CPS(cyber physical system)とアーキテクチャ
(CPSとアーテクチャの関係を整理します)
1)柴田本
柴田友厚氏は、2022年8月に、「IoT戦略と日本のアーテクチャ戦略」という本(以下柴田本)を出版しています。
柴田本は、伝統的な自動車などのモノづくりのアーキテクチャと新幹線などの交通システムのアーキテクチャを主に扱っています。
筆者は、アーキテクチャをエンジニアリング、ビジネス、社会問題の解決、科学の手法などのより広い範囲を対象とする概念として使っていますので、重なる部分は、主に、モノに関係する部分になります。
柴田友厚氏は日本の事例を丁寧に調べて、最近の動向をまとめています。
筆者の読む文献の7割は英文で、和文の文献の量は、全体の3割くらいまでさがっています。その点では、日本のモノのアーキテクチャ実体を把握する上では柴田本は有益でした。
柴田氏は、CPSがこれから重要になるといいます。CPS(Cyber Physical System)とはフィジカルシステム(現実世界で)、センサーシステムが収集した情報をサイバー空間(クラウド空間)でコンピューターが処理解析する技術です。
2)CPS
ところで、CPSの説明をWEBで検索すると百人百様です。柴田氏の説明もフィジカルとサイバーの融合というものでよくわかりません。
ソーカルの「思想家が数学や物理学の用語をその意味を理解しないまま遊戯に興じるように使用している」と、スノーの「賢明な人びとの多くは物理学にたいしていわば新石器時代の祖先なみの洞察しかもっていない」を思い出しましょう。恐らく、CPSの意味を正確に理解できないで用語を振り回している人が多いと思われます。
こうした場合に、役に立つのは英語版のウィキペディアです。CPSの説明は以下の通りです。
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従来の組み込みシステムとは異なり、本格的な CPS は通常、スタンドアロン デバイスとしてではなく、物理的な入出力を備えた相互作用要素のネットワークとして設計されています。この概念は、ロボティクスとセンサー ネットワークの概念と密接に結びついており、経路をリードする計算知能に固有の知能メカニズムを備えています。科学と工学の継続的な進歩により、インテリジェントなメカニズムによって計算要素と物理要素の間のリンクが改善され、サイバーフィジカル システムの適応性、自律性、効率性、機能性、信頼性、安全性、および使いやすさが向上しています。これにより、サイバーフィジカル システムの可能性がいくつかの方向に広がります。精度(例えば、ロボット手術やナノレベルの製造); 危険またはアクセスできない環境での操作 (例: 捜索救助、消防、深海探査); 調整 (例:航空管制、戦闘); 効率性(ゼロ正味エネルギー建物など); 人間の能力の増強(例えば、ヘルスケアの モニタリングと提供)。
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英語版では、「この概念は、ロボティクスとセンサー ネットワークの概念と密接に結びついており、経路をリードする計算知能に固有の知能メカニズムを備えています」という説明がありますが、ここがポイントです。
上記の例では、「危険またはアクセスできない環境での操作 (例: 捜索救助、消防、深海探査)」とあります。ここでは、センサーのデータから、サイバー空間内に、3次元空間を再現します。この3次元空間のリアルタイムでの再現が、「経路をリードする計算知能に固有の知能メカニズム」に相当すると思われます。
つまり、ロボティクス、センサー ネットワーク、計算知能に固有の知能メカニズムの3つが重要と思われます。そして、「サイバーフィジカル システムの適応性、自律性、効率性、機能性、信頼性、安全性、および使いやすさが向上」というのは、リアル空間で処理するより、サイバー空間で処理した方が処理しやすくなることを意味しています。
例えば、自動車の運転であれば、夕闇の見通しの悪い時間帯でも、サーバー空間では、補助照明が再現され、リアルでは見えにくい、歩行者がよく見えるようなイメージです。
手術ロボットは、医師が加齢によって、指先の震えが止まらない場合でも、そのエラーを補正してくれます。
ピアニストは加齢によって指が回らなくなり、速いパッセージを引くことが困難になりますが、CPSを使えば、高齢でも速いパッセージをロボットが弾いてくれるでしょう。
3)柴田本の補足1(CPSの主導権)
柴田本は、CPSをロボティックスよりかなり広い範囲に考えています。
