成長と分配の経済学(17)~2030年のヒストリアンとビジョナリスト

アンシャンレジームとは何か

 

(アンシャンレジームとは、成果に応じた賃金を支払わないことです)

 

1)年功型雇用の幻影

 

年功型雇用では、労働に比べ、若年層では、給与が安く、高齢者になると給与が高くなる年功型給与体系が成立していると考えられています。

 

しかし、この仮説には、エビデンスはありません。

 

ジョブ単位で、労働市場が成立していれば、給与は労働者の生産性を反映します。

 

給与が安ければ、それなりの労働生産性の低い人材しか集めることができません。

 

江戸時代のように、日本が鎖国状態であれば、日本の労働市場と世界の労働市場は切り離されているかもしれませんが、現代では、それは実現していません。

 

世界の労働市場を見れば、DXの進展に伴って、各国の労働市場は、世界的な労働市場に組み込まれる割合が年々高くなっています。

 

欧米の企業の幹部には、移民やさまざまな人種の人が混在しています。

 

2)高度成長期の幻影

 

1990年のバブルの頃、良いものを安く作るという日本経済の大量生産のビジネスモデルは、中国などの途上国の追い上げで、行き詰るだろうと予測されていました。そこで、高付加価値生産を目指すべきと言われました。今から考えると高付加価値生産という言葉には、良いものを安く作るという発想が見え隠れしています。高付加価値生産という目標(正解)があって、それを目指せばよいという発想からぬけていませんでした。何が価値があるかは、消費者が決めることで、目標にできるのは、労働生産性をあげることと、多様性を保つことでしかなかったはずです。例えば、スーパーに行くと、高脂肪牛乳と低脂肪牛乳をうっています。この全く逆向きの商品が売れるのは、価値は購買者が決めるからです。

 

大量生産のビジネスモデルが行き詰まるので、新しいビジネスモデルに対応した人材育成として、ゆとり教育が提案され、カリキュラムに加えられました。その結果は、著しい学力低下になって見直されます。ただし、データサイエンスで言えば、ゆとり教育が、学力低下の原因であるというエビデンスはありません。このことはあとで説明します。

 

ところで、ゆとり教育の中で、教科書はどんどん薄くなり、演習問題の量は半分以下になり、円周率は3になってしまいました。それから、ゆとり教育は失敗であったと言われるようです。

 

しかし、ゆとり教育とは教科書を薄くすることでしょうか。欧米の教科書は、非常に厚くなっています。それは、わからなかったときに、教科書を読めば、理解できるという効果を狙っているためです。教科の躓く箇所は生徒によって違います。授業の時間は限られているので、全ての生徒に対応することは不可能です。教科書の説明が丁寧であれば、躓いた箇所を自習することができます。演習問題も、できない部分を重点的に解けばよいので、掲載された全ての問題を解く必要はありません。

 

つまり、ゆとり教育のカリキュラムは、「大量生産のビジネスモデル」で作られていて、そこには、多様性や無駄がありません。つまり、ゆとり教育は、高度成長期の大量生産のビジネスモデルの亡霊の上に設計されています。

 

3)アンシャンレジームの影

 

それでは、最近は、高度成長期の大量生産のビジネスモデルの亡霊はなくなったのでしょうか。

 

文部科学省は2022年7月28日、小学6年と中学3年を対象とした2022年度の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果を公表しました。4年ぶりに実施された理科は、中学校で平均正答率が5割を切り、新要領が求める科学的探究の力を測る問題で正答率が低くなりました。文科省は「絶対値で5割を切るのは多くの課題を示唆している」と指摘し、新要領に授業が対応しきれていない現状に問題があるといいます。

 

最初に断っておきますが、2022年度の全国学力・学習状況調査は、PISAと異なり、データサイエンスの研究調査の要件を満たしていませんので、データサイエンスでは、この結果からは何もわからないと判断することが妥当です。

 

調査は、年に1回で、理科のように数年おきにしか行われないものもあります。各県は、順位が出るので、平均点を上げるように、補習をしている県もあるようですが、「大量生産のビジネスモデル」でなければ、平均点には各段の意味はありません。むしろ、分布を見なければなりません。つまり、高度成長期のビジネスモデルの亡霊が出まくっています。

 

4)社会と学校

 

「学校と社会」の中でデューイは、教育の中心は教師でも教科書でもない、子ども自身だと主張しました。しかし、文部科学省の分析は、新要領に授業が対応しきれていないと教師中心です。因果モデルを、授業と全国学力テストに限定していますが、根拠はありません。

 

デューイ流に考えれば、学校は実社会の縮図です。高度成長期の大量生産のビジネスモデルは、実世界を反映しています。

 

プログラムを作る場合、既にプログラムがある場合には、プログラムはつくりません。これは、「車輪を発明するな」と言われます。プログラムは、今までになかった創作物です。独創的なプログラムを作ることで、大きな収入が得られるのであれば、生徒は、科学的探究の力をつけます。それは、科学的探究の力が、収入に結びつくことを知っているからです。これが、欧米で起こっている現状です。

 

一方、科学的探究の力をつけても収入に結びつかない場合には、生徒には、科学的探究の力をつけるモチベーションはありません。これが日本の現状です。この仮説には、新要領に対応した授業は入ってきませんが、現状を説明することができます。

 

アンシャンレジームは、色々な表現で説明できます。アンシャンレジームでない状態の一番わかりやすい説明は、働いてほしい人、成果を上げている人に、高い給与を払うことです。これは、ジョブ型雇用では、前提になります。

 

逆に、成果に応じた賃金を支払わなければ、アンシャンレジームになってしまいます。

 

これは、フィードフォワードループになっています。

 

結局、スポーツ選手や歌手などを除けば、医師以外は、実力をだしても、収入は増えません。なので、ある程度能力があれば、医師を目指します。それ以外は、学習しても、収入が増えないので、学習しません。医師の収入は、それ以外の分野の生産の一部ですから、医師が増えてもGDPは増えません。こうすれば、労働生産性は下がり続けます。