旧青木家那須別邸(1)(栃木県那須町)
「明治貴族が描いた未来」には、明治時代の別邸と開拓地が示されています。
図1には、開拓地をグレーで示しています。明治時代の開拓地は、塩原街道沿いと那須街道沿いにありました。この2つの街道の間に板室街道があります。
図2は、火山灰土のエリアです。このエリアが開拓地に重なります。
青木家以外の別邸は、塩原街道沿いにあります。つまり、東京により近い塩原街道沿いが開けていました。2つの開地は合わせて約1万haです。
青木周三は、ドイツのユンカーをモデルに那須開発を行っています。青木農場は1576haあったそうです。おそらく、そのことが、青木家別邸が、那須街道に近い位置に建設された理由と思われます。なお、小林 良彰によれば、ユンカーの所有面積は、500から5000haといいますから、1576haは中堅規模になります。とはいえ、太宰治の実家の津島財閥の所有面積の300haよりは大きいです。日本一の地主であった酒田の本間家で、3000ha(田畑合計)ですから、1500haは、水田が少なかったとはいえ、大地主です。津島家は、小作争議に備えて、家の周辺に高さ4mのレンガの塀を作っています。旧青木家那須別邸の周辺には、塀は見当たりません。これは、水田が少なかったためと思われます。なお、「那須疏水の夢」によれば、松方正義の農場は、これより大きく、1640haありました。
1886年(明治19)に宇都宮一黒磯間が開通しています。
別邸は明治21年(1888)に建築されました。当初は中央の2階建ての部分だけでしたが、明治42年(1909)に増築し、ほぼ現在の形になっています。
図3は、那須疏水の水路系統です。
那須疏水は、1885年(明治18年)に幹線が開削されています。1905年(明治38年)には水門や導水路等が建設されています。
那須疏水の水路は、火山灰土のエリアを中心に展開しています。
別邸は、那須疏水のエリアの上流にあります。明治時代には、青木農場の水不足は解消されていなかったと思われます。
那須には、明治貴族の別邸は、図1のように多数ありますが、重要文化財に指定されているのは、旧青木家那須別邸だけです。この建築は、松崎万長の設計です。松崎万長の設計した建築は、台湾に2点現存しますが、日本国内に、現存するのは、この別邸だけです。
写真1と写真2は、側方からみた別邸です。見学用の入り口は、こちら側にあります。
写真3は、正面から見た別邸です。こちら側には、入り口に続く、並木があります。
建物は3階建のきれいな構造をしています。
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明治貴族が描いた未来 ~那須野が原開拓浪漫譚 日本遺産
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/app/upload/heritage_data_file/058-5156429931602620.pdf
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那須野ヶ原の歴史は、すなわち開墾と治水の歴史
http://www.nasu-lid.or.jp/area/history/
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那須疏水の夢
https://suido-ishizue.jp/kindai/nasu/index.html
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