CPSをどちらかと言うと、インターフェースのアーキテクチャのように考えているように見えます。
つまり、インターフェースの標準化ルールの主導権争いがあるようなイメージです。そして、主導権争いに日本企業はハードウェアから、GAFAはソフトウエアからアプローチするというイメージです。しかし、過去の実績をみれば、ハードウェアからのアプローチが成功した例は、ありません。それどころか、OSは、UNIX系しか成功していません。ネットワークは、OSIはIBMの規格で、それにTCP/IPを乗せています。柴田本には、日本のメーカーのCPSの規格が多数出てきます。すぐには無くならないとは思いますが、筆者は、8割はなくなると思っています。
例えば、柴田本では、2002年の説明図を使ってコマツのKOMTRAXを説明していますが、その時点では、KOMATRAXはコマツのWEBサーバーで稼働しています。2022年現在、KOMTRAXはアマゾンのクラウドサーバー上で動いています。APIやモジュールは、Amazonのクラウドサービスの提供するものを使っています。つまり、コマツは、アーキテクチャの一部をアマゾンのクラウドのライブラリに切り替えています。
コマツは、大型ダンプの自動運転のノウハウをもっています。現在、コマツの大型ダンプは、鉱山ではコマツの自動運転システムで動いています。テスラやトヨタは自動運転システムを内製化していて販売していません。しかし、将来は、競合する可能性のない大型ダンプのような車種には、自動運転のモジュールを販売する可能性があります。もちろん、コマツには将来も、独自の自動運転システムを使う選択肢もあります。その場合には、例えば、競合するキャタピラー社が、自動運転モジュールを自動車メーカーから納入する可能性を考えなくてなりません。性能、維持管理費などを考えて、それでも、自社製品の自動運転モジュールを選択するのは、容易ではありません。なぜなら、自動車の自動運転モジュールは、販売台数が多いので、開発経費をかけられますが、大型ダンプの販売台数は多くないので、開発費をかけられません。ですから、大型のハードメーカーが、小型のハードメーカーや、ソフトウェアメーカーと競争してCPSの主導権を握ることは難しくなります。
この関係は、自動車メーカーとスマホメーカーの間でも成り立ちます。
柴田本は、スマートシティについて、トヨタとGoogleのsidewalk Labの事例を上げて、この関係に注意を払っています。ただし、筆者のように、型のハードメーカーや、ソフトウェアメーカーが有利とまでは言い切っていません。
スマートシティについては、次回、検討します。
柴田本では、トヨタとGoogleのsidewalk Labの比較がなされています。 コマツは対比されていません。
しかし、同様の比較は次のように拡大可能です。
ソフトウェア <=> 小型ハードウェア <=> 大型ハードウェア
GAFA<=>トヨタ<=>建設機械(Komatsu)<=>住宅会社<=>ゼネコン
つまり、CPSの主導権争いで、最終的には、横の列のうちのどれかのタイプの企業が主役になり、その他は脇役になります。
トヨタがGAFAの子会社になる可能性があるとすれば、ゼネコンは、住宅会社や建設機械会社の子会社になる可能性があります。
大和ハウス工業は2013年に準大手ゼネコンのフジタを子会社にしていますが、今後、CPSが進めば、ハードウェアのサイズでは、大が小を飲みむより、小が大を飲みこむパターンが増えるはずです。
繰り返しになりますが、以上のCPSの用語は、柴田本に準じており、英語版のウィキペディアよりは広い意味です。
4)柴田本の補足2(SCADA)
4-1)柴田本とSCADA
柴田本の2番目の補足は、SCADA(監視制御システムの標準仕様)に関するものです。
SCADA(Supervisory Control and Data Acquisition、スキャダ)は直訳すると「監視制御とデータ取得」になりますが、重要なことは、インターフェースの規格になっていることです。
実は、柴田本には、SCADAが出てきません。CPSを共通インターフェースのアーキテクチャと考えれば、SCADAは外せませんが、出てこないのです。
日本国内では、SCADAは殆どつかわれていません。これは、ビジネスモデルが、水平分業になっておらず、垂直統合になっているためと思われます。柴田本では、最近、コマツなどいくつかの企業が、クローズドから、オープンアーキテクチャに切り替えていることが紹介されています。
これを考えるには、家電の制御の例が分かり易いと思います。
