最低賃金と変化の起こし方(10)保守と反対勢力

保守と反対勢力

米国の政治で、保守とは、小さい政府を目指します。

これは、税金でのサポートが大きな政府をつくると、人間は、働かなくなるので、国がまわらなくなると考えます。

つまり、出来高に合わせて、賃金を払うことで、よく働く人は、賃金が増えて、お金持ちになれます。

これが、アメリカン・ドリームです。アメリカン・ドリームには、次の特徴があります。

1)結果の平等ではなく、機会の平等を重視する。

2)失敗に対して、寛容で、やり直しを推奨する。

3)貧富の差は、社会が健全な証である。

4)お金持ちは、資産の一部を、寄付などで、社会に権限して社会貢献をする。

アメリカの政治勢力は、この保守と大きな政府を支持するリベラルに分かれます。

最近の行動経済学のように、人間の経済行動は、経済的不合理性に基づいているとすれば、別ですが、

伝統的な経済学では、ホモエコノミクスを、前提として、理論を組み立てますので、

小さな政府と相性がよくなります。

ここまでが、議論の前提1です。

日本の経済学者は、1990年ころまでは、近代経済学マルクス経済学に分かれていました。

しかし、ソ連の崩壊によって、マルクス経済学が有効であるというエビデンスはないとみなされるようになりました。

コンピュータが、普及していなかったので、1990年頃までの経済学は、現在の基準で言えば、社会思想に近かったです。

現在の経済学は、微分方程式をどのように解くのかという、数量経済学が中心で、データサイエンスになっています。

マルクス経済学でも、森嶋通夫は、数量経済学の適用をすすめていました。

現在の中国や、ロシアでも、経済政策を決定する場合には、数量経済学のコンピュータモデルを使っていると思われますが、そのモデルは、近代経済学のモデルと大差はないと思われます。

つまり、ITの進展によって、数量経済学以外の経済学は、数値予測ができませんので、有効な結論を出せないとみなされているはずです。

ここまでが、議論の前提2です。

2021/12/02の東洋経済オンラインに、東洋経済記者の中島 順一郎氏が、竹中平蔵氏に行ったインタビューが、「竹中平蔵『私が弱者切り捨て論者というのは誤解』ベーシックインカムは究極のセーフティーネット」というタイトルで、出ています。

この記事は、このブログの「竹中平蔵氏とハル・ヴァリアン氏」で、既に、引用しています。

今回、考えたいのは、次の発言です。


今の構造は、正規社員が非正規社員を搾取している。生産性に合わせて賃金が支払われず、自分の生産性より高い賃金をもらっている正規と、自分の生産性より低い賃金しかもらえない非正規の二重構造になっている。

不平等を解決するための方法、例えば労働時間ではなく成果に対して賃金を支払うとか、解雇の問題が起きた際の金銭解雇のルールを作ることに、既得権益を持った人たちがずっと拒み続けて今日に至っている。この構造問題を変えないといけない。


問題にしたいのは、2点です。

第1は、「竹中平蔵氏とハル・ヴァリアン氏」で書いたので、繰り返しませんが、竹中氏がインタビューで述べている対策は、正論ですが、それが正論になる前提は、上記のアメリカン・ドリームの前提が成り立っていることです。

日本では、ホモエコノミクスのこの前提が成り立っているとは思われません。

第2は、「既得権益を持った人」という表現です。

民主主義では、政策は、投票によって選ばれた代表である議員が政策を決定します。

バイアスはありますが、「既得権益を持った人」が、少数派になれば、その利益代表が、議員になれるとは思えません。

実は、年功型の賃金体系では、「既得権益を持った人」が多数になる気がします。

竹中平蔵氏の「既得権益を持った人」には、暗黙に、ご自身は、「既得権益を持った人」というニュアンスが漂いますが、実のところ、竹中平蔵氏は「既得権益を持った人」のグループに属しているのではないでしょうか。

つまり、小泉改革のような、「既得権益を持った人」を敵対視する方法では、問題解決はできないように思われます。

既得権益を持った人」は、当事者で、多数派です。そのことが、2004年に、年功型雇用を維持し、正規社員の身分制度を残しながら、製造業への派遣解禁など、非正規労働者を拡大した政策ができた理由と思われます。

保守と反対勢力(既得権益を持った人)という枠組は、米国の近代経済学の枠組をそのまま、日本に持ち込んでいますが、日本には、アメリカン・ドリームを目指すような保守は存在しません。アメリカン・ドリームは、資本主義の原則そのものです。

日本の社会では、ここ10年で、貧富の差が拡大しています。特に、母子家庭などの貧困層の問題は深刻です。それは、資本主義の弊害であるような議論が通っていますが、その議論は、エビデンスに反しています。2004年の製造業への派遣解禁が、資本主義のルールに基づくもの、市場経済のルールの確保に基づくものであったならば、その時点で、年功型の賃金体系も、正規雇用と非正規雇用の区別もなくなっていたはずです。なぜなら、資本主義は、身分制度とは、対極にあるシステムだからです。

自由人か、奴隷化が、選択できた場合、奴隷を希望する人も少なからずいます。それは、自由人であれば、飢えるリスクがありますが、奴隷であれば、飢える心配はしなくともよいからです。競争回避を選択する人が多くなると、身分制度は、維持されます。しかし、身分制度下では、努力やリスクは回避されますので、イノベーションは起こりません。

経済成長の停滞の原因は、この辺りにあると考えます。