成長と分配の経済学(16)~2030年のヒストリアンとビジョナリスト

1)雇用形態を誰が変えるのか

 



年功型雇用は、システムとして欠陥があり、企業の利潤追求の最大化と企業幹部の個人の昇進のための所得の最大化が一致しません。

 

例えば、企業の利潤追求のためには、組織内の反発を覚悟して、DXを推進することが合理的行動になりますが、個人の所得の最大化のためには、反発のでるDXを推進するより、社長に忖度した方が合理的行動になります。DXを推進することは、今までの社長や次期社長候補の経営に問題があったという告発になってしまうリスクがありますので、昇進の障害になるので避けることが合理的です。

 

忖度という言葉がきつければ、これは、社内に、波風を立てない大人の対応と言い換えることもできますが、企業に損害を与える点で内容は同じです。

 

官庁であれば、各省庁のDXを進める行動は、幹部個人にとっては、不合理な行動になります。デジタル庁を作ることは既存の省庁の外なので、業務の分担や、年功型組織が維持でき、幹部個人にとって、合理的な行動です。もちろん、それは、幹部の所得を最大化する意味で、合理的なのであって、官庁の労働生産性の改善から見れば、全く不合理です。ですから、デジタル庁で、DXは進むわけがありません。

 

ここで言うジョブ型雇用への移行とは、新規採用者だけをジョブ型雇用にすることではありません。全ての雇用者をジョブ型雇用に切り替えることを指します。



つまり、年功型組織は、幹部が企業の利潤を最大化しないシステムになっています。これを避けるには、誰かが、猫に鈴をつけるような危険なジョブ型雇用への移行作業をする必要があります。



年功型雇用のままでは、DXに対応する、あるいは環境問題にみられるような大規模なシステム問題に対応することは不可能なので、ジョブ型雇用に切り替える必要があります。なぜなら、システム問題に対応するには、柔軟な組織が必要だからです。

 

年功型雇用では、高齢者の所得が高くなるので、幹部個人には、企業がクラッシュする寸前まで、年功型雇用を維持するインセンティブがあると言われます。よく言われる高齢者の世代は、逃げ切ることができるが、若年層は逃げきれないという問題です。

 

しかし、誰が、ジョブ型雇用への切り替えをする責任があるかといえば、それは、社長などの企業幹部のトップです。社長らは、株主に対して、倫理的に問題のない範囲で、企業の利潤を最大化するような経営をする責任があります。

 

最近、経団連のトップが、年功型賃金体系は、これからは維持できないと言っていますが、この発言には、問題の本質が見えています。それは、この発言を聞く限り、今までは、年功型雇用の維持自体が、企業経営の目的の一つになっていたと思われます。しかし、雇用形態の維持は、株式会社の経営の目的にはなり得ません。雇用形態の維持が、株式会社の利潤を圧迫するのであれば、経営者は、雇用形態をより利潤追求がしやすい合理的なものに変更する責任を負います。

 

雇用形態やジョブの分担は、経営学ではテイラーが扱った古典的な問題で、テイラーの解法が今でも有効であるとはいえませんが、経営者が、常に、検討しなければならない古典的な経営問題の一つです。

 

維持できなくなったから、年功型雇用を変えるという発言には、経営陣がテイラーのレベルの経営問題に対処して、利潤追求をしてこなかったと言うニュアンスが含まれていますが、これは、株式会社の経営陣にとっては、あり得ない発言です。

 

経団連の発言は、年功型雇用になれてしまうと、こうした経営の基本問題が抜け落ちてしまう認知バイアスがあることを示しています。経団連には、これが問題発言であるという意識は全くみられません。

 

その発言を取り上げたマスコミも、これが問題発言であるという取り扱いはしていません。

 

2)東電裁判

 

東京電力福島第1原子力発電所の事故をめぐり、東京地裁が旧経営陣4人に対し、東電に13兆3210億円を支払うよう命じる判決を言い渡しました。旧経営陣は経営者としての義務を怠り、事故を防げなかったことで、会社に対して多額の損失を与えたとして、会社への賠償を求めた株主代表訴訟です。

この裁判が最終的にどうなるかは、不明ですが、経営陣が、不適切な経営をした結果、会社に損害が生じた場合には、株主から訴訟を起こされて、損失を補填するリスクがあります。4人で、13兆円は、払えないので、判決が確定すれば、破産することになり、企業年金ももらえなくなると思われます。

 

東電以外にも、かなり無茶な経営をした企業がありますので、東電の裁判が、東京地裁と同じような判決に決まれば、同様の裁判を起こされるリスクのある企業はまだあります。

経営者が、利潤追求に必要な、ジョブの分担体制や、雇用形態の変更を行わなかった結果、企業に損害を与えた場合には、同様に、株主から、裁判を起こされるリスクがあります。

日本では、2013年に政府が改定した「高年齢者雇用安定法」によって、定年が60歳から65歳へ引き上げられました。2021年4月1日に施行された、改正「高年齢者雇用安定法」では、65歳から70歳までの労働者の就業機会を確保するため、「70歳までの定年引上げ」「70歳までの継続雇用制度」などの措置を講ずる努力義務が新設されています。

 

英語圏の国(アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド)では、就労における年齢差別は禁止されているため、自動的に定年制は禁止になります。ドイツやフランスについては、65歳から67歳への定年の引き上げが予定されています。しかし、ドイツやフランスは、ジョブ型雇用であり、高齢者の賃金が高い訳ではありません。賃金は能力給であって、年齢には関係しません。

 

65歳から70歳までの労働者の就業機会を確保するための努力義務は、大企業以外は、守れない可能性が高いので、これは、平等性に問題のある政策であり、実質的には、差別政策になっています。政府が、雇用問題を大企業に押し付ける方法では、中小企業や非正規雇用の雇用問題は解決せず、それが、日本の貧困問題の原因になっています。

東電裁判は、東京地裁判決の方法で、結論がでれば、高齢者の経営者が逃げ切ることは不可能になりますので、大きな影響力があります。

 

この判決がでるまで、筆者は、高齢者の経営者が逃げ切る問題には、道義的な責任はあるが、違法にはならないだろうと考えていましたが、この判決の方向が定着すれば、道義的な責任ではなく、違法になるリスクがあることになります。猫に鈴をつける責任の所在は、明白なのです。

この判決は、欧米では、当たり前の判決ですが、忖度や、社内に、波風を立てない大人の対応も、企業に損害を与えるのであれば、同様に、経営責任を追求されるリスクがあることになります。