation of Belief」とチャットGPTは、ソリューション・デザインとしては、水面下で繋がっています。
3)白川論文
日銀の白川前総裁が、2023年3月にIMF季刊誌に論文を投稿しています。
白川論文の内容は、現在の日銀の黒田総裁の方針と一致するものではありません。
ここには、ソリューション・デザインの視点で、考えれば異なった信念の間の合意形成は、どのようになされるべきかという問題があります。
「パースのThe Fixation of Belief」で言えば、第4の科学的探求方法をとらない限り、ソリューション・デザインができないと予想されます。
以下、白川論文の一部を引用します。
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金融政策の基盤と枠組みを再考する時が来ました。
2008 年、エリザベス 2 世女王がロンドン スクール オブ エコノミクス (LSE) の教授に、世界的な金融危機について「なぜ誰もそれが来るとは思わなかったのですか?」と尋ねたことは有名です。
女王が LSE の教授たちに質問を投げかけたときと同じように、現在の金融政策の枠組みと、より根本的には、それを支える知的モデルについて、学界と中央銀行家が再び深く考える時が来ました。
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ここでは、白川氏は、知的モデル(金融モデル)を再点検して、見直すべきだといっています。
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インフレ期待が目標の2%を下回れば、景気後退時に雇用を促進するために金利を引き下げる余地が少なくなり、経済を安定させる能力が低下します。私たちは、この不利なダイナミクスを日本以外の世界中の主要経済国で見てきました。いったん、この不利なダイナミクスが始まると、その克服は非常に困難でした。
これが、インフレ率の低下に対応して積極的な金融緩和を中央銀行が展開すべきという理論の核心です。
この理論は、もっともらしく聞こえますが、事実によって立証されなければなりません。
パウエル氏は「他の主要経済国」(日本)の経験は、この理論の妥当性に疑問を投げかけたと言っています。
実際、日本は他の経済圏よりずっと前に金利のゼロ下限に到達しましたが、GDPの伸びは、低下していませでした。
2000年(日本銀行の金利がゼロに達し、中央銀行が非伝統的な金融政策を開始した頃)から2012年(中央銀行のバランスシートが膨張し始める直前)まで、日本の一人当たりGDPの成長はG7平均と一致していました。日本の生産年齢人口1人当たりGDPの伸びは、同期間にG7の中で最も高かったのです。
フレームワークの再考
中央銀行がインフレの波に乗り遅れた理由を考えるとき、私たちは依存してきた知的モデルを再考し、それに応じて金融政策の枠組みを更新する必要があります。
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ここでは、白川氏は、「事実によって立証」すれば、日本では、金融緩和の効果は限定的にしか確認できない。インフレ目標の妥当性は、検証されていないといいます。
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国民の違い
最後に、各国が金融政策の枠組みをどのように設計するかについて、国ごとの違いに注意を払う必要があります。たとえば、雇用慣行が異なれば、賃金のダイナミクスも異なり、インフレのダイナミクスも異なります。日本では、消費者物価上昇率は加速していますが、他の先進国よりもはるかに遅いペースです。これは主に、「長期雇用」という独特の慣行によるものです。特に大企業の日本人労働者は、上司が何としてもレイオフを回避しようとする暗黙の契約によって保護されています。これにより、将来の成長に本当に自信がない限り、恒久的な賃上げを提案することに慎重になります。それは低インフレにつながります。
グローバル化した経済においても、社会契約や経済構造の違いは重要です。これは、万能のインフレ目標戦略の主張を弱体化させます。柔軟な為替レートのシステムに代わる良い方法が見つからない理由を覚えておく必要があります。国によってマクロ経済の好みが異なり、結果として生じる国間の違いが通貨の上昇と下落に反映されます。通貨のアンカー(存在する場合)は、インフレ目標を設定するという単純な行為ではなく、金融引き締めによってインフレを抑制し、最後の貸し手になるという中央銀行の確固たるコミットメントによってのみ確立できます。
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ここでは、白川氏は、雇用慣行が異なるので、欧米の先行事例のコピーは無効であると論じています。
つまり、白川論文は、パース流に言えば、前例主義の合意形成プロセスから、「科学的探求方法」に切り替える必要があること、その際には、万能のインフレ目標戦略に代わるソリューションを探求する必要があることを述べています。
これから、白川論文は、パースのThe Fixation of Beliefに従ったソリューションをめざしていることが分かります。
さて、今回は、ここまでです。
白川論文に対しては、色々なレスポンスがありますが、「科学的探求方法」であれば、万能のインフレ目標戦略に代わるソリューションを提案するはずですが、「権威による方法」、または、「前例主義」のレスポンスが多く、「科学的探求方法」によるレスポンスは少ないと感じられます。
注1:
小坂 祐子氏は、「日本における『エビデンスに基づく教育政策』の現状と課題(2017)」の中で次のように書いています。
「文部科学省における教育政策の議論の中で、エビデンスは着実に重要な地位を得つつあ
る。しかし、エビデンスは、何を意味するのかが変遷しながら教育政策の議論に取り込ま
れ、今後の教育政策の根幹をなす第3期計画の策定に向けた議論では、教育政策の効果を
表すものがエビデンスとして扱われている。つまり、エビデンスが、あたかも一般的に成
果実績を表す時に用いられる『アウトカム』とほぼ同義のように捉えられていると言える」
中室牧子氏が「データに基づく」と言う場合、エビデンスは、疫学と同様に、統計処理における研究デザインの一部を指します。
小坂 祐子氏は「エビデンスは、何を意味するのかが変遷」といいますが、これは、エビデンス(科学的文化)を人文的文化で解釈するために起こっている混乱です。
小坂 祐子氏は、ジョージ・W・ブッシュ大統領時代の「落ちこぼれを作らないための初等中等教育法」にも、言及していますが、そのエビデンスベースをサイエンスではなく、ヒストリーとしてしかとらえていません。
データサイエンスにおけるエビデンスでは、「エビデンスは、何を意味するのかが変遷」は起こり得ません。
「エビデンスは、何を意味するのか」が、はっきりしない原因は、エビデンスにあるのではなく、評価関数を明確に設定できていない点にあります。
中室牧子氏が、「教育政策は、データを用いた客観的な事実や根拠に基づいた政策運営がなされていない」といっているように、教育政策は、科学的文化が理解できない人が、人文的文化で、運営していると思われます。
引用文献
日本の教育には科学的根拠が必要 2015/11/20 リクルート 中室牧子
https://www.recruit-ms.co.jp/issue/interview/0000000247/?theme=career
チャットGPTは、アメリカ社会をどう変えるか? 2023/03/01 Newsweek 冷泉彰彦
https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2023/03/gpt.php
Time for Change Masaaki Shirakawa March 2023 IMF
https://www.imf.org/en/Publications/fandd/issues/2023/03/POV-time-for-change-masaaki-shirakawa
日本における「エビデンスに基づく教育政策」の現状と課題 2017 東京大学 公共政策学教育部 小坂 祐子