もうひとつのバイアス~経験科学の終わり

(カーネマン氏のバイアスについて補足します)

 

1)ファスト回路のバイアス

認知バイアスは、日常扱っている情報に偏りがあり、思考回路が経験科学の第1のパラダイムに偏っているために起こります。

科学パラダイムの違いによって起こるバイアスは、本書のメインテーマです。

メインテーマとは異なりますが、もうひとつのバイアスがありますので、ここで、補足しておきます。



カーネマン氏は、脳の回路に、ファスト回路(システム1)とスロー回路(システム2)があると説明しました。

カーネマン氏の説明のポイントは、システム2は、意図して使わないと利用できないという点です。

問題解決を惰性に任せて進めるとシステム1ばかりが活躍して、システム2が使われることはありません。

2022年10月28日の経済対策は、30兆円近い予算を投入しながら、その場凌ぎの対策であって、問題の原因解決を先送りしていると批判されています。

批判する人は、批判すれば、問題の原因解決を検討してもらえるだろうと期待しています。

日銀の金融緩和政策は、10年続きました。金融緩和政策は、始めた頃から、出口戦略が描けないという批判を受けています。

ここでも、批判する人は、批判すれば、日銀は出口戦略を考えてくれるだろうという期待を持っているわけです。

この2つの例では、システム1で検討した内容(短期対応)には問題があるから、中長期対応をシステム2で検討すべきだと言っています。

しかし、カーネマン氏の説明では、システム1を封印(一旦休止)しなければ、システム2は稼働しません。

カーネマンモデルは次のように考えます。短期対策と中長期対策がセットで発表されている場合には、2つのシステムが稼働しています。短期対策だけの場合には、システム1しか稼働していません。つまり、中長期対策は考えられていないはずです。

恐らく、政策担当者は、「自分には政策立案を考える能力がある。とりあえず、短期対策を考えておいて、その後で、中長期対策を考えれば良い」と思っているでしょう。

カーネマン氏は、システム2で先に中長期対策を考えて、次に、システム1で短期対策を考えることはできるが、逆順では、システム2が働かないので、中長期対策は考えられないといいます。

つまり、ここには、政策担当者が、ファスト回路と同じ頭の使い方で、中長期問題も考えることができると自信を持っているもうひとつのバイアスがあります。

政府の経済対策も、日銀の出口戦略も、短期的な検討を繰り返しています。

これは、ファスト回路しか使われていないことを示しています。

カーネマンモデルによれば、システム2を停止しているので、政府も、日銀も、出口戦略を考えることはできないといえます。

解決方法はあるでしょうか?

欧米では、政府と関係のない独立系のシンクタンクが、政策提言レポートを出しています。レポートの内容には、批判があるかもしれませんが、政府に、システム2を使うように促す効果は大きいと考えます。

2)ドキュメンタリズムのバイアス

補足の第2は、ドキュメンタリズムのバイアスです。

これは、意思決定過程において、文書のタイトル(形式)が内容を優先するためにおこるバイアスです。

新しい資本主義は、まず、タイトルがあって、次に専門家を集めて内容を入れこみます。

首相は、最大の権力者です。人事権をもっていますから、反対する人はまずいません。首相が号令をだすと見かけ上は、号令どおりに世の中が動いているようにみえます。

これは、首相に限らず、組織の権力者は、人事権を持っていますから、権力者の号令は基本的に通ります。そうすると、号令で組織が動いて世の中が変わるという認知バイアスが生じます。

この状態になるとドキュメンタリズムが止まらなくなります。

ドキュメンタリズムは科学的には、不合理で、エビデンスがあれば、崩壊します。

エビデンスをとらない、あるいは、エビデンスを尊重せずに、過去の経験という2次データに依存した経験科学の意思決定をするとドキュメンタリズムが崩壊しません。

日銀は、債券市場と株式市場に過度に介入して、2つの市場のエビデンスの指示機能を破壊しています。介入の是非はともかく、これは、ドキュメンタリズムの温存政策になっています。この2つがエビデンスとして機能していた場合の金融政策は、現在とは大きく異なります。

スティーブ・ジョブズ氏は、最初、iPhoneの開発には反対でした。しかし、幹部とのディスカッションで、意見をかえます。もちろん、ジョブズ氏は、無条件で意見を変えた訳ではありません。最初の1歩を踏み出して、エビデンスを見て軌道修正する条件付きで、合意しています。