(二つの文化の文法の典型的な違いを示します)
1)人文的文化の文法
人文的文化の文法と聞くと理解しにくいかも知れません。
科学的文化の文法では、許容されない表現が、人文的文化の文法にはあります。
この差異が大きくなる例をあげてみます。
(1)前例主義
おれは、論理的な間違いなので、科学的文化では許容されません。
科学的文化でも、前例から仮説を導きだして使用することもありますが、その場合には、仮説を検証するエビデンスをとることが前提条件になります。
(2)観察研究
事例を観察して、それから仮説を導き出す研究方法を指します。
科学的文化の文法では、この研究方法は、仮説を探索する場合にのみ有効で、次のステップとして、仮説の検証が必要です。
統計的な数字はありませんが、感覚的には、観察研究で得られた仮説が正しい確率は、10%以下と思われます。
(3)数字を改竄すること
参議院選挙の1票の格差が2倍を超えても合憲であるという判決が出ています。
これは、科学的文化の文法ではありえません。数学の答案に、格差(例えば2.3)が、2より小さいという答案を書けば、赤点になります。科学的文化では、「格差が2倍を超えても合憲」は文法違反で、発言する人は信頼されなくなります。
つまり、裁判所の論理は、人文的文化の文法に従っています。
当選の場合の1票の格差をそのまま、国会に持ち込む必然性はありません。
電子投票であれば、選挙区の当選に必要な有権者数に応じた重みをかけて、国会審議の票を集計することは容易です。科学的文化の文法では、世の中にはバイアスがありますが、バイアスはできる範囲で補正することが原則です。
(4)言葉の定義を変更すること
12月20日、日銀は長期金利上限の見直しに追い込まれましたが、日銀は、金融緩和政策の見直しではないと説明しています。
この表現は、人文的文化の文法では、許容されつかも知れませんが、科学的文化の文法では、ゴールポストを移動させるような表現は、文法違反で不誠実と見なされます。
(5)悪文を書くこと
霞が関文学と呼ばれるような中身のない答弁も、科学的文化の文法では、許容されません。
法律の文章も、科学的文化の文法では、許容できない悪文です。
並列の内容は、箇条書き、または、番号付き箇条書きでかきます。
プログラムの書法では、塊は()をつけるか、beginとendで挟んで範囲を明確にするルールです。
これは、読み間違いを減らし、文章を分かり易くする工夫です。
2)理解を確認する手段
科学的文化の文法では、内容を理解出来たかを確認する手段が重要だと考えます。
ハイデッカーの訳文をみると、()はありませんので、どこまでを対象にしているのか曖昧な部分が多くあります。
プログラムをコーディングする場合には、科学的文化の文法の一つであるプログラム書法をまもって書いても、まちがい(バグ)のないコードを作ることはできません。
科学的文化では、ハイデッカーのような複雑な文章を書けば、必ず、間違い(バグ)が入っていると考えます。
間違いを見つけて指摘することは親切です。
ウィリアム・シャンクスは、1873年に円周率の計算を707桁まで達成しましたが、1944年にこの計算は、527桁目までしか正しくないことがわかっています。
こうした場合、間違いを指摘することが親切です。
ベートーベンの楽譜にも、間違いがあり、そのままでは演奏が出来なかったりするので、校正がなされています。
今まで、30年間、産業振興のために、膨大な予算が投入されてきましたが、失敗が続いています。そうすると、どこかに間違いがあったはずで、間違いを直すルールが含まれない場合には、科学的文化では、文法間違いです。その中には、経済学の理論を正しく理解できていなかった可能性も含まれます。