モデルなき世界への船出~コロナウィルスのデータサイエンス(56)

モデルありきの世界

1990年まで日本は、先進国に追いつくためのモデルありきの経済発展でした。

一人当たりGDPが米国に次ぐようになって、今までのキャッチアップ経済、良いものを安く作るという経済に限界が来ることが認識されてきました。その切り替えが成功したとは言えないと思いますが、少なくとも、効率よくまねる経済ではなく、独創な価値や新産業を生み出さないと、経済発展はなくなると考えらました。教育では、ゆとり教育が試みられました(注1)。しかし、現実は失われた30年になったわけです。

その間にも、ITが新産業をけん引するとか、クラウドコンピューティングが新しい時代を作るといった旗振りはありました。実際に、スマホも、タブレットクラウドコンピューティングなしには成立しないシステムになっています。あまりに、多くの要素がネットワークを介して結合してしまった結果、それらをシステムと呼ぶことは実態にふさわしくないとして、最近ではエコシステムという言葉すら使われています。しかし、日本のITはクラウドコンピューティングだけでなく、多くのIT技術で連戦連敗の成績です。

負けてはいるのですが、依然として、そこには、米国型のサービス産業を中心とした産業構造への転換を図らなくてはならないというモデルがあります。

コロナウィルスの問題が発生したときにも、日本は、台湾のように、前例のないところに、世界にさきがけて、対策を講ずるという意気込みはなかったと思います。いつものように、マスコミは、海外の先進事例を紹介し、それに乗り遅れないようにという意識を視聴者に植えつけます。この前例を引用するという習慣は公務員の世界では非常に強いものがあります。それは、問題があっても、前例があって、それを使えば、責任をとらなくても良いのですが、前例がないと、責任を取らされる組織文化にあります。新しいことを生み出すには、時間と失敗の繰り返しを抱え込むことになります。これは、ペーパー試験で高い点数をとる学習の仕方とは、真逆になります。公務員は、ペーパー試験で選別されますから、効率文化が組織文化になっています。

コロナウィルスの対応の意思決定も、判断の基礎となるデータはほとんど公開されいませんので、実態はわかりません(注2)。ただし、データなしに意思決定するアルゴリズムとしての先進事例をマネするという方法があり、このアルゴリズムが使われた可能性はあります。諸外国では、感染者が増えているフェーズでは、非常事態宣言がだされ、ロックダウンが行われました。この場合、「非常事態宣言」と「ロックダウン」が感染者増加を抑えるモデルになります。モデルありきのアルゴリズムでは、モデルに従って手続きを進めないと、感染者増加の責任を取らされる可能性があります。仮に、感染者が増えても、モデルに従った手順(アルゴリズム)を踏んでおけば、それは、頑張ったのにダメだったということで、責任問題にはなりません。そこで、名前だけで、法的な強制力や財源の担保のない「非常事態宣言」をつくります。次に、「ロックダウン」に対応する手順として、「非常事態宣言」に基づく「行動自粛」を要請します。ここで、行政的な責任文化でいえば、仮に、「行動自粛」がうまくいかなくて、感染の増加を抑えれれなくとも、それは、「自粛」要請に従わなかった、国民の責任であって、行政の責任ではないと考えるわけです。このように考えると、諸外国からは理解されなかったコロナ対策がそれなりの効果を当げている理由が説明できます。そして、このようなアルゴリズムに従って意思決定するのであれば、根拠となるデータは不要になります。

モデルの世界の生き延び方

連休があけて、「非常事態宣言」と「行動自粛」を解除しなければならない、フェーズになってきました。いままで、データに基づく意思決定が行なわれていれば、ここで、ぶれることはありません。「非常事態宣言」と「行動自粛」をデータに基づいて行えば、解除に必要な条件は自明です。解除に必要な条件を専門家会議に聞かなければならないという反応は、「非常事態宣言」と「行動自粛」が、データに基づかず、モデルをマネするというアルゴリズムが採択された可能性があることを示唆しています。

さて、今後も継続して、モデルに基づく意思決定アルゴリズムを採用しようとすると、「非常事態宣言」解除の使えるモデルがあるかという問題に直面します。

  • 感染者数の多い欧米は、使えるモデルとはいえません。

  • 中国は、感染者数では、同じレベルですが、社会体制があまりに違いすぎてモデルになりません。

  • 韓国がモデルになると。一時期、韓国自身も言っていたのですが、感染が再度増えてモデルにはなりません。

  • 台湾、ベトナムニュージーランド、オーストラリアは、強力に感染の封じ込めを行い、成功したので、日本のゆるい規制のモデルにはなりません。

  • このブログでは、一番参考になるのは、タイとマレーシアではないかと申し上げました。しかし、この2か国の移動規制は非常に強いので、日本が、そこまで強制的な移動規制をかけなければ、モデルにはなりません。

