前回は、「エコロジカル・フットプリント」、「ライフサイクルアセスメント」、「カーボンフットプリント」を復習してみました。
「カーボンニュートラル」=「カーボンフットプリント」+「カーボンオフセット」
という流れになりますが、先に、進む前に、wikiで「エコロジカル・フットプリント(EF)」の問題点を整理しておきたいと思います。
「エコロジカル・フットプリント」の問題点
グローバルヘクタールと生物生産力
最初に原単位の問題があります。現代の統計学では、正規分布以外で、平均値を代表値に使うことはご法度です。しかし、フットプリントでは、そんなことは気にしません。wikiの引用は以下です。
EFと比較する生物生産力(生物学的生産力)は、気候風土や利用形態によって生産性が全く異なっている。たとえば、一般に、熱帯・温帯地域では生産性が高く、乾燥気候や高緯度地域では生産性が低い。農耕地でも、作付ける作物の種類や農法によって生産性が異なってくる。
この差異を補正し、標準化した生物生産力の単位として「平均的な生物生産力をもつ土地1ヘクタール」に相当する「グローバルヘクタール」(gha)が考案されている。土地の種別ごとに、グローバルヘクタールを算出するための世界共通の係数は「等価ファクター」"equivalence factor"と呼ばれ、年毎に再計算されている。また、各国の実情を反映するための係数は、「収量ファクター」"yield factor"と呼ばれる。
したがって、「ある国の特定種類の土地の生物生産力総計」(単位:gha)=「その国の特定種類の土地の総面積」x「その国のその土地の収量ファクター」x「等価ファクター」となる。
この段階で、かなり怪しいのですが、一番の問題は、オーバーシュートです。
日本はエネルギー、食糧、木材を輸入しています。これから、日本人口が生活するために必要な面積を計算すれば、日本の国土面積より大きくなるだろうことは想定できます。
フットプリントの計算を国別に行い、全ての国のフットプリントを合計すると、地球のフットプリントが計算できます。この値は、『生きている地球レポート』で公開され、1980年に1を超えたことになっています。
wikiを引用します。
生きている地球レポート
環境問題に関する報告書である『生きている地球レポート』が、世界自然保護基金(WWF)によって1998年から隔年ごとに発行されている(直近は2008年版)。その中では、EFを用いた環境への負荷の分析が行なわれている。
『生きている地球レポート2006』では、世界全領域でのEFが生物生産力を上回るオーバーシュート状態は1980年代に起こったと記載している。2003年時点では、一人当たりのEF・生物生産力は、2.2(gha/人)と1.8(gha/人)であり、EFが生物生産力を20%強も上回る状態となっている。さらに、化石燃料の使用によるEFに特に着目し、1961年から2003年の間に9倍以上になったと指摘している。このような状態について、対処を行なわない場合、環境の再生機能が近未来に損なわれる可能性について警鐘を鳴らしている。
次の図は、『生きている地球レポート2006』に掲載されています。
図1 エコロジカル・フットプリントの3つのシナリオ『生きている地球レポート2006』
日本が食糧や木材を輸入している実際の海外の生産面積があります。単純に考えれば、これが、日本のエコロジカル・フットプリントのように思われます。しかし、この方法で、世界中の国のフットプリントを合計しても、地球の面積を越えることはありません。つまり、オーバーシュートは起こりません。つまり、ここにトリックがあります。計算に使う面積は、生産が持続可能でない場合には、実際の面積に割増係数をかけます。この割増係数のかけ方で、オーバーシュートが発生します。
この方法は、割増係数の作り方に、客観性がどの程度あるのかという疑問を除けば、まっとうに思われるかもしれません。しかし、基本的な問題を抱えています。たとえば、食糧生産は、1909年に、バーバー・ボッシュ法によって、空気中から窒素を集めることができるようになって、窒素の制約から解放されます。この時点で、人類は食糧生産を上げる手段を手に入れ、飢餓から解放されます。しかし、これは、灌漑の必要な農業の本格的な始まりであり、水質の冨栄養問題のスタートでもありました。バーバー・ボッシュ法以前は、生産量は環境容量を越えることはできませんでした。このため、1909年以前は、先進国でも、貧困層では、飢餓問題が、日常化していました。オーバーシュートの原因は、1909年にあるわけです。オーバーシュートのない世界に、地球を戻せば、飢餓の世界になる可能性があります。
