(弱いドキュメンタリズムと手段の目的化を説明します)
制御工学では、目的値を設定し、観測された目的変数の値と目的値のずれを使って制御量を変化させます。この制御方式の基本はフィードバックループをつくることです。
実例をあげれば、カーナビでは、目的地を設定します。
カーナビは、推奨ルートを案内しますが、間違ってルートから外れてしまった場合には、ルートに戻るように、案内します。
カーナビでは、道案内、あるいは、ハンドルで向きを変えることが制御量に相当します。目的地(あるいは選択されたルート)が、目的値であり、観測された目的変数が、GPSによる現在地のデータになります。
ルートを外れた場合、GPSで目的変数の値を観測して、目的値のずれを制御量(ハンドルの回転)にフィードバックすれば、自動車は、必ず、目的地に到達することができます。
カーナビは、距離優先、時間優先、一般道路優先(コスト優先)など、複数のルートを提示しますが、フィードバックループが働いていれば、どのルートを通っても必ず目的地に到達できます。
つまり、目的を達成する手段(ルート)は複数ありますが、手段の違いは、フィードバックループが働いていれば、本質的な差を生みません。
カーナビのドライブの内容は、目的地に到達することであって、ルートを選択することは手段にすぎません。
一方、フィードバックループが働かなければ、自動車は、目的地に到達できません。
内容の実現のためには、目的変数を観測して、目的値とのずれを、制御量にフィードバックすることが欠かせません。
2)弱いドキュメンタリズムと形式の目的化
強いドキュメンタリズムでは、形式が全てで、内容がありません。
弱いドキュメンタリズムでは、形式が内容を優先します。
手段と目的で言えば、ルート選択は、手段です。
カーナビの例でいえば、選択されたルートは手段であって目的ではありません。
ルートを目的と考えることは、手段を目的化することです。
ドキュメンタリストは、弱いドキュメンタリズムを使って、このように、手段を目的化します。
手段を目的に設定すると、本来の目的が消えてしまいます。
目的から、本来の目的値を取り外し、目的地に到達するためのフィードバックループを破壊します。
その結果、目的地には到達しなくなります。
恐ろしいことに、手段を目的にすり替えておいて、数値目標という言葉が使われることがあります。
科学技術について次のような数字が過去に、数値目標になっていました。
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国際標準化機関における幹事引受け件数を 2020 年までに 150 件に増加
技術輸出額は 2020 年までに約3兆円
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これは、科学技術振興の目標ではありません。
技術輸出の内容(目標とする開発すべき技術の中身)は書かれていません。
国際標準化機関における幹事引受け件数は、研究の内容とは関係がありません。
ここには、手段と目標のすり替えがあります。
この科学技術振興策を書いている人は、ドキュメンタリストです。
この科学技術振興策には、形式はありますが、内容はありません。
この科学技術振興策を書くためには、科学技術の内容を理解する必要はありません。
そう考えると、科学技術振興策を書いた人は、科学技術の内容が全く理解できていなかったか、理解するつもりが全くないかのいずれかです。
カーナビで誘導するときには、目的地を設定して、フィードバックループを使います。
目的地をうやむやにして、目的地の代わりにルートを目標に採択し、フィードバックをかけなければ、自動車は、目的地にはつきません。
現在の科学技術振興策は、このレベルですから、何が起こるかは、最初からわかります。
日銀は、10年の間繰り返し2%のインフレ目標を設定しています。しかし、2%は、カーナビで言えばルートに他なりません。目標は、経済を活性化することです。そのためのルートは、金融緩和だけではありません。技術革新があって、労働生産性が上がれば、インフレ目標が達成できなくとも経済は上向きます。目標に到達するルートは複数あります。カーナビと同じように、必ずしもベストに近いルートであることは目標達成の必要条件ではありません。重要なことは、フィードバックループが機能することです。
もちろん規制緩和は、日銀の権限ではありません。しかし、生きている経済は縦割りではありませんから、関係する部署と連絡調整しながら、政策を進めなければ、永久に問題は解決できません。
科学技術のリテラシーがあれば、ドキュメンタリストになることはありません。
ドキュメンタリストが蔓延すると、誰も、目標について考えられなくなります。
周囲がドキュメンタリストだらけになると、洗脳されて、目標がどこにもなくなります。
こうなると、ラベルに目標と書かれた事項は、手段であって目標ではありませんが、誰もそれを問題にしなくなります。