(科学的文化における理解とは、インプットとアウトプットを点検することです)
1)人文科学における理解
この本では、スノーの「二つの文化と科学革命」、クーンの「科学革命の構造」を取り上げて論じます。
「科学革命の構造」を読んで解釈する問題を取り上げます。
単純に考えれば、「科学革命の構造」を読んで、そこに書かれている文言を問題にすればよいように思われますが、この方法は実用上は使えません。
「科学革命の構造」は、出版後、非常に大きな評判を呼び、クーンが提唱したパラダイムの概念は、自然科学以外の概念に拡張して広く使われます。
クーンが提唱したパラダイムは、クーンが考えた本来の意味を逸脱して、使われます。クーンは晩年には、パラダイムが、自分が提唱した意味とは異なった意味に使われるのに嫌気がさして、パラダイムに替わる用語を提案しますが、普及することはありませんでした。
この本では、「科学革命の構造」が与えた社会的な影響を考えます。
その目的のためには、「科学革命の構造」を厳密に読んでも役に立ちません。
「科学革命の構造」の読解には、幅があります。その幅の中で、パラダイムは、社会に大きなインパクトを与えました。
本書が問題にしたいのは、この点です。
スノーの「二つの文化と科学革命」には大きく分けて次の2つの内容が書かれています。
(1)二つの文化(人文的文化と科学的文化)の間の断絶を提示した。
(2)科学革命に対応するために、エンジニア教育の必要性を主張した。
スノーの「二つの文化と科学革命」が、人文的文化で論じられる場合には、
(1)が問題にされることが多いです。
しかし、「二つの文化と科学革命」が与えた社会的な影響を考えれば、問題になるのは(2)です。
(1)は、議論を巻き起こしましたが、それは、議論のレベルに留まって、社会的な変化を生み出しませんでした。
(2)は、英国の教育カリキュラムを大きく変更し、英国に多数のエンジニアを生み出して、社会を変えています。
ですから、本書では、「二つの文化と科学革命」を、主に(2)を提案した本として取り扱います。
2)原典主義の不毛
人文的文化では、原典主義が採用されます。
科学的文化では、原典主義はとりません。
本書は、「二つの文化と科学革命」、「科学革命の構造」、「第4のパラダイム」を科学的文化で解読して、「二つの文化と科学革命」の改訂版である「二つの文化とデータサイエンス革命」を描いてみる試みです。
科学的文化では、原典主義には意味がないと考えます。
その根拠を示します。
典型的な例は、聖書に見られます。
聖書は、大変古い書物ですが、普及したのは、活版印刷が可能になったルター聖書からです。これは、マルティン・ルターによるヘブライ語及び古典ギリシア語からの旧約聖書と新約聖書のドイツ語訳ですが、いくつかの誤訳が含まれています。
ルターが原典として使用したのは、ヘブライ語及び古典ギリシア語の聖書です。
1947年にヘブライ語聖書の最古の写本を含む死海文書が発見されます。
その時点では、ヘブライ語の聖書の原典は、以前よりさかのぼることができるようになります。
こうして原典主義は、歴史を調べる上では、非常に興味深いものですが、死海文書の発見が社会に与える影響は限定的です。
(1)死海文書の発見の影響は、1947年以前の社会には影響を与えませんでした。
(2)ルター聖書からはじまった現代語訳による印刷された聖書が、主に社会的な影響を生み出しています。この現代語訳の聖書は、誰でも読むことができますが、死海文書が読める人は限られます。死海文書の現代語による解説本もありますが、現代語訳の聖書に比べると、出版数が少なく影響は限られます。もちろん、死海文書を参考にして、現代語訳の聖書も改訂されると思いますが、劇的な改訂がなされる可能性は少ないです。
科学的文化では、アウトプットを問題にします。アウトプットが同じなら、インプットは少ない方がよいと考えます。経済学の生産性と同じ計算です。
例えば、ニュートンの運動方程式を理解して、方程式が解けるようになることがアウトプットだと仮定します。
その時のインプットは教科書、授業、演習書です。
ベストなインプットは、最短時間でアウトプットに到達する教材と授業です。(注1)
ニュートンの原典を読むことはできますが、これは、最悪のインプットなので、原典主義は採用されません。
後で論じますが、「二つの文化と科学革命」は、人文的文化と科学的文化があり、その間のギャップを指摘しています。
つまり、「二つの文化と科学革命」は、人文的文化と科学的文化の2つの文化で、解読できます。
本書は、原典主義によらない、「二つの文化と科学革命」を科学的文化で解読する試みです。
筆者は、過去に「二つの文化と科学革命」が科学的文化で解読された例は少ないと考えています。
3)著書と読者
本が与えた社会的な影響から、本を読み解くアプローチでは、(本、読者の構成する社会)が一つのデータセットを形成します。
「二つの文化と科学革命」は英国で出版され、英国の社会に大きな影響を与えました。
このデータセットは、(二つの文化と科学革命、英国の社会)と記載することができます。
「二つの文化と科学革命」は、英国の教育カリキュラムに工学教育を導入して、大きな影響を与え、英国の社会を変えました。簡単にするために、移行期を無視して、データセットを書きなおせば、以下になります。
(二つの文化と科学革命、出版前の英国の社会):データセットB(before)
(二つの文化と科学革命、出版後の英国の社会):データセットA(after)
この本で取り上げる3冊の本は、社会を大きく変える力があります。
3冊目の「第4のパラダイム」は、新しい本なので、評価は定まっていませんが、筆者は、「二つの文化と科学革命」と「科学革命の構造」に匹敵する社会的影響を与える本であると考えています。
上記のAB表記に従えば、「二つの文化と科学革命」と日本社会は次のデータセットで表記できます。
(二つの文化と科学革命、出版前の日本の社会):データセットB(before)
(二つの文化と科学革命、出版後の日本の社会):データセットA(after)
これは、見た目は、同じですが、内容は全く異なります。
出版後の英国の社会は、エンジニア教育が社会の基本的なリテラシー(科学的文化)になった社会です。
出版後の日本の社会は、エンジニア教育が社会の基本的なリテラシー(科学的文化)にならず、人文的文化に留まった社会です。
注1:
「ベストなインプットは、最短時間でアウトプットに到達する教材と授業」は、科学的文化の基本です。
ファストファッションのSHEIN(シーイン)は、毎日ABテストを繰り返して、売れ筋のファッションデザインを決めています。
科学的文化では、授業で使う教材も、ABテストをして、インプットを改善するのが当たり前です。
ガイドラインを決めて、インプットとアウトプットを計測しないと効率は改善しません。これは、人文的文化で教育が進められていることを示しています。これは、「二つの文化と科学革命」の論点をクリアしていないことを意味します。