経験科学の終わり(1)

1)デジタル社会とDXを正しく理解する

 

デジタル社会へのシフトは始まっています。

 

デジタルシフトをどう進めるかが検討されています。

 

1959年、イギリスの著作家C.P.スノーは「二つの文化と科学革命」というタイトルで、講演を行い、科学革命という現実を踏まえて、文系知識人が科学技術に対する基本的な認識と理解をもつよう努力すべきではないかと主張しました。

 

1959年は、クーンのパラダイム論が出て来る前でしたので、スノーは、パラダイムという用語を使っていませんが、世界の理解には、文系と理系の2つのパラダイムがあると主張したかったと考えられます。

 

スノーは、自然科学の概念を正しく理解するためには、文系の辞書的な知識では歯が立たないので、科学教育の強化が必要であると主張しました。

 

筆者は、スノーは、本当は、自然科学の問題は、自然科学の論理(パラダイム)で考えなければナンセンスだと言いたかったのだと考えます。

 

しかし、その頃は、文系知識人が問題とする課題と、科学技術が問題とする課題の間の重複は少なかったので、問題が表面化することはありませんでした。

 

2009年に、Microsoft Researchの故Jim Grayは、4つのパラダイムを提唱しました。

 

第1:empirical science(経験科学)

第2:theoretical science(理論科学)

第3:computational science(計算科学)

第4:data-intensive science(データ集約型科学、データサイエンス)

 

デジタル社会になって、人類は、4つのパラダイム、つまり、4つの論理を持つようになりました。

 

2009年頃に、データサイエンスの登場によって、文系知識人(経験科学者)が扱う問題と、データサイエンティストが扱う問題は、大きく重複するようになりました。

 

人類は、同じ問題を解決する経験科学とデータサイエンスという2つのパラダイムを持つようになりました。

 

これは、アリストテレスから数えれば、2000年に1度の、大革命です。

 

この重複は、2つのパラダイムが選択できるデータサイエンティストには、見えますが、パラダイムが1つしかない経験科学者には見えません。

 

50年経って、スノーの不安が的中したとみることもできます。

 

DXは、データサイエンスの応用ですから、データサイエンスの論理(パラダイム)で考えるべきです。

 

しかし、日本の現状をみると、経験科学者の論者が多いために、DXは経験科学の論理で、語られています。

 

「デジタル社会へのシフトとは何か」、「DXが成功するための条件は何か」、こういった問題は、データサイエンスの論理で考えなければ、正解に到達できません。

 

データサイエンスの論理を正確に理解するには、データサイエンスを学ぶ必要があります。

 

しかし、そのハードルは学習者にとって、低くはありません。

 

そこで、本書では、厳密性は犠牲にして、例によって、データサイエンスの論理を示してみたいと思います。データサイエンスの論理で見える世界と経験科学の論理で見える世界が大きく異なることを示したいと思います。

 

これができれば、DX問題の本質に踏み込んで検討できるようになると思います。