パラダイムと文法

(科学的文化の文法の理解が、エンジニア教育の基本です)



1)科学的文化の文法

 

ここでは、科学的文化の文法と人文的文化の文法の説明をして、暗記ではない学習(文法の学習)の記載を試みます。

 

瀧本 哲史氏は、パラダイムシフトの例として、天動説と地動説を取り上げていました。

 

人文的文化の文法で書かれている歴史の教科書には、天動説と地動説が出てきます。

 

試験にキーワードの穴埋め問題がでてくれば、「天動説」または、「地動説」と書き込めば正解です。これは、暗記の世界です。

 

この問題を、科学的文化の文法で表現すれば、「天動説」が、「地動説」より正しい理由を説明する問題になります。

 

ウィキペディアによれば、経緯は以下の通りです。

 

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コペルニクスは1543年に没する直前、彼の思索をまとめた著書「天体の回転について」を刊行しました。そこでは地動説の測定方法や計算方法をすべて記した。こうして誰でも同じ方法で1年の長さや、各惑星の公転半径を測定し直せるようにしました。

 

しかし、コペルニクスの説は、天体は円運動をするという従来の常識に縛られており、プトレマイオスの天動説と同様に周転円を用いて惑星の運動を説明していた。

 

ガリレオは、地球が自転しても、鳥がなぜ取り残されないのか、地球がなぜ止まらないで動き続けているのか、という疑問には答えが出せませんでした。ガリレオ慣性の法則を発見しましたが、その現象が起きる原因を説明できませんでした。

 

ニュートンが慣性を定式化し、万有引力の法則を発見し、科学においては、原因を説明する仮説は必要はないとする新しい方法論を提示したことで、地動説はすべての疑問に答え、かつ、惑星の位置の計算によってもその正しさを証明できる学説となりました。 

 

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コペルニクスの軌道計算は、天動説と同じ円軌道を仮定していましたので、天道説より予測精度が高い訳ではありませんでした。

 

ニュートンは、エビデンス(観測値)をもとに、法則を定式化して、パラメータを決めて、予測しました。予測結果が、予測後に測定された観測値と高い精度で一致したことで、地動説は支持されます。これが、自然科学文化の文法になります。

 

予測と検証、誤差の仮説(定式)へのフィードバックが、科学的文化の文法の根幹をなしています。

 

地動説を支持するエビデンスは、慣性力になります。これは、フーコーの振り子で目で見ることができます。



2)法則の適用範囲(母集団)

 

ニュートン力学は、アインシュタイン相対性理論が出てきて、絶対的なものではなくなります。物体の速度が、光速に比べて遅い場合には、問題はありませんが、速度が大きくなると、予測精度が落ちてしまいます。

 

つまり、法則の適用範囲を明示する必要があります。

 

データサイエンスで利用する法則は、ニュートン力学のように光速という例外を除けば、どこでも適用可能なものはありません。対象範囲が限定的なので、常に、何を対象にしてしているのかを明示する必要があります。

 

これは、言い換えれば、全ての観測値は、サンプリング計画に基づいて、母集団から抽出される必要があることを意味します。

 

よく、行われている問題があるようなので、とりあえず現場にいって調べてみる方法は、母集団が設計されていないので、得られたデータはゴミになってしまいます。

 

この方法は、問題を見つけるまでは有効ですが、その後は、使うべきではありません。

 

3)条件付き確率

 

ある事象Bが起こるという条件のもとで、別のある事象Aが起こる確率のことを「条件付き確率;P(A|B)」と言います。式では次になります。

 

P(A|B)=P(A∩B)/P(B)

 

「ある事象Bが起こる」を対象が母集団Bに含まれると考えれば、法則の適用範囲は、条件付き確率で表現できます。法則は、「ある事象Aが起こる確率」に対応します。

 

あるいは、「ある事象Bが起こる」は、法則の適用範囲に対象がある場合を指します。

 

これは、典型的なデータサイエンスの文法です。

 

生産性は、アウトプットをインプットでわって求めます。

 

