(全微分と偏微分の違いを区別することは、科学的文化の文法の基本です)
1)計算科学と全微分
地球温暖化などのシミュレーションは、偏微分方程式を数値的に解くことで行われます。これは、計算科学の文法のコアを形成します。
計算科学が出現する前の理論科学でも、偏微分方程式は、物理法則を記述するために、必要な文法でした。
しかし、計算科学が出現するまで、偏微分方程式の9割以上は、手計算では難しすぎて、解くことができませんでした。
つまり、理論科学の体系は美しいが、実用の役にはたたず、理論式の代わりに、経験式が用いられてきた分野が殆どでした。計算科学の発達は、コンピュータの能力の指数的拡大に伴って進んで、現在は、理論式があれば、半分以上の問題に対しては、数値化解を求めることが出来るようになりました。
地球温暖化のシミュレーションでは、値はf(x,y,z,t)で記載されます。例えば、f()が気温であれば、1組の(x,y,z,t)つまり、東経、北緯、標高、時間に対して1つの気温の値が与えられます。ここでは、()の中に4つの変数が入っていますが、最も単純な場合は、2変数の場合であって、2変数について、解法がわかれば、あとは、変数の数が増えても、同じ手法で、一般化ができます。
ここで、砂糖を入れて変化するコーヒーの甘さの例をあげてみます。
コーヒーの甘さは変数f(x,y)で表わされると仮定します。
ここで、xは、砂糖の量、yはコーヒーの温度を表わします。
実験を始める前のxとyの値を、x0、y0とします。
実験が終わったあとの、xとyの値を、x1、y1とします。
実験で、コーヒーに入れた砂糖の量は、x1-x0です。
実験を始める前のコーヒーの甘さはf0で、実験が終わった時点でもコーヒーの甘さは、f1です。
砂糖を加える実験で、コーヒーの甘さは、f1-f0だけ変化しています。
ところで、実験の前後では、y1-y0の温度変化が生じています。
つまり、「コーヒーの甘さの変化f1-f0」は、「コーヒーに入れた砂糖の量x1-x0」だけでなく、「コーヒーの温度変化y1-y0」の影響をうけています。
したがって、「コーヒーに砂糖をx1-x0」だけいれたので、「コーヒーの甘さがf1-f0」変化したと結論づけることはできません。
求めたいのは、コーヒーの温度変化がない場合の「コーヒーに入れた砂糖の量」に対する「コーヒーの甘さの変化」です。これは、注目する砂糖の量以外が変化しない場合の関数の変化で偏微分に相当します。
しかし、実際に計測されている「コーヒーの甘さの変化」は、砂糖の量の変化と温度の変化の影響をうけている全微分になっています。
この2つは、科学的文化の文法では、厳密に区別するルールになっています。
2)介入の効果
経済学では、with-without比較が、政策評価の基本的な考えかたです。
消費税の税率を上げた場合(with)と消費税の税率を上げた場合(without)を考えて、各々の場合の経済の状態の差を消費税の効果と考えます。
これは、コーヒーの甘さの問題で言えば、砂糖を入れた場合(with)と砂糖を入れなかった場合(without)を比較することに相当します。
コーヒーは時間が経つと冷めてしまいます。この効果を除外するためには、例えば、コーヒーを10杯準備して、半分には、砂糖をいれ、半分はなにもせずにおいて、砂糖が解けたころに、10杯を試飲して比較すれば良いわけです。先入観を排除するためには、テスターは、そのカップに砂糖が入っているのかわからない盲検テストを使います。
ここでのポイントは、同じ条件のコーヒーを10杯準備できる点にあります。この砂糖を全く入れないコーヒーは、実験では、コントロールあるいはブランクなどと呼ばれます。
ところが、経済対策であれば、日本経済を10個準備することはできません。つまり、コントロールは準備できません。そうなると、観測されたデータは、偏微分ではなく、全微分になってしまいます。
例えば、金融緩和政策を実施した場合を考えます。GDPを変数f(x、y)とします。ここで、xは金利になります。金融緩和は、x1-x0だけ、金利を下げることに相当します。金融緩和を始める前のGDPをf0、観測期間後のGDPをf1とすれば、経済成長はf1-f0になります。このときに、隠れている変数yの値も、y0とy1をとります。観測期間の間にyの値は変化するのでy0≠y1になります。つまり、yの値もy1-y0だけ変化します。そうなると、f1-f0は、x1-x0の影響だけでなく、y1-y0の影響も受けることになります。これが、全微分という意味です。
