殺生石(栃木県那須町)~つくば市とその周辺の風景写真案内(470)

殺生石(栃木県那須町

温泉の源泉の出ている場所で、硫黄泉であれば、硫化水素が出て、周りに生き物がいない世界になります。こうした風景は、地獄谷と呼ばれることも多いです。

地獄谷ほどポピュラーではありませんが、殺生石という地名もあります。

今回は、栃木県の那須町にある殺生石です。

殺生石wikiによれば、那須町殺生石が、知名度ナンバーワンだそうです。


殺生石(せっしょうせき)は、栃木県那須町那須湯本温泉付近に存在する溶岩である。付近一帯に火山性ガスが噴出し、昔の人々が「生き物を殺す石」だと信じたことからその名がある。

なお伝承上、この石に起源を持つと伝えられている石が全国にいくつかあり、それらの中に「殺生石」と呼ばれているものがあるほか、那須殺生石同様に火山性ガスが噴出する場所で「殺生石」と呼ばれる石があるとする文献もある[1]。しかし単に「殺生石」といえば那須殺生石を指すことが多い。

概要

殺生石付近一帯は硫化水素、亜硫酸ガスなどの有毒な火山ガスがたえず噴出しており、「鳥獣がこれに近づけばその命を奪う、殺生の石」として古くから知られた名勝であった。松尾芭蕉も訪れ、『おくのほそ道』にその様子が記されている。

現在一帯は殺生石園地と呼ばれ、観光客が多く訪れる名所となっている。ただしガスの噴出量が多い時は立ち入りが規制される。

伝説

鳥羽上皇が寵愛したという伝説の女性・玉藻前が、正体が妖狐の化身であることを見破られ、逃げた先の那須の地で討伐されて石となったという逸話がある。しかし石は毒を発して人々や生き物の命を奪い続けたため「殺生石」と呼ばれるようになり、至徳2年(1385年)には玄翁和尚によって打ち砕かれ、そのかけらが全国に飛散したという。


伝説で、殺生石が、那須から飛び散ったというので、那須がルーツであるという説明には無理があります。

だたし、表1見るように、一番古い温泉は、殺生石の近くになる鹿の湯です。しかも、硫黄泉はここだけです。

その意味では、殺生石は、那須の温泉を代表する景観でしょう。

写真1に、案内板を示します。松尾芭蕉が、1689年に来ています。

その時に開かれていた温泉は、那須温泉(鹿の湯)630年、板室温泉 1059年、三斗小屋(さんどごや)温泉 1143年なので、鹿の湯に来たと思われます。

写真2は、殺生石の公園の全景です、

写真3は、千体地蔵です。

写真4は、殺生石です。

案内版には、「現在はガスの噴出量は少なくなっている」とあります。

wikiには次のように書かれています。


現在一帯は殺生石園地と呼ばれ、観光客が多く訪れる名所となっている。ただしガスの噴出量が多い時は立ち入りが規制される。


つまり、ガスに、巻き込まれるリスクはゼロではないようです。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%BA%E7%94%9F%E7%9F%B3

https://www.nasukogen.org/nasuonsen/

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E9%A0%88%E6%B8%A9%E6%B3%89%E9%83%B7

 

表1 那須の温泉(古い順)

種類  名前  開発年

硫黄泉 那須温泉(鹿の湯)630年

単純泉 板室温泉 1059年

アルカリ性単純泉 三斗小屋(さんどごや)温泉 1143年

単純泉 大丸温泉 1691年

単純泉 北温泉 1696年

単純泉 弁天温泉 1841年

含硫酸塩硫化水素泉 高雄温泉 1860年

ナトリウム塩化物泉 源泉 那須

ナトリウム-塩化物温泉 源泉 金ちゃん温泉

 

f:id:computer_philosopher:20210717232425j:plain

写真1 殺生石(案内板)

 

f:id:computer_philosopher:20210717232451j:plain

写真2 殺生石公園

 

f:id:computer_philosopher:20210717232517j:plain

写真3 殺生石(千体地蔵)

 

f:id:computer_philosopher:20210717232536j:plain

写真4 殺生石

 

前の記事

旧ラ・フォレスタ・ディ・マニフィカ(土浦市)~つくば市とその周辺の風景写真案内(469) 2021/07/17

次の記事

旧青木家那須別邸(1)(栃木県那須町)~つくば市とその周辺の風景写真案内(471) 2021/07/19