殺生石(栃木県那須町)
温泉の源泉の出ている場所で、硫黄泉であれば、硫化水素が出て、周りに生き物がいない世界になります。こうした風景は、地獄谷と呼ばれることも多いです。
地獄谷ほどポピュラーではありませんが、殺生石という地名もあります。
殺生石のwikiによれば、那須町の殺生石が、知名度ナンバーワンだそうです。
殺生石(せっしょうせき)は、栃木県那須町の那須湯本温泉付近に存在する溶岩である。付近一帯に火山性ガスが噴出し、昔の人々が「生き物を殺す石」だと信じたことからその名がある。
なお伝承上、この石に起源を持つと伝えられている石が全国にいくつかあり、それらの中に「殺生石」と呼ばれているものがあるほか、那須の殺生石同様に火山性ガスが噴出する場所で「殺生石」と呼ばれる石があるとする文献もある[1]。しかし単に「殺生石」といえば那須の殺生石を指すことが多い。
概要
殺生石付近一帯は硫化水素、亜硫酸ガスなどの有毒な火山ガスがたえず噴出しており、「鳥獣がこれに近づけばその命を奪う、殺生の石」として古くから知られた名勝であった。松尾芭蕉も訪れ、『おくのほそ道』にその様子が記されている。
現在一帯は殺生石園地と呼ばれ、観光客が多く訪れる名所となっている。ただしガスの噴出量が多い時は立ち入りが規制される。
伝説
鳥羽上皇が寵愛したという伝説の女性・玉藻前が、正体が妖狐の化身であることを見破られ、逃げた先の那須の地で討伐されて石となったという逸話がある。しかし石は毒を発して人々や生き物の命を奪い続けたため「殺生石」と呼ばれるようになり、至徳2年(1385年)には玄翁和尚によって打ち砕かれ、そのかけらが全国に飛散したという。
伝説で、殺生石が、那須から飛び散ったというので、那須がルーツであるという説明には無理があります。
だたし、表1見るように、一番古い温泉は、殺生石の近くになる鹿の湯です。しかも、硫黄泉はここだけです。
写真1に、案内板を示します。松尾芭蕉が、1689年に来ています。
その時に開かれていた温泉は、那須温泉(鹿の湯)630年、板室温泉 1059年、三斗小屋(さんどごや)温泉 1143年なので、鹿の湯に来たと思われます。
写真2は、殺生石の公園の全景です、
写真3は、千体地蔵です。
写真4は、殺生石です。
案内版には、「現在はガスの噴出量は少なくなっている」とあります。
wikiには次のように書かれています。
現在一帯は殺生石園地と呼ばれ、観光客が多く訪れる名所となっている。ただしガスの噴出量が多い時は立ち入りが規制される。
つまり、ガスに、巻き込まれるリスクはゼロではないようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%BA%E7%94%9F%E7%9F%B3
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那須の温泉
https://www.nasukogen.org/nasuonsen/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E9%A0%88%E6%B8%A9%E6%B3%89%E9%83%B7
表1 那須の温泉(古い順)
種類 名前 開発年
硫黄泉 那須温泉(鹿の湯)630年
ナトリウム塩化物泉 源泉 那須山
ナトリウム-塩化物温泉 源泉 金ちゃん温泉
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