ですから、時系列データからは、偏微分に相当する因果関係は確認できません。
これを回避する方法は次の2つのいずれかです。
(1)考えられるxのデータを徹底的に集めて、変数x以外の影響のリスクを評価する。これは、ビッグデータによるアプローチですが、成功する保証はありません。
(2)観測期間を短くとる。金融緩和は、緩和していない状態から、人為的に介入してある日突然、緩和を行います。一般に介入による変化は、他の変化より大きくなりますので、介入前後の短期間を問題にするのであれば、他の要素の影響を受けにくくなります。
コーヒーに砂糖をいれる実験では、出来るだけ手早く砂糖を溶かして、その前後のコーヒーの甘さを比較すれば、コーヒーの温度変化は最少にできます。
この介入前後を比較する場合には、観測期間は短い方がベターです。経済データは4半期のものが多いので、3か月から6か月が、(2)の手法が使える最大観測期間です。
金融緩和を始めて、10年近くたっても、効果が出ていないという発言は、データサイエンスの文法を無視しています。金融緩和の効果がエビデンスで観測できるのは、6か月程度、タイムラグを考えても1年以内で、それを過ぎると、エビデンスの観測が出来ない期間に突入します。
経済学の専門家で、テキストに書いてある理論だから正しいという発言も、サイエンスの文法を無視しています。経済学の教科書に書いてある理論は徹底して単純化の仮定をおいています。GDPの関数f(x,y)であれば、隠れ変数のyの影響は無視できると仮定しています。実際には、隠れ変数のyの影響は無視できませんので、教科書に書いてある通りにはなりません。隠れ変数のyには、技術進歩や、DXの進展が含まれます。しかも、技術進歩や、DXの進展は、輸出産業を考えれば、競合する外国企業との相対的な競争力で評価する必要があります。DX投資がゼロであれば、yの値は、変化しないのでなく、減少していきます。
3)自然科学の文法間違いの問題
2022年12月7日から19日に、カナダ・モントリオールで生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)が行われました。
最近では、コンクリートの護岸は嫌われて、石積み護岸が好まれていますが、コンクリートより石積みが良いという理論的な根拠はありません。理論的には、水質、流速、餌など、チェックすべき項目がわかっていますので、そちらを優先すべきです。
ところで、コンクリート護岸を、石積み護岸に改修して、その効果を魚の捕獲調査でおこなうという間違いが蔓延しています。魚の捕獲調査でわかるデータは全微分に相当します。f(x,y)で考えると、魚の捕獲数f(x,y)は、護岸の変化xだけでなく、隠れパラメータyの影響を受けています。yには、水質、流速、餌などが含まれます。
これを(2)の方法で回避するには、護岸を改修した区間だけでなく、回収しなかった区間の、魚の捕獲数も調べる方法が考えられます。
改修区間の魚の捕獲数をf、非改修区間の魚の捕獲数をgとすると、改修の前後で、f0、f1、g0、g1の4つのデータが求まります。
ここで、護岸を改修以外の変動が、g1-g0で求められれば、全微分のf1-f0から、その影響を取り除いた「f1-f0-(g1-g0)」が護岸改修の効果になります。
とはいえ、このモデルは、魚の移動を無視しています。
護岸が改修されて、湧水が増えて、夏に水温の上昇が押さえられれば、周囲の魚はそのエリアによってきます。観測された魚の捕獲数は、個体数の変化だけでなく、生息域の変化に対するマイグレーションを含んでいます。
これは、日本の人口は、出生率と移民の増減の2つの影響を受けているのと同じ問題です。
このように、生態系の相互作用は複雑なので、現在の生態学は、ビッグデータによるデータサイエンスになっています。
COP15の政策実行には、ビッグデータによるデータサイエンスが背景になっていますので、科学文化の文法、特に、データサイエンスの文法の理解なしには、外交交渉ができなくなっています。これは、国内に、環境データベースが整備されていないと、外交交渉ができないことを意味しますが、COP15は、人文的科学の文法でしか報道されませんので、その事実は伝えられなくなっています。