セル・クリーブランドの最後の演奏会

1970年7月12日のセルのライブを聞きました。確証はありませんが、最後の演奏会の可能性が高いと思います。

セルは、1970年の大阪万博の後、韓国、アラスカのアンカレッジのツアーの途中で、倒れて入院したことが知られています。

セルの英語版の伝記が3種類あるので、それを調べれば、更に詳しいことがわかると思われますが、筆者は見ていないので、ネットで、入手できる情報は、こんなところです。

セルが亡くなったのは、7月30日、大阪万博のツアーの東京文化会館での演奏が、5月22日です。韓国、アラスカの日程がわかりませんが、日本をたってから、亡くなるまで、2ヶ月あります。

なお、病気で、1970年に、来日できなかった、ジョン・バルビローリも、1日違いの7月29日に亡くなっています。

文化会館のライブがCD化されています。また、前月の4月には、EMIに最後のレコーディングをしています。 この空白の2ヶ月のセルの活動がわからないのですが、7月12日にブラッサム・ミュージック・センターでは最後の演奏会をしています。セヴァレンス・ホールの演奏会は、この後にも行われた可能性がありますが、確率は低いでしょう。

セルは、ブラッサム・ミュージック・センターで、1968年7月19日の柿(こけら)落としに第9を演奏してから、なくなるまでに、9回の演奏会を開いていますが、1970年7月12日が9回目の最後の演奏会になります。このホールは、クリーブランドOの第2のホームとも言われています。

曲目は以下です。

  1. モーツアルトフィガロの結婚序曲

  2. モーツアルト:ピアノ協奏曲21番、ピアノ、ゲサ・アンダ

  3. ブラームス交響曲第4番

オケは、もちろん、クリーブランドOです。

1.と3.には、クリーブランドOとのレコード録音があります。 2.を、セルはカサドシュのピアノで、クリーブランドOと録音しています。

1969年8月17日に、同じ顔合わせで、3曲を演奏しています。

1.と2は、VIRTUOSO [93013] (3CD)に、3.は、VIRTUOSO [93008] (3CD)に、含まれています。

VIRTUOSO [93013] は、ブラッサム・ミュージック・センターのライブ録音、VIRTUOSO [93008] は、セヴァレンス・ホールのライブ録音とクレジットされていますが、恐らく、後者は、間違いでしょう。なお、筆者は、この録音は、どちらも聞いていません。

1970年のセルのライブ録音で、CD化されているのは、5月22日の来日公演が最後のようです。

さて、演奏に戻ります。

1曲目のフィガロは、余裕を持ったテンポの美しい演奏です。レコード録音よりゆったりしていますが、それは、この頃のセルの特徴と思われます。

2曲目は、ピアノ協奏曲です。第2楽章だけが、有名になっていますが、まとめるのが難しい曲とも思われます。ハスキルは、先生のコルトーから、協奏曲21番は向いていないから、弾かないように言われたという噂もあり、録音を残していません。

アンダのモーツァルトの協奏曲21番のレコードは、映画「みじかくも美し燃え」で使われて有名になり、フランス・ディスク大賞を受賞していますから、モーツァルトの協奏曲全集を録音したアンダにとっても、十八番(おはこ)の曲です。全集の録音にあたって、アンダは、カデンツァを自作し、出版もしています。

セルは、この曲をカサドシュと録音していますが、アポロン的というか、とりすましたピアノの表情が、モーツァルトの演奏としては、特異なので、好き嫌いが分かれると思われます。

アンダの演奏をレコード録音と比べると、このライブでは流石(さすが)に、オーケストラのレベルが違います。

次に、カサドシュのピアノとの比較ですが、アンダのピアノは、セルとの合わせても、硬くならずに、自由な感じが素敵です。また、第1楽章の最後のところで、ためを作ってテンポを落とすところなど、セルとアンダが顔を見て合図したのではないかと思われるようなライブならではの楽しさがあります。

ピアノ協奏曲を聴いていると、オーケストラ・パートが薄いのではないかと感じてしまいます。もちろん、それは、クリーブランドの合奏能力の高さに由来するのですが、異常な体験です。録音の違いも原因と思いまが、アンダのピアノは、レコード録音よりも、音が柔らかいです。このライブ録音を映画に使ったら、ニュアンスが細かすぎて、ヒットするとは思われませんが、名演と思います。

3曲目のブラームスは、非常な名演です。セルの晩年の演奏は、1966年のレコード録音と比べると、緩くなっている部分がありますが、その分、自由闊達に、気分が乗ってくると演奏が変化するところが魅力です。ブラームスの音楽は、構築性では割り切れないロマン的なゆるさが魅力の部分があります。その点が、奇跡的にバランスがとれています。

第 1楽章の出だしの気分は、ワルター、コロンビアOに似ています。オーケストラの響きは、秋色です。基本的な解釈は、セルのレコード録音と変わりませんが、レコード録音は、音楽の流れが強く、曲は、前へと進んでいく、力が強いのに対して、ライブでは、音楽の足取りは重く、かみしめるように進んでいく印象を受けます。その分、細部の細かなニュアンスが耳に残ります。

第2、3楽章でも、音楽はゆっくり流れていく感じです。テンポ、バランスは完璧ですが、余分なところには、力が抜けていて、余裕が感じられます。

第4楽章の出だしのテンポは遅めです。フレーズとフレーズの間の取り方が非常に効果的です。レコード録音から、4年しか経っていませんが、随分、印象が違います。エンディングに向けて、セルが次第に、熱くなってくるのが伝わります。

セルの演奏会は放送録音が大量に残っているようですが、ネットで、時々演奏会録音の一部が聴けるようになりました。録音状態や、合奏の精度では、レコード録音に軍配が上がると思いますが、演奏という行為は、ライブが基本です。選択の余地が広がったことは、良い時代になったと思います。