さて、最後に、wikiで、「エコロジカル・フットプリントの批判と限界」をみておきましょう。
技術革新の問題は、論点2で取り扱われていますが、フットプリントは、技術革新に対して、後ろ向きです。これは、技術革新で、原単位が大きく変わると、フットプリントの議論が成立しなくなるためです。
さて、今回の検討の当面の第1のゴールは、カーボンニュートラルです。政府は、カーボンニュートラルで技術革新が進んで、経済成長が回復するようなシナリオを描いていますが、これは怪しいです。「カーボーン・フットプリント」も、「エコロジカル・フットプリント」と同じような原単位計算をします。つまり、実際のCO2ではなく、計算上のCO2が問題にされます。しかし、このことは、技術革新を阻害する要因になります。
具体例で説明します。かって、太陽光発電の設置の大きな補助金が投入された時期があります。その結果、起こったことは、電気代の値上がりと、国内の太陽光パネルメーカーの生産からの撤退です。パネルメーカーは、補助金なしでは、売れない高い価格に依存し、国際競争に負けてしまいます。これは、価格面と発電効率の2つの面で、負けてしまったわけです。過去の事例では、補助金を入れれば、性能向上や、価格低下なくとも売れますので、補助金は、技術革新を阻害します。今回のカーボンニュートラル対策でも、NEDOに2兆円の基金を作るといっていますから、同じことが起こる可能性が高いといえます。
以下は、wikiの引用です。
エコロジカル・フットプリントの批判と限界
EFを用いたアプローチは、様々な理由に基づき批判を浴びてきた。良く取り上げられるのは1999年に公表された初期の批評である。2008年5月に欧州委員会環境総局へ答申された報告書には、これまでのEFに対する評価の中で、最新の独立した評価が記載されている。 これまで提示されたEFへの批判とそれに対する反論については、次のようなものがある。
論点1
(批評)EF計算は不完全で不正確である。 (反論)確かにその通りであり、全ての人間活動を計上したものではない。しかしながら、人間活動による影響を内輪で見積もり、少なくとも計算された大きさの影響が生じていることを示している。生物生産力と比較して、オーバーシュートしていることが判明した場合に、警告を与える指標としては十分に有用である。
論点2
(批評)生物生産力は技術革新で向上させることができ、環境収容力も向上させることができるのではないか。 (反論)EFは生物生産力の変化を表す指標ではない。EFは分析時点での環境への負荷を示す指標である。技術革新自体は有用であるが、技術の発展した国(高所得国)とそうではない国々を比較するとわかるように、技術の発展は個人あたりのEFを増加させる傾向がある。
論点3
(批評)異なる土地形態の合算は、土地利用の代替性を前提としているが、成り立たない。 (反論)EFは情報を集約した指標の一つである。そういった指標の構成要素は、必ずしも交換可能である必要が無い。
論点4
(批評)特定の国・地域でオーバーシュートが起きているとしても、貿易で補っているので問題は無い。また、特定の国・地域では、自給自足できるほどの生物生産力を元々持っていない。 (反論)貿易自体を否定するものではない。全世界的な生物生産力の再配分を考えたとき、局地的な過剰消費について再考を求める指標として、EFは有用である。EFがオーバーシュート状態であると言うことは、自然資本の消耗を意味する。したがって、地球全体でのオーバーシュートは解消されなければならない。
論点5
(批評)化石燃料のEFを、二酸化炭素吸収地として示すのは不適切ではないか? 相当する量のバイオマス燃料生産に必要な面積や、相当するエネルギー量のバイオマス再生産に必要な面積で表すべきではないか? (反論)3種類の面積の計算では、二酸化炭素吸収地が最小になるため、これを採用している。
-
生きている地球レポート 2006
https://wwfeu.awsassets.panda.org/downloads/lpr_2006_japanese.pdf
-
生きている地球レポート 2008
https://www.wwf.or.jp/activities/upfiles/WWF_LPR_2008j.pdf
-
生きている地球レポート wiki
-
エコロジカル・フットプリント wiki