レジームシフトと評価の課題~経験価格の終わり

(レジームシフトを進めるには、評価が出来る必要があります)

 

1)レジームシフトモデル

 

デジタル社会化インデックスは、DXを考えるときに、企業が経営方針の決定に依存する科学パラダイムには、経験科学とデータサイエンスの2つがあり、その比率で、企業のデジタル社会への移行度と将来性を評価するというアイデアでした。

 

このインデックスは、科学パラダイムを基準に考えています。

つまり、経営方針を決める主体である経営陣や、年功型、ジョブ型といった企業組織と科学パラダイムは独立していると考えています。

 

言い換えれば、同じ企業組織の中に、年功型組織とジョブ型組織が混在する、あるいは人に着目すれば、年功型ルールで働いている人とジョブ型ルールで働いている人が混在する前提のインデックスです。

 

欧米の企業や、アメリカの公務員のように、雇用が全てジョブ型で、幹部が回転ドアのように、組織を渡り歩く場合には、出世競争のための社内政治が企業経営に影響力を持つことはありません。

 

しかし、日本の年功型組織では、回転ドアによって幹部が組織外からパラシュートで降り立つことはないので、組織内の政治グループのどこに属しているかで、出世が決まってしまいます。

 

その典型は、自民党の派閥に見ることができます。

 

ヒストリアンの政治の専門家は、これが、日本の政治ルールであり、自分が政治ルールを誰よりも熟知している専門家であると言います。

 

テレビや新聞に出てくる専門家とはこうした人たちです。

 

しかし、派閥政治の年功型組織ルールは、科学法則ではないのでルールの変更は可能です。

 

台湾では、政治経験のないオードリー・タン氏が、大臣を務めています。

 

日本では、新しい閣僚が決まると経歴が紹介され、そこには、過去に経験したポストが書かれています。過去のポスト経験と閣僚の能力には関係がありません。過去についていたポストで、悪い業績しかあげられなかった人はいくらでもいます。国際比較では、過去30年の間、日本の企業組織の世界ランキングは下がり続けていますから、大企業の幹部であったという経歴は、実体としては、国際的な優良企業の平均以下の業績しか上げられなかったことを示している確率が高いと言えます。

 

学問の世界では、東京大学の教授は権威があるのかも知れません。しかし、世界の大学のランキングで、東京大学のランキングは、毎年低下しています。

 

2022年11月8日に英国の大学評価機関クアクアレリ・シモンズ(QS)が発表した2023年版「アジア大学ランキング」では、東京大学は11位で、中国、香港、シンガポールの大学に抜かれているだけではなく、韓国のKAIST (韓国科学技術院)とマレーシアのマラヤ大学 (UM) にも抜かれています。

 

前年と比べると日本の全大学のうち、83%の順位が下がり、 7% が改善、10%が現状維持です。

 

一方、ベトナム は、大学全体の55%が順位を上げ、アジアで最も改善が見られています。

 

10校以上ランクインしている国の中で、マレーシアはトップクラスの教育機関が最も集中しており、全体の22%が上位100位内に、17%が上位50位内にいます。

 

日本の人口は、韓国の2倍、マレーシアの3倍あります。中国は、日本より人口が多いですが、シンガポールと香港の人口は日本より少ないです。

 

こう考えると、東京大学の教授の実力は、国際的にはあまり高くありません。

 

つまり、東京大学というラベルをはずして、教授の実力を判断することが必要です。

 

すくなくとも、大学ランキングはそうした試みの一つです。

 

2)評価の課題



政治経験がなかったオードリー・タン氏は、大臣になり、業績を上げています。つまり、優秀な閣僚になるためには、政治経験が必要ではありません。

 

むしろ、価値のない政治経験(経歴)を持っている人を排除して、オードリー・タン氏のような政治経験はないが実力のある人を任用しないと国が潰れてしまいます。

 

年功型組織で、オードリー・タン氏のような経験はないが実力のある人を任用すると、その結果、順番待ちで大臣になり損ねた人がでます。この人は、経験はないが実力のある人の任用に反対します。自分が大臣になると言います。

 

つまり、年功型組織ルールに基づく派閥政治のルールの切り替えには反対する人がでます。

だから、経験則は正しいという解釈もできますが、生態学では、この現象は、現状環境維持のレジリエンスと解釈します。

 

デジタル社会になるとレジームシフトが起こります。工業社会に適合していた人は、失業したり、居場所がなくなります。

 

生態学のレジームシフトを取り上げるのは、比喩(アナロジー)ではありません。

 

10年くらい前から起こった現在の生態学は、自然生態系と人間社会生態系の2つをセットで考えます。

 

自然保護を行い、温暖化ガスの排出を減らすことは生態学の課題の一つです。経済社会が、こうした努力をすすめられないのであれば、それは、人間社会生態系の課題であって、人間社会生態系も改善しないと問題解決はできないと考えます。

 

生物の生息地を保全することと、人間社会生態系を改善することは、どちらも生態学の課題であるとみなします。

 

口が悪い人の言い方では、生態学では、人間社会生態系も猿山のサルとおなじレベルでモデル化して、グループ活動のルールをかえないと、自然生態系の劣化はとまらないと考えます。

 

どのようにルールをつくると自然生態系の劣化が止まるかは、生態学の課題です。

 

さて、話をオードリー・タン氏の事例に戻します。オードリー・タン氏は、閣僚になるまで、政治経験は、ありませんでしたが、優秀な方です。

 

どうして、台湾の総統は、オードリー・タン氏が優秀だとわかったのでしょうか。

 

ここで、注意したい点は、優秀というのは、ITエンジニアとして優秀ということではなく、閣僚(大臣)として優秀であることを指していることです。

 

オードリー・タン氏は閣僚になる前には、政治経験がありませんでした。

 

しかし、蔡英文氏は、オードリー・タン氏は、政治家としても優秀であると判断して、閣僚に抜擢しています。

 

「ジョブ型組織への移行の課題」で、大前研一氏の「日本では、ジョブ型雇用が成功しない原因は、評価ができていないためである」という見解を紹介しました。

 

この場合の評価とは、仕事をやった結果の評価です。

 

大臣であれば、大臣を数か月以上勤めたあとの評価です。

 

しかし、蔡英文氏は、オードリー・タン氏が大臣になる前に、オードリー・タン氏が政治家としても優秀であると判断しています。これは政治家としての能力評価です。

 

この評価は、大前研一氏のジョブ型雇用におけるジョブを実施した後の出来高評価とは違う能力評価です。

 

オードリー・タン氏のような若く優秀な人を、組織の重要なポストにつけるには、実力を反映していない経験による評価を捨てて、能力評価が出来なければなりません。

それでは、どうしたら、能力評価ができるのでしょうか。

 

ジョブ型雇用で、新人を採用する場合を考えます。

 

ドイツのように、インターンで実績をあげないと、新規採用されない国もあります。

 

日本も、インターンを就職に活用することが解禁になりましたので、やっと、ドイツ並みの評価のスタート地点についています。

 

しかし、インターンの出来ない場合には、どうして能力を評価すべきでしょうか。

 

次に、この点を考えます。



引用文献

 

QS Asia University Rankings 2023 

https://www.topuniversities.com/university-rankings/asia-university-rankings/2023

 

QS アジア大学ランキング2023発表 上毛新聞

https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/200570