玉龍泉(水戸市)~つくば市とその周辺の風景写真案内(338)

玉龍泉(水戸市

玉龍泉は、日本最古の自噴式噴水と言われています。パンフレット「偕楽園公園ガイド」には「玉龍泉」について、次のように書かれています。


山の北の崖下にある「玉龍泉」は、水戸藩第9代藩主徳川斉昭公が造らせたものです。斉昭公は桜山と偕楽園を一対のものとして整備しており、玉龍泉は偕楽園の吐玉泉と対になっています。高低差を利用して作られた日本最古の噴水ともいわれており、明治18年(1885年)に出版された「常磐公園攬勝図誌」にも 、イラスト入りで玉龍泉が描かれています。


 

写真1は、標識です。

写真2と写真3が、玉龍泉の写真です。写真2では、噴水がどこにあるのかわかりにくいですが、写真3を見ると水鉄砲のような噴水が確認できます。

有名だけど実物をみるとがっかりする残念な観光地のリストをよく見かけますが、そのリストに加えられそうな状態です。

水鉄砲のような噴水を手間をかけて整備することはありえません。地理院地図の古い写真で確認すると現在は住宅地になっている台地の上の見川地区が、1950年頃には水田地帯であったことがわかります。つまり、水田が減って、地下水供給がなくなって、現在の状態になっています。

常磐公園攬勝図誌」は、国立国会図書館ウェブの「常磐公園攬勝図誌 : 2巻. 上巻 43/50」でみることができます。ただし、画像については、以下のルールなので、ここには、転載しません。


国立国会図書館ウェブサイトからコンテンツの転載を行う場合には、転載依頼フォームにより、あらかじめ国立国会図書館にお申し込みください。


原典を見てください。とはいえ、何もないと説明しづらいので、サイズのわかる図1を作成して、添付しました。常磐公園攬勝図誌の玉龍泉の図には人が3人います。左の人が大人(腰が曲がっているようなので多分老人)、中央と右は子供です。噴水のデザインは現在の玉龍泉と同じで、円形の池の中央から、噴水が飛び出しています。噴水の高さは大人の身長の3倍以上ありそうなので、5mくらいはありそうです。噴水は、現在の玉龍泉と同じように、真上に吹き出しますが、頂上で傘のように水脈が広がって落下しています。

つまり、玉龍泉は、水源がなくなって現在の状態になっている訳ですから、人工的に水源を代替して、元の景観を復元すべきと考えます。

ちなみに、パンフレット「偕楽園公園ガイド」には斉昭公が偕楽園本園につくった「吐玉泉」について、次のように書かれています。


この辺りは昔から湧水の多かったところで、徳川斉昭公は、偕楽園造成に当たり地 形の高低差を利用して集水 し 、造園上の景観を考慮した白色の井筒を据えた湧水泉を設置しました 。この水は眼病に効くといわれ、好文亭の茶室何陋庵の茶の湯にも供されました。 泉石は常陸太田市真弓山の大理石で、寒水石ともいいます 。現 在 の泉石は4代目で、昭和62年(1987年)に更新したものです。


つまり、「吐玉泉」はリフォームされているのに、「玉龍泉」は、リフォームされていないのです。

なお、偕楽園本園は、現在の区分で、斉昭公の頃には、この2つの泉は同等に扱われていたはずです。また、偕楽園は陰陽の世界を表しているともいわれています。「吐玉泉」は陰の位置にあるので、玉龍泉」は陽に対応していると思われます。「吐玉泉」で、吐き出された玉を、玉龍泉」で、龍が受け止めているとも読めます。それであれば、なおさら、玉龍泉」は、「吐玉泉」より派手(陽)であるべきと思われます。

次回は、陰で写真写りが悪い「吐玉泉」を扱います。

 

https://www.city.mito.lg.jp/000271/000273/000280/000322/3649/kairakuenkouen_d/fil/001.pdf

常磐公園攬勝図誌 : 2巻. 上巻 43/50 国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994509

 

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写真1 玉龍泉(標識)

 

 

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写真2 玉龍

 

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写真3 玉龍

 

 

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図1 1885年(常磐公園攬勝図誌)の玉龍泉のサイズ