ドキュメンタリストとは何か~ドキュメンタリズムの研究

(ドキュメンタリズムの推進者であるドキュメンタリストについて説明します)

 

1)ドキュメンタリストの特徴

 

ドキュメンタリズムに従って、行動する人をドキュメンタリストと呼びます。

 

ドキュメンタリストは、内容が完全には理解できない問題について問題解決方法を知っているように装います。

 

もっとも、ドキュメンタリストにとっては、形式が全てですから、内容を問題にすることはあり得ません。

 

整理すべき問題は次の2点です。

 

(1)ドキュメンタリズムの実装のされ方

(2)ドキュメンタリストの分布

 

ドキュメンタリズムは、形式はあるが、内容のない文書を中心に世界が動くという思想です。

 

経済学は、市場原理に従って、経済は動くと考えますので、常に市場取引という内容を念頭に置いています。このため、経済学者は、ドキュメンタリストにはなりません。

 

科学は、世界がある法則に従って、動いていると考え、その法則の解明を試みます。ここでは、法則が内容ですから、科学者は、ドキュメンタリストにはなりません。

 

データサイエンスは、世界が、データに基づく統計法則に従って動いていると考えますので、ドキュメンタリストにはなりません。

 

統計法則は、物理法則のように、時間が経過しても変化しないとは言えず、時間が経つと、法則が変化してしまう淡い法則です。このため常にデータを更新して、統計法則をバージョンアップする作業が必要になります。

 

 DXをロボットの導入のようなものと勘違いしている人もいますが、DXはデータサイエンスの応用ですから、ドキュメンタリストは、DXを進めることができません



ドキュメンタリズムは、科学的な世界観でみれば、存続することが難しい思想です。しかし、法学の実定法の世界では、基本思想です。

 

何が、正しい法律(ルール)であるかについては、大きく2つの立場があります。

 

(1)実定法:法律は書かれているルールが実体である

 

(2)慣習法:法律は世の中で通用しているルール(慣習)をまとめたものである。法律の実体は慣習にあり、時代とともに変化する。

 

この2つの立場は、割り切れるものではなく、実際の法律の運用では混在しています。伝統的にアングロサクソン系の人は、慣習法を重視するといわれています。



実定法の典型は、刑法で、法律違反は、違法の基準を決めて、違法者は警察が取り締まればよいと考えます。その手順に間違いはありませんが、犯罪の発生確率を下げられる訳ではありません。貧困国にいくと、食べられないために、法律違反をする人がいます。日本も、貧困問題が拡大すれば、犯罪が増える可能性がありますが、刑法で、犯罪の増加を抑えられる訳ではありません。

 

保育園と幼稚園は、法律で定められています。法律があるから、組織があるのは、ドキュメンタリズムです。

 

一方、保育園と幼稚園の業務内容は似ているので、統合すべきという人もいます。これは、実態に合わせて、法律を柔軟に変えるべきだという発想は、慣習法の発想です。

 

保育園と幼稚園の統廃合ができませんので、ドキュメンタリズムが強いことがわかります。

 

保育園と幼稚園の統廃合問題は、省庁再編問題の一部です。

 

行政の効率化を進める省庁再編が進まない原因には、ドキュメンタリズムがあります。ドキュメント作成時に内容が検討されて記載されていれば、内容をインデクスに組み替えることができます。しかし、ドキュメンタリズムは形式主義で、内容を詳しく記載しませんので再編は難しくなります。

 

2)内容のある文書の作り方

 

ドキュメンタリズムにならない文書を作成する方法は次のようなものです。

 

(1)内容を常にモニタリングして、文書と内容のずれをチェックする。

(2)文書の作成時に、グループで検討し、内容を形式に落としこむ。(内容ファースト)

 

(1)は、医師の出す処方箋と薬を飲んで、病状が改善するまでの一連の流れを考えれば、理解できます。処方箋は、病状の変化に合わせて、バージョンアップされねばなりません。

 

(2)は、内容のある文書は、文書の発表者や製作者とは独立して価値があることをさします。

 

たとえば、総理大臣が新しい資本主義という文書を作成して、発表します。これは、文書の形式です。次に、新しい資本主義という文書に合わせた内容をつくるように、専門家の委員会をつくります。専門家の提言を受けて、文書に内容が書き込まれます。内容は空っぽではないとは思いますが、形式が内容を優先していますので、ドキュメンタリストが活躍しています。

 

新しい資本主義は、首相が言ったという形式に価値があるのであって、発表の内容が優れていたから、注目された訳ではありません。

 

中国の習近平政権では、政策を発表するまでに、経済の専門家を含めて、組織の中で徹底的に政策が揉まれます。そこでは、内容が全てです。政策発表時には、内容があります。

 

アメリカのバイデン政権でも、政策を発表する前に、政策集団が徹底的に内容を検討します。バイデン大統領は時々、政策集団の合意を忘れた失言をして訂正しています。

 

国際社会で、行政のトップが、人の話を聞くというとき、その意味は、政策を政策集団の中で、よく検討してから発表することを意味します。

 

新しい資本主義の文書は、実態は、首相ではなく、黒子の官僚がつくったものと思われます。しかし、国際標準からみれば、これは、ドキュメンタリストの手順であって、異常です。

 

ここで言いたいことは、政策の良否ではありません。

 

問題は、異常なドキュメンタリストの手順を誰も指摘しない認知バイアスが蔓延しているということです。

 

内容のある文書の作り方に戻らないと、政策検討のスタート地点にすらつけません。