パナソニックは、オールラウンドの家電メーカーなので、長い間オール家電をセールスポイントにしてきました。確かに、日本の家電メーカーの間で見れば、パナソニックの家電は、中央で統一的に制御しやすいと言えます。しかし、アマゾンのアレクサに比べれば、見劣りします。アマゾンは、自社の家電製品をもっていませんので、アレクサの家電制御は、オープンアーキテクチャです。パナソニックは、家電を売らずに、アレクサのような制御のオープンアーキテクチャでビジネスができるのでしょうか。分社化した子会社が、アレクサのような制御のオープンアーキテクチャのビジネスにチャレンジしない限り難しいと思います。
日本の機械制御は、垂直統合モデルです。複雑な制御であれば、コンピュータネットワークを構築する必要がありますが、それ以外は、PLCでできてしまいます。簡単に言えば、製造ラインであれば、シーケンス制御できるので、コンピュータネットワークを構築しないのです。その結果、異なるメーカーのハードウェアを接続するSCADAが普及していません。
この状態で、PLCの延長にあるローカルはアーキテクチャをオープン化しても、世界で利用者が増えるとは思えません。
SCADAの考え方は、基本的にパソコンのインターネットと同じです。オープンアーキテクチャは原始的な通信部分なので、簡単に利用するためには、パッケージアプリがあった方が便利です。ただし、ハードウェアはSCADAの規格にあって入れば、自由に選択できます。これは、パソコンのハードディスクやUSBメモリが、メーカーに関係なく使えるのと同じです。
柴田本には、オープン化したローカルアーキテクチャとSCADAの関係が論じられていません。
SCADAは、オープンアーキテクチャなので、サイバー攻撃の対象になります。
ローカルなクローズドアーキテクチャは、仕様がわからないので、サイバー攻撃の対象にはなりにくいです。しかし、ローカルなアーキテクチャも公開して、利用者が増えれば、サイバー攻撃の対象になります。
日本のローカルアーキテクチャを公開しても、既に、ある程度の世界標準のオープンアーキテクチャであるSCADAがありますので、日本のローカルアーキテクチャは世界に広まるとは思えません。もちろん、どのアーキテクチャにも長所と短所があります。ローカルアーキテクチャにできて、SCADAにできないことがあり、その逆もあります。例えば、ローカルアーキテクチャをSCADAに乗り換えた場合、8割の機能は問題がないと思いますが、1,2割の機能は対応できないか、対応の仕方が変化します。また、新しいシステムに乗り換えれば、軌道に乗るまでは、いくつかトラブルが発生します。しかし、ハードウェアは選べるので、コストダウンができます。
日本のITベンダーが提供する機械制御システムは、ローカルアーキテクチャで、SCADAは採用していません。SCADAはオープンアーキテクチャなので、ITベンダーは囲い込みができません。SCADAを使うと、より安価で性能のよいシステムを提案するベンダーがあれば乗り換えられてしまいます。
コンピュータの利用がローカルであれば、クラウドを使わなければシステム構築ができない訳ではありません。しかし、クラウドを使えば、コストダウンが可能です。
この文章は、Googleドキュメントで書いていて、Googledドライブ上にあります。Googleドキュメントはインターネットが接続されている環境でないと、フルの機能は使えません。
しかし、文章が、Googledドライブ上にありますので、ハードディスクのトラブルや、停電事故に備える必要はありません。これは、バックアップをとったり、ミラーリング機能のあるハードディスクを使えば、クラウドサービスに頼らず実現できますが、その労力もカウントしたメンテナンスコストを考えれば、クラウドが圧倒的に経済的です。
こう考えると「SCADA+クラウド」がオープンアーキテクチャの標準で、ローカルアーキテクチャをオープンにする場合には、「SCADA+クラウド」と比べて、競争力があるかを考える必要があります。
4-2) AVEVA のSCADA
「SCADA+クラウド」のリアルタイム運用管理ソフトウェアのマーケット リーダーは、AVEVA(アヴェバ、旧Wonderware)です。
柴田本には、SCADAがでてきませんので、AVEVAも出てきません。2022年の時点では、筆者には、日本のローカルアーキテクチャが、AVEVA対して競争力があるとは思えません。
実は、AVEVA製品は、キヤノンITソリューションズも販売しています。しかし、キヤノンITソリューションズは、販売窓口であって、自らが、SCADA製品を開発している訳ではありません。
日本では、出光興産が、AVEVを使って7つの製油所の計画モデルを統合してコストダウンに成功しているようです。
