(理解した振りをして、問題の症状を悪化させるより、理解できないキャップを認識すべきです)
1)理解できないことを認める
前回、スノーは、「二つの文化と科学革命」で次のことをいったと指摘しました。
(1)科学的文化と人文的文化の間には、理解できないギャップがある。
(2)エンジニアの高等教育が、国力に結びつくので、国は、そのために、努力すべきである。
スノーは、科学的文化と人文的文化の間のギャップを埋める方法については、何も述べていません。ギャップがあることを認識して、行動すべきだといったと理解できます。
2)有識者会議の闇
政府は、何か問題があると、「有識者会議」に問題解決を丸投げします。
有識者会議の実態は、官僚の作った原案の了承にすぎないのかもしれませんが、形式的には、有識者会議のメンバーは、意見を主張できます。
有識者会議のメンバーの7,8割は、人文的文化を背景に持っています。科学的文化が背景のメンバーは少ないです。
「有識者は、与えられたテーマについて解決策を検討できる」という前提があります。
仮に、テーマが、科学的文化に関する課題であっても、人文的文化を背景に検討ができると期待されています。
しかし、この前提は、「二つの文化と科学革命」とは、相いれません。
スノーは、「科学的文化に関する課題は、人文的文化を背景にして論じることはできない。2つの文化の間には、ギャップがある」と主張しています。
故曽野 綾子氏は、中曽根政権における臨時教育審議会(臨教審)のメンバーを務めています。
曽野 綾子氏は、中学教科書において必修とされていた二次方程式の解の公式を、作家である自分が「二次方程式を解かなくても生きてこられた」「二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので、このようなものは追放すべきだ」と発言しています。
曽野 綾子氏の夫の三浦朱門氏は、曽野 綾子氏のこの発言を受けて、教育課程審議会で「二次方程式の解の公式」の削除を主張し、現行中学課程で「二次方程式の解の公式」は必修の事項ではなくなっています。
曽野 綾子氏は、2013年第二次安倍内閣における教育再生実行会議の第一次有識者メンバーに選任されています。
これは、日本の教育が、スノーが指摘した罠にはまったことを示しています。
「二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので、このようなものは追放すべきだ」という発言は、「国力に結びつくエンジニアの高等教育は不要だ」と言っていることになります。「算数ができない大学生で構わない」という趣旨の発言です。
スノーは、国力には、エンジニア教育(自然科学文化)の拡張が重要であること、自然科学文化は、人文的文化では理解できないので、人文的文化の人は自然科学文化には口を挟まないことを主張しています。
二つの文化のギャップが埋められないということは、わかったふりを追放すべきだということです。
現在の政府の重要課題の多くは、自然科学文化に属する課題です。DX、高齢化、少子化、年金などです。「高齢化、少子化、年金」は、自然科学文化ではないと思われるかも知れません。しかし、具体的に問題になっているのは、年齢の数字、出生率の数字、年金の金額です。これらは、数学的な手法を使わなければ検討できません。
ところが、有識者会議のメンバーは、依然として、人文的文化を背景に持った人が主流です。
スノーの論点によれば、2つの文化の間には、ギャップがあり、相互理解が不可能ですから、理解できないことを前提に、政策遂行をしなければ、「エンジニアの高等教育」のような出口に到達しません。
実際に、政府の提示する数値目標は、予算額であったり、期待する労働者数であったりしますが、労働生産性や、所得に関する数値目標はありません。所得の向上は、春闘に期待するわけですから、自然科学文化の人間にとっては、理解不能になっています。根拠となる数式がないことはありえないからです。
このようにスノーの提示した「科学的文化と人文的文化の間にはギャップがあり、埋められないこと、それを前提として科学技術革命を進める必要がある」という問題提起は、現在も有効と思われます。
理解した振りをして、問題の症状を悪化させるより、理解できないキャップを認識すべきです。
科学的文化を理解しないと見えない世界があります。
スノー流に考えれば、科学的文化を理解した人間が見ているDXと、人文的文化を背景にした人が見ているDXは、単語は同じですが、中身は異なり、相互理解はできません。
本書は、スノーにインスパイアされています。
巷にある本の99%は、科学的文化と人文的文化の間のギャップが埋められるという前提で書かれています。しかし、その立場は、わからない問題について、わかったふりをすることを推奨してしまい、問題をより解決困難にしてしまいます。
科学的文化の基本は、わかったことと、わからないことを区別するところからスタートします。そして、これを回避して、成果だけを得る方法はないというのは、科学的文化の基礎になります。
3)補足
以上の検討は、科学的文化と人文的文化の間のギャップを問題にしています。
しかし、人文的文化の中でも、理解のレベルというギャップ問題が存在するようです。
ここでは、この問題を論じませんが、例えば、古谷経衡氏は、人文的文化の中にも理解のレベルの問題があると主張しています。
引用文献
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BD%E9%87%8E%E7%B6%BE%E5%AD%90
クールジャパン機構失敗の考察......日本のアニメも漫画も、何も知らない「官」の傲慢 2022/12/11 Newsweek 古谷経衡
https://www.newsweekjapan.jp/furuya/2022/12/post-32.php