ハドソン・リバー・スクールの研究(7)

8)コンテキストと主題を巡って

 

8-1)コンテキストとは

 

IT用語辞典には、次のように書かれています。

 

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コンテキスト

【英】context

 

コンテキストとは、プログラムの実行に必要な各種情報のことである。

 

「context」(コンテキスト)は、「文脈」、「前後関係」などと訳されるが、IT用語としては意味がイメージしづらく、単にコンテキストとある場合は、何らかの制御情報と考える方がわかりやすいことが多い。

 

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これは抽象的ですが、コンテキスト(文脈)は、次の例をみれば、簡単にわかります。

 

(1)「ハシ」を渡る。

(2)「ハシ」で食べる。

 

(1)は「橋」で、(2)は、「箸」ですが、それは、「渡る」と「食べる」のキーワードから、コンテキストを判断して初めて特定できます。

 

つまり、主題(「橋」か「箸」)は、表現(「ハシ」)とコンテキストから構成されます。

 

8-2)ハドソンリバースクールのコンテキスト

 

ハドソンリバースクールの主題は「自然風景の美」です。

 

表現は、「風景画」です。

 

コンテキストは、「アメリカの自然保護思想」となります。

 

図式的に描けば次のコンテキストの図式になります。

 

「自然風景の美」=「風景画」+「アメリカの自然保護思想」

 

主題=表現+コンテキスト

 

ハドソンリバースクールの風景画を日本に持ち込んで、展示を行ったと仮定します。

 

日本人の多くは、「アメリカの自然保護思想」には関心がありません。

 

そうすると、コンテキストが異なりますので、同じハドソンリバースクールの風景画をみても、主題(受けとる印象)が異なってしまいます。

 

もちろん、展示に「アメリカの自然保護思想」の説明をつけることで、ギャップはある程度は解消されますが、風景画の持っている「アメリカの自然保護思想」に基づく、環境保護活動という社会性まで、コピーすることはできません。

 

アメリカでは、ハドソンリバースクールの風景画の「自然風景の美」を賞賛することは、「アメリカの自然保護思想」に共鳴していることを意味します。

 

「自然風景の美」は、自然保護(アメリカの自然保護思想)と切り離せないのです。

 

これは、STEAM教育を考える上では、決定的なポイントになります。

 

8-3)コンテキストの発見

 

コンテキストの機能を次のようにコンテクストの図式で表現しました。

 

主題=表現+コンテキスト

 

これから、主題を変えるには、表現を変えなくとも、コンテキストを変えれば良いことがわかります。

 

デュシャン「泉」(Fontaine)は、1917年に制作されたレディメイドの芸術作品であり、磁器の男性用小便器を横に倒し、"R.Mutt"という署名をしたものに「Fountain」というタイトルを付けたものです。

 

「泉」は「芸術の概念や制度自体を問い直す作品として、現代アートの出発点」であり、従来の伝統的な彫刻形式をはみ出した造形作品としての"オブジェ"の認識は本作から始まったとされています。

 

泉の表現に、新しいところはありません。この作品は、今までだれも気付かなかったコンテクストを発見した点に意味があります。

 

写真が普及して、画家は、絵画と写真の表現の差別化に悩みます。

 

例えば、1814年に製作されたアングルの「グランド・オダリスク」には、写真との差別化を図るために、デフォルメがなされています。

 

デュシャンはコンテクストに焦点をあてて、この問題の解決法を見出しています。

 

ハドソンリバースクールの絵画をみれば、デュシャン以前でも、コンテクストが重要でなかった訳ではありません。

 

全ての主題は、コンテクストの元でしか理解されないからです。

 

デュシャン以降の現代美術では、「表現」と「コンテキスト」の双方にコミットすることが当たり前になりました。

 

ウォーホルは作品の中に写真を使うことを躊躇しませんし、デュシャンと同じように、既製品をつかうことも躊躇しません。これは、「コンテキスト」にコミットしているという絶大な自信があるためと思われます。

 

8-4)ブリロの箱

 

鳥取県は、2022年9月までに、「ウォーホルの実在した洗剤の包装箱をコピーした木箱『ブリロの箱』」を5点合わせて、およそ3億円で購入しています。3年後にオープン予定の県立美術館の目玉の一つにしようというのです。

 

鳥取県は、ウォーホルの「キャンベル・スープ缶」(1961)も2022年8月に4554万円で購入済みで、「ブリロの箱」とともに展示するということです。

 

この作品について県教育委員会は開館後3年ほどかけて、作品を鑑賞した来館者を対象に、作品への評価を聞く投票やアンケートを行う方針を示しました。

聞き取った声や鑑賞後の来館者の反応を踏まえ、「今後の取り扱いを検討する」としています。

 