2022年8月31日に、株式会社日立製作所は、製造業を中心としたインダストリー分野向けに、主に MES(製造実行システム)や SCADAなどの製造現場系 OT・IT 領域のシステムインテグレーション(SI)事業を手掛ける米国の Flexware Innovation社の買収を完了しています。
Flexware Innovation社は、社員100人程度の企業ですが、SCADAのノウハウを持っています。日立の監視制御システムは、ローカルアーキテクチャなので、現状では、SCADAが普及している海外への事業展開は難しい訳です。
日立は次のように説明しています。
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Flexware Innovation 社買収の狙い
Flexware Innovation 社は、主に製造業の現場の制御機器導入から、その運用制御、ERP に至るまでの SI 技術や開発力を有しており、特に、現場と経営をつなぐ CPS の要となる OT・IT 領域の MES やSCADA に強みがあります。こうしたトータルな SI を、主に北米のライフサイエンス、自動車部品、食品・飲料などの幅広い分野のお客さまに提供しており、ここ数年、顕著な事業成長を遂げています。
今回の Flexware Innovation 社の買収の目的は以下のとおりで、インダストリー分野のグローバルな事業成長を加速していきます。
(1) 高成長が見込まれる北米における MES や SCADA の SI 事業を強化・拡充。北米の製造業を中心としたインダストリー分野向けに、JR オートメーションのロボティクス SI および Flexware Innovation 社のMES、SCADA などの製造現場系の OT・IT とデジタルのケイパビリティを強化、さらに Hitachi Vantaraなどの ERP(IT)やクラウド事業を組み合わせたワンストップの提案力を向上させ、北米における「トータルシームレスソリューション」の展開を加速。
(2) Flexware Innovation 社の幅広い領域の SI 技術・開発力、および優良な顧客基盤を獲得し、日立の持つ Lumada によるデジタル技術・知見やグローバルネットワークなどのケイパビリティとのシナジーにより、北米における事業成長を創出。
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これから見ると、日立は、SCADA、Hitachi Vantara、クラウドを融合した北米における「トータルシームレスソリューション」を狙っていることがわかります。
つまり、日立は、顧客のニーズに応じて、同じサービスをローカルアーキテクチャでも、SCADAでも、提供できるように進んでいることがわかります。
実は、Flexware Innovation は、AVEV 登録のシステム インテグレーターでもあります。
柴田本のテーマは、よいアーキテクチャに基づくモジュール設計をすることで、汎用性が高く、なおかつカスタマイズしやすいモジュールを作ることができれば、日本企業の競争力が増すというものです。
その主張に間違いはなく、モジュール化を進めることは正しい方向ですが、ローカルアーキテクチャをオープンにしたアーキテクチャが世界標準になるためには、AVEVより、汎用性とカスタマイズ特性の優れたツールを提供できなければなりません。
アーキテクチャ思考は、汎用性とカスタマイズ特性を両立するモジュールを作るパズルのようなものです。アーキテクチャ思考を深めるには、常日頃から、そのような頭の使い方をトレーニングするしかなく、王道はありません。
引用文献
日立、MES や SCADA など製造現場系 OT・IT が主力の米国 SI 企業を買収 2022/09/06
https://www.hitachi.co.jp/New/cnews/month/2022/09/0906b.pdf
AVEVA™ Point Cloud Manager
https://www.aveva.com/ja-jp/products/point-cloud-manager/
SCADA Cloud Computing YOKOGAWA AMERICA
https://www.yokogawa.com/us/library/resources/application-notes/scada-cloud-computing/
Cloud SCADA ICI Electrical Engineering Ltd.
https://icieng.com/cloud-scada/