労働生産性と身分制度

江戸時代の身分制度について、昔は「士農工商」の4つのグレードがあると日本史では教えていましたが、「士農工商」の中国語の意味は、万民であること、「農工商」には、グレードがあったという事実はないことから、「士農工商」という身分制度はなかったという結論になり、現在では教科書から削除されています。代りに、支配者階級と、被支配者階級がいたことになっていますが、これは民主主義でなければ、言うまでもないことです。一般には、支配者階級に武力を持ったグループ、宗教グループ、医者のグループ、貴族のグループがいます。「士農工商」では、支配者階級には、武力を持ったグループしか登録されないので、現在は他のグループも登録されています。この中で、貴族のグループの定義を除けば、支配者階級の顔触れは、民主主義以前の社会では、どの国でもはおなじです。

江戸時代の身分制度世襲でしたが、これは、生まれた場所によって身分が決まったのであって、血統主義ではなかったといわれています。

身分制度封建制度の関係はよくわからないのですが、地租改正までは、土地の私有が法的に担保されていなかったと思われます。教科書によっては、大名は、土地の売買ができなかったという説明がなされているようです。しかし、藩内の土地はすべて大名のものなので、市場が成立しないだけで、所有権はあったと思われます。所有権は、具体的には、年貢の徴収権であったと思われます。耕作権は、農民にあるのですが、これは、年貢の徴収に応じることで、担保されます。大名は年貢を村単位で徴収します。こうすることで、大名は村の中での耕作権に係る必要がなくなります。そこで、耕作権は村で管理することになります。この場合の問題点は、反収が少なく、耕作が見合わない土地の管理です。反収が多い土地に比べて、労働生産性が低いので耕作したい人はいなくなりますが、そこからも年貢を納める必要があります。また、村全体の食糧生産が確保されないと飢餓のリスクが生じます。こう考えると、耕作権に関する統計資料がないので、わからないのですが、割地制度がかなり広く普及していたのではないでしょうか(注1)。割地制度は、村の土地をブロック(割地)にわけて、その耕作権を農民の間でローテーションする仕組みです。マルクス先生も真っ青の生産手段の共有方法です。割地制度の普及は、結果平等主義を是とするカルチャーを作ります。

日本の社会組織を、中根千枝はタテ社会といったのですが、別に、新しい用語を使わなくとも、以上の封建制度身分制度で説明できます。

新規採用で、会社に入ると、年功序列で、他の会社に移動できないのは、生まれた土地で身分が固定する身分制度に対応します。会社に入ったら、人事ローテーションで、本人の希望に関係なく異動させるのは、割地制度に対応します。これは、専門性をつぶして、低い労働生産性を維持する究極の社会主義システムです。割地制度がなければ、反収の低い土地は耕作されません。業績主義で、給与に出来高が反映され、人事ローテーションがなければ、収入の少ないポスト(労働生産性の低いポスト)は希望者が少なくなり、自然に淘汰されます。また、ローテーションがなければ、収入を増やすように専門性に磨きをかけるでしょう。人事ローテーションはこうした労働生産性の向上を阻止します。高い収入をえる唯一の方法は、年功序列で、支配者階級のポストに就くことになってしまいます。労働生産性を改善しない社長と重役だけが、偉いということになってしまいます。

日本の一人当たりGDP増大の最大の障害は、労働生産性の低さにあるわけですが、こう考えると、封建制度(割地制度)と身分制度を壊さない限りは、達成は難しいともいえます。

 

注1:浅沼(1971)には、全国の割地慣行の地図がのっています。この図では、割地制度は限定的で、全国の2割程です。しかし、50年経って、最近の研究では、エリアは広がっているように思われます。基本的な疑問は、「生産性の低い土地」を耕作させる「割地制度」のよい代替案があるかということです。代替案がなければ、記録に残っている以上に広がっている可能性があります。耕作者が夜逃げをしてしまった場合には、そこに新たな耕作者をあてがうことは村三役の役目でした。「生産性の低い土地」が大量に発生する災害を機会に割地制度が導入されることが多いのは、このためです。

 浅沼 操(1971)日本の割替慣行の地理学的展望 (その1)新地理19 巻1 号p. 1-32