権威の方法の恐れるもの(2)

3)テック企業とテック国家の条件

 

スノーは、1959年に、「2つの文化と科学革命」を出版して、人文的文化では、科学的文化(技術)を理解でいないギャップがあると指摘して、技術者教育を拡充ました。

 

この時点で、歴史的な人文的文化と科学的文化の対立については、世界的には、科学的文化を主体に進めるという歴史的な転換が起こっています。

 

ジム・ロジャーズ氏は、文系と理系の教育区分は、いい加減にやめた方がよいといっています。

 

ジム・ロジャーズ氏は哲学科の卒業生ですが、トレーダーでした。ジム・ロジャーズ氏が、トレーダーして活動するときには、哲学的な判断で株の売買をしていたわけではありません。金融工学の知識をつかっていたはずです。つまり、プラグマティズムと同じように哲学的な伝統は活用していたかも知れませんが、科学的文化でトレードをしていたはずです。

 

認知科学のような科学的文化で、人文的文化の一部を再構築することは可能です。

 

しかし、スノーが指摘したように、人文的文化で、科学的文化を理解することはできません。

 

日本では、スノーは、人文的文化で、科学的文化を理解して、ギャップを埋めることの大切さを指摘したと解釈されています。

 

この解釈が正しければ、企業や国家の幹部は、人文的文化の持ち主で構わないことになります。

 

実際に、日本の企業や政府の幹部の大半は、人文的文化の持ち主です。エビデンスにもとづいた科学的判断が行われることはありません。

 

ジューディア・パール(Judea Pearl)氏が言うように、RCTは、データサイエンスでは、過去に発見されたバイアスを排除できる唯一の方法です。RCTの元では、人文科学と経験科学は、粉々に砕け散っています。RCTは非常にコストがかかるので、ビッグデータなどのRCTの代替手法が、最近活用されています。

 

企業や国家の幹部は、人文的文化の持ち主になると、科学的文化を人文的文化で解釈できると考えます。

 

コロナウイルスが拡散してとき、アメリカのトランプ大統領は、人文的文化で、明らかに、科学的には問題のある発言を繰り返していました。しかし、コロナ対策の政策は、ファウチ氏の指示のもとで、科学的に進められました。その内容には、トランプ大統領も、介入することはできませんでした。

 

日本では、科学的文化の専門家会合の答申をうけて、人文的文化の閣議で最終決定をしていました。ここには、アメリカにはない「科学的文化を人文的文化で解釈できる」という前提があります。

 

生成AIの活用でも、国産ロケットが飛ばなかった時でも、記者会見に出て来る人は、科学的文化の持ち主(エンジニア)ではなく、人文的文化の持ち主です。

 

科学的文化の持主であれば、問題点や失敗の原因を技術の問題として分析して説明します。

 

人文的文化の持ち主は、技術はわからないので、問題点や失敗の原因を組織マネジメントの問題として分析して説明します。あついは、生成AIは、嘘をつくから危険だというような感情に訴える説明です。

 

日本の科学技術は、ほぼ、崩壊状態にあります。科学的な因果モデルで考えれば、有望な仮説は、「原因は、アウトカムズを無視した非科学的な履修主義と文系に代表されるようなエンジニア教育の欠如」(仮説A)と思われます。これは、仮説ですので、エビデンスをとって検証する必要があります。

 

科学的文化の持主であれば、仮説Aが間違っていると思えば、仮説Bや仮説C(オプションB)を立てて、議論して、検証します。

 

人文的文化の持ち主は、科学的な因果モデルを無視して、技術はわからないので、キーワードにあわせて予算をばら撒きます。

 

テック企業やテック国家になるためには、意思決定(fixation of belief)を科学的に行う必要があります。幹部の過半数は、文系・理系の区分ではなく、科学的文化の持ち主であって、意思決定(fixation of belief)の科学の方法を前提としている必要があります。

 

現在の年功型雇用では、企業幹部になるための第1の素養が、空気を呼んで、気付かれないように忖度することです。科学的なオプションBを提示すれば、すぐに左遷されてしまいます。

 

ジョブ型雇用であれば、左遷されれば、転職先を探せば良い訳ですが、労働市場のない日本では、左遷は致命傷になります。

 

こうして選抜された幹部には、科学的文化の持ち主がいなくなり、テック企業とテック国家には、なれなくなります。



なお、ジム・ロジャーズ氏は、日本では、農業が有望であるといいます。

 

これは、日本の技術力がひどく落ちてしまったので、AI、半導体などの先端産業では勝てないので、技術力の身の程にあって分野で勝負した方がよいといっているようにも聞こえます。