デュシャンの「泉」は、コンテクストだけの作品です。泉の男性用小便器をじっくり見ても、モナリザのような美が見つかる訳ではありません。表現は、レディーメードの製品です。表現はありますが、陳腐です。仮に、デュシャンが現在展示されているものとは別の型番の男性用小便器を選んだとして、「泉」の価値が決定的に変わっているとは思われません。

 

表現がなくなって、コンテクストだけになる場合もあります。

 

地下鉄日本橋駅の北、徒歩1分。日本橋川に架かる日本橋南詰の西側にある。江戸期には高札場が設置されていたところに、日本橋由来の石碑があります。

 

現在の石碑は、1936年に日本橋区が設置したとても大規模なものですが、簡単な石碑一つであっても、「ここに東海道の始点の日本橋があった」という主題は変わりません。

 

筆者は、デュシャンの「泉」も、歴史的な石碑と同じように、ここから、コンテクストに注目する現代美術が始まったという歴史的な価値があります。これは、文芸作品の初校本と同じような価値です。

 

ウォーホルの「キャンベル・スープ缶」と「ブリロの箱」にも、同じような歴史的価値があります。

 

しかし、スーパーで売られている同じデザインの「キャンベル・スープ缶」と「ブリロの箱」に比べて、ウォーホルの作品が各段に美しいわけではありません。

これは、現代語訳の日本語で読むシェークスピアが、初校本で読むシェークスピアに比べて感動が劣るわけでないことと同じです。

 

主題は、見る人、読む人の頭の中にできるイメージです。表現はその手段にすぎません。

 

デュシャンやウォーホルは、コンテストに価値を見出したのですから、コンテクストを無視して、鳥取県が、ウォーホル作品を購入することは、美術館ではなく、美術史館をめざしているように見えます。

 

鳥取県の状況は分かりませんが、筆者は住んでいるつくば市をみれば、環境保全政策、公園のデザイン、街路のデザインなど、ハドソンリバースクールの画家であれば、美術館の外に出て、地域を美しくするためにコミットすべき点が多数残されています。たとえば、公園のデザインは、ディベロッパー任せで、地域の統一性がありません。欧米では、公園や街路について、デザインマニュアルがあって、地域の統一感を出すのが普通ですから、これは、異様に感じます。最近の公園は、維持管理の増大をきらって、出来るだけ大きくなる木を植えない傾向にありますが、そうなれば、鳥の餌がなくなって、野鳥の数が減ってしまいます。

 

筆者には、美術史館を作るより優先順位の高い美術のテーマがあると感じられます。

 

8-5)エリートを美術

 

山口周氏は、世界のエリートは、ビジネスのアイデアを生み出すために、美術館通いをして美意識を鍛えているといっています。

 

山口周氏の著書は、世界のエリートが、美術館で何を学んでいるのかを書いていません。

 

筆者は、美術館で学ぶことの一部は、コンテクストの図式にあると考えます。

 

ビジネスで、過去に成功した人は、ヒストリアンの多い日本では、尊敬されます。

 

コンテクストの図式で、過去の成功をかけば次になります。

 

ビジネスの成功=経営戦略+コンテスト(ビジネス環境)

 

ヒストリアンは、過去の成功者を持ち上げて、過去に成功した経営戦略がさも有効であるかのように描き立てます。典型は前例主義です。

 

しかし、現在では、ビジネス環境が大きく変化していますので、過去に成功した経営戦略を繰り返せば、確実に失敗します。

 

お気づきと思いますが、この課題は、コンテクストの変化に対応してきた美術の歴史そのものです。

 

これは、筆者の想像にすぎませんが、エリートは、コンテクストの図式で、美術を見ているのではないでしょうか。

 

また、コンテクストの図式を考えれば、美術(Art)は、STEAM教育において、極めて重要な役割を果たせることがわかります。



ハドソンリバースクールから、随分先にきてしまいしたが、美術におけるコンテクストの課題は、重要です。




引用文献

 

コンテキスト IT用語辞典

https://www.sophia-it.com/content/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%83%88



鳥取県が3億円で“洗剤の箱”購入 “税金の無駄遣い”か“地域活性化起爆剤”か? 2022/10/28 テレ朝ニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/0c10f77845a253ac0478e8c67972edfea21101ea

 

“ブリロの箱” 開館後に投票を行い「今後の取り扱いを検討」2022/12/07 NHK Newsweb

https://www3.nhk.or.jp/lnews/tottori/20221207/4040013674.html

 

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」山口周(光文社、2017年)