ここで、アウトプットに変化がない(技術進歩がない)場合には、インプットを節約すれば、生産性はあがります。それには、カイゼンでむだを省いたり、円安にして実質賃金を切り下げれば、よいことになります。そうすれば、生産性はあがります。

 

円安の場合、ドルで評価すれば、効果はありませんが、円で評価すれば、生産性があがります。

 

しかし、この法則は、アウトプットに変化がない(技術進歩がない)場合にしか当てはまりません。競合する外国企業が、技術進歩によって、アウトプットを増やしている時に、円安を続ければ、完全に取り残されてしまいます。

 

それは、アウトプットに変化がない(技術進歩がない)という条件が当てはまらないためです。

 

これが、日本の現状であり、科学的文化の文法を無視した論理展開をおこなったため、発生した事態です。

 

4)前例主義と人文的文化

 

前例主義の問題点は、「ある事象Bが起こる」という条件、あるいは、母集団を無視して、法則が成り立つと考える点にあります。

 

外国が円安で、経済成長しているから、日本も真似をしようというのは、前例主義です。

 

外国の経済、雇用、IT投資は、日本とは違います。もしも、これらの条件が、「ある事象Bが起こる」という条件に含まれていれば、日本が真似をしても、同じことは起こりません。

 

東京駅には、銀の鈴という場所があります。これは、東京駅で待ち合わせするときに、迷子にならない工夫です。30年くらい前までは、こうした街合わせ場所には、必ず、伝言を書き込むことのできるホワイトボードがありました。

 

「分かり易いマークと伝言版を使うことが、迷子にならない工夫」でした。

 

1970年の日本万国博覧会では、コンピュータによる照合が行われました。迷子になった場合には、案内所にいって、電子伝言板にメッセージを書き込んでもらいます。一方のはぐれた人が、会場に複数ある案内所のどこにいっても、電子案内板のメッセージを問い合わせることができました。

 

2025年の大阪万博では、スマホが普及していますので、待ち合わせと迷子対策のシステムは提供されないと思われます。

 

「分かり易いマークと伝言版を使うことが、迷子にならない工夫」という経験法則は、スマホが使えないという前提条件がなければ、合理的な正しい法則ではありません。



前例主義は、前提条件を無視するので、スマホ時代にも、「分かり易いマークと伝言版を使いつづける」ことに相当します。

 

官庁では、DXは全く進んでいませんが、これは、科学文化の文法で言えば、明らかな間違いの前例主義を繰りかえしているからです。

 

人文的文化の人は、ソクラテス以来の2000年の歴史に耐えてきた真理は、今後も使える真理であるといいます。

 

「分かり易いマークと伝言版を使うことが、迷子にならない工夫」という真理は、スマホが普及する2010年頃までの2000年間は、歴史に耐えてきた真理でした。しかし、数年で、その真理は使えなくなっています。

 

デカルトは、「われ思う故に我あり」といいました。存在とは何かは、2000年来、哲学の重要なテーマでした。現在のテクノロジーでは、存在とは、東経、北緯、高さのGPSポジションの値を付与することです。同じ座標には、1人の人しか存在できません。これは、アプリを書く立場で見れば、強力なIDになります。筆者は、スマホGPSが普及したことで、存在の意味が変質したと考えています。

 

4)まとめ

 

スノーが、科学的文化と人文的文化の断絶を取り上げたのは、1959年でした。

その時は、断絶はありましたが、コンフリクトは少なかったです。

 

現代は、データサイエンスの進歩とクラウドの普及で、2つの文化の間のコンフリクトが日常的に起こっています。

 

AIに見るように、科学的文化の適用範囲(生息域)が拡がり、人文的文化の文法の適用範囲(生息域)は、急速に狭まりつつあります。科学的文化のレジームが急速に拡大する一方で、人文的文化のレジームは、急速に縮小しつつあります。デジタル社会とは、非常に大きな科学的文化のレジームと非常に小さな人文的文化のレジームで構成される社会であると思われます。

 

科学的文化の文法の理解がスタートになり、それは、教育の中心に置かれる必要があります。

 

引用文献

 

地動説 ウィキペディア

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E5%8B%95%E8%AA%AC