というわけで、日本は、「非常事態宣言」の解除になって、モデルなき世界に突入しています。

モデルなき世界では、失敗はつきものです。この場合には、全国一律のマニュアルに基づく判断をしてはいけません。すべての卵を同じバスケットに入れては、いけないのです。成功した自治体と、失敗した自治体が出てきます。もちろん、先進事例モデルに従うアルゴリズムはつかえません。データに基づいて、各自治体が、リスクをとって判断しないといけません。補助金行政に慣れた自治体では、いままで、国のガイドラインに書いてあれば、問題があっても、その責任を問われることはありませんでした。ですから、この転換は容易ではありません。

日本は、30年遅れて、本当に先進モデルのない状況に入りつつあります。今後、何が起こって、どのように対策すべきかを分岐を作って、場合分けして説明できる状況ではなくなりました。

コロナウィルス対応を乗り切れるか否かは、日本の社会システムの試金石とも思われます。

注1:

日本では「ゆとり」教育などの言葉が増幅して意味不明になります。創造性の意味は、カーネマンの「ファースト・アンド・フロー」では明快です。人間の行動パターンには、ヒューリスティックに基づくものと、思考判断に基づくものがあります。前者が「ファースト」で後者が「スロー」です。一般に、行動の9割は前者です。というのは、思考判断に基づく行動は、時間とエネルギーが、ヒューリスティックに基づく場合より1ケタ大きくなるからです。前例主義、マニュアル主義は、典型的なヒューリスティックです。創造は、前例に基づきませんから、思考しないとだめです。問題は、思考の非効率に耐えられるかという点です。「ゆとり」教育では、効率が重視され、教科書が薄くなりました。試験に出ないものは不要であるから、教科書に乗せないという考え方です。この時点で、既に間違っています。教科書には試験に出ない内容も多く入れるべきです。同じ内容が表現を変えて、繰り返しでてきても構いません。試験勉強の一夜漬けは、キーワードの暗記だけなので、思考とは関係ありません。思考は、時間がかかるので一夜ではできません。一夜漬けで、成績があがるのであれば、創造性を問わない試験問題を作った問題作成者が間違っています。このような問題で合格点をとることと創造性は関係がありません。これでは、失われた30年が続くことになります。

注2:

コロナウィルス対策が、中国要人の来日予定やオリンピック開催の延期にリンクしていたことは、明白なので、国民の健康を優先して、データに基づいてコロナウィルス対策の意思決定したと主張しても、信用するひとは少ない状況です。また、実際に、意思決定の根拠は示されていませんので、多くの人は根拠がなかったから示せなかったと理解していると思われます。当面は不要不急の活動は自粛するようにと要請しながら、延期されたとはいえ、不要不急の法改正を進めてきました。こうした中で、政府は「国民の健康を優先して最大限のコロナウィルス対策をしてきたし、これからもするつもりなので、行動自粛要請に協力してほしい」という呼びかけを繰り返します。

ここにある政府の行動原理は、ポストトゥルースの政策論理かもしれません。前回の選挙では、物価が2%上昇して、賃金上昇が1%の名目上昇でした。これは、実質は、1%の所得減少です。にもかかわらず、名目賃金上昇を示して、経済政策の結果1%所得が増えたというキャンペーンをして選挙に勝ちます。1%の所得減少というトゥルースは、1%の所得増加というポストトゥルースに置き換えられます。この政策論理で大切なことは、問題を解決することではなく、ポストトゥルースを作り出して、選挙に勝つことです。今回も「国民の健康を優先して最大限のコロナウィルス対策をしてきたので成果が出ている」というワンフレーズを繰り返すポリティックスが行われていますので、ポストトゥルースの政策論理が使われています。この政策論理では、フレーズを繰り返して、ポストトゥルースができれば、問題解決はどうでもいいので、PCR検査も増えませんし、マスクも買えません。マスクが買えるようになったら、政策効果だというでしょうが。

政策論理には、このポストトゥルースの論理、先事例モデル論理エビデンスに基づく科学的な論理、選挙の支援団体である業界に資金還元する論理、対処療法でお金をばらまく論理(これは、財務省以外の官僚の支持を得やすいです)などがあり、場合によって、使いわけられています。エビデンスに基づく論理以外は、データを公開するとその論理が使えなくなる可能性が高いので、データが公開されなくなります。ですから、どの政策論理が使われているかはわかりませんが、ともかく、今使われているのは、エビデンスに基づく問題解決のための政策論理ではありません。

対処療法でお金をばらまく論理をつかうと、対象の業界が破壊されて、競争力がなくなります。これは、選挙の票を得るには有効ですが、対象の企業が毀損します。過去に、温暖化対策で1兆円近くの補助金がバラまかれ、パネルを作っていたシャープなどは、補助金だのみの体質になって、毀損しました。ジャパンディスプレイもこのタイプの毀損と思われます。失われた30年の元凶のひとつがここにあります。