ハドソン・リバー・スクールの研究(8)

9)トーマス・コール「オックスボー」(1836)(2)

 

前回、表現とコンテクストの説明をしましたので、この本が、何を目指しているのかを整理してみます。

 

最初に、コンテクストの復習をします。

 

図式的に描けば次のコンテキストの図式になります。

 

「自然風景の美」=「風景画」+「アメリカの自然保護思想」

 

主題=表現+コンテキスト

 

9-1)コンテクスト

 

筆者は、日本に住んでいますので、「アメリカの自然保護思想」に直接的な関係はありませんが、生態学の問題解決とハドソンリバースクールの関係を調べていくうちに、「アメリカの自然保護思想」に出会いました。

 

シェイクスピアの時代に生きていて、コンテクストを共有していて、シェイクスピアの演劇に感動するという主題の受け取りかたがあります。

 

一方では、シェイクスピアの時代に生きてはいないが、共有できるコンテクストの部分だけで、シェイクスピアの演劇に感動するという主題の受け取りかたがあります。

 

筆者のコンテクストの受け止め方は、後者です。



「共有できるコンテクストの部分」は、非常に多様です。

 

「ロメオとジュリエット」のように、各時代に、「ロメオとジュリエット」を下敷きにした創作は多数あります。

 

それは、「共有できるコンテクスト」を拡げるための工夫なのか、創作なのか、線引きは不可能だと思われます。

 

同様の問題は、音楽や美術にもあります。

 

9-2)表現

 

ここでは、オックスボーを取り上げているといっていますが、実際に取り上げているのは、オックスボーの写真です。

 

鳥取県は、3億円で「ブリロの箱」を購入しましたが、恐らく、そこには、写真では、ダメで、本物に価値があるという考えがあります。

 

しかし、筆者、本物に、各段の価値があるとは思いません。

 

表現がコンテクストの下で、脳の中に主題を描き出せれば良い訳だと考えています。



デジタルな写真や動画の場合には、本物のコピーとの間に差はありません。それどころか、デジタル情報は、それが乗っているハードウェアとは独立しています。

 

さらに、ここでは、オックスボーから、風景写真を撮影する際に参考になる部分を抽出しようとしています。

 

簡単に言えば、コンテクストと切り離した表現を問題にしています。

 

9-3)実例

 

写真1は、METのHPからダウンロードしたオックスボーです。

 

写真2は、Wikiからダウンロードしたオックスボーです。

 

実は、色の印象が異なります。

 

さらに、最大のピクセルサイズと縦横比が異なります。

 

出典 ピクセル 縦横比

Wiki   3,181 × 2,161  1.471:1

MET 4000x2377     1.683:1

 

写真3は、Wikijpegを編集して、見やすくしています。

 

写真4は、写真3の中で、コールが描かれている部分を拡大しています。

 

写真1、写真2、写真3からうける印象は違います。

 

写真1は、くすんで見えます。

 

コールがオックスボーを書いてから、180年がたっています。

 

現在のオックスボーがくすんでいても、1836年にも、くすんでいたとは言えません。

 

そうなると写真3のように見やすく編集しなおすことが誤りとは言えない部分もあります。

 

筆者の関心は、写真と自然保護にありますので、とりあえず、見やすく編集してから、引用するつもりです。

 

実際に編集して見ると筆のタッチが非常によくわかるようになりました。





出典

 

オックスボー MET

https://www.metmuseum.org/ja/art/collection/search/10497

 

オックスボー Wiki

https://en.wikipedia.org/wiki/The_Oxbow

 

 

 

 

 

写真1 オックスボーMET

 

 

写真2 オックスボー Wiki

 

 

写真3 オックスボー Wiki (編集後)

 

 

写真4 オックスボー部分 Wiki (編集後)