(リベラルアーツの経済への影響を考えます)
1)経済活動の基本
経済活動の基本は、モノ、または、サービス(以下、モノで代表)を提供することです。
つまり、モノがつくれなければ経済は回りませんし、経済成長はありません。
これから、インフレになれば経済成長することはあり得ないことがわかります。
別の証明は、因果モデルの条件の点検ですが、今回は、モノをつくることに注目します。
高度経済成長期のように、外貨や資金がモノを作る制約の時代は、1972年頃に終了します。
それまでは、公共事業の資金すら不足して、世銀の融資をうけていました。
この資金が制約になる条件は、1995年以降のデジタル化で、経済の中心が情報になった結果、更に弱くなります。
OpenAIのようなベンチャーは膨大な資金を必要とします。しかし、ベンチャーをスタートする時点で、必要な資金はあまり大きくなく、中途で、成果が出始めてから、本格的な資金獲得が可能です。
つまり、経済成長の中心課題は、モノ、とくに新しいモノを作ることにあります。
そのモノはスマホや、生成AIのように、今までなかったモノである必要があります。
2)リベラアーツの課題
日本の現状は、新しいモノを作ることとは疎遠になっています。
こう考えると、何故、新しいモノ作りとは疎遠なのか、その原因は何かが問題になります。
「新しいモノ作りとは疎遠」(結果)を、生み出す原因を推定するアブダクションです。
新しいモノ作りは、既存のモノづくりの改良の上にあります。
新しいモノ作りは、既存のモノづくりの技術が理解でき、新しいモノに応用できる人材(エンジニア)が必要です。
ここで、日本では、文系(リベラルアーツ)のミームの人が、経営幹部に多いことが問題になります。
1959年に、スノーは「2つの文化と科学革命」の中で、エンジニア育成をしなければ、科学技術立国はできないと主張しました。
この主張は、第1に、エンジニアのスキルがなければ、新しいモノがつくれないという意味です。
しかし、ここには、第2の問題があります。
文系(リベラルアーツ)の人は、新しいモノがつくれません。
この新しいモノとは、設計図の下書きでも構いません。
エンジニアがグループで活動しますので、エンジニアが理解できる下書き、あるいは、指示書が書ければ、新しいモノ作りがスタートします。
しかし、文系(リベラルアーツ)の人は、新しい設計図の下書きが書けません。
エンジニアの科学のミームがなければ、新しい設計図の下書きが書けません。
そこで、文系(リベラルアーツ)の人が、経営幹部から撤退すれば、被害が発生しません。
しかし、年功型雇用では、給与はポストに付きます。
新しい設計図の下書きが書けなくても、給与を得ることが可能です。
これは、ジョブ型雇用ではありえません。
とはいえ、何もしないことは居心地が悪くなります。
そこで、経営幹部は、文系(リベラルアーツ)で、出来る仕事を考えます。
しかし、文系(リベラルアーツ)では、新しいモノはつくれないのです。
可能な仕事は、新しいモノをつくらずに、利益をあげる方法です。
これは、中抜き経済に他なりません。
つまり、文系(リベラルアーツ)の人が、経営幹部にいる年功型雇用組織は、かならず、中抜き経済を生み出します。
スノーは、エンジニアのスキルがなければ、新しいモノがつくれないといいました。
これに加えて、文系(リベラルアーツ)の年功型雇用組織は、中抜き経済を生み出すのです。
国策の半導体工場で、つくるものは、既存のモノであって、新しいモノではありません。
文系(リベラルアーツ)では、新しいモノの設計図は、書けないからです。
中抜き経済は、日本経済の中心にあり、新しいモノはつくれなくなっています。