市場経済と経済政策

1)経済政策

 

政府が経済政策を行うときには、経済学に基づきます。

 

経済学は、科学になりきれていない部分があります。

 

科学の理論では、正しい理論は1つしかありません。

 

ニュートン力学は、適用可能範囲が、相対性理論より狭くなっていて、光速に近い速度の現象では、ニュートン力学は間違っていて、相対性理論を使う必要があります。

 

経済学には、複数の理論があって、経済政策を行う場合には、どの理論が正しいのか、議論がありますが、結論は出ません。

 

マルクス経済学は、イデオロギーですが、検証されていないので、科学ではありません。

一方の近代経済学も複数の理論が併存していますので、科学になりきっていません。

 

科学の方法からすれば、こうした場合、仮説の検証可能性が問題になりますが、エビデンスに基づかない経済学もあるので、依然として、科学ではないイデオロギーを経済学と呼んでいる場合も多いと考えられます。

 

2)市場経済

 

経済学は、科学になりきれない原因には、理論化の前提の問題があります。

 

近代経済学は、市場で、人間が、経済的に合理的な活動をすることを仮定しています。

 

セントラルドグマの需要と供給のバランス(市場原理)は、買手は、同じ機能があれば、価格の安い方を選択すると仮定します。

 

これは、同じ商品を隣合わせた2軒のスーパーマーケットで売っている場合、消費者は、安い価格を提示したスーパーマーケットで商品を購入すると仮定することになります。

 

市場原理を前提とすれば、お金のストックとフローは、微分方程式で書くことができます。

 

この微分方程式を解くか、その性質を調べることが経済学になります。

 

市場原理が、成り立たない条件には、独占や寡占があります。

 

寡占では、供給側(売り手)が、価格を決めることができ、市場原理が働きません。

 

市場原理は、物理学の法則のように、その法則から、誰も逃れられないものではなく、簡単に破ることができるルールです。

 

しかし、市場原理が、資源を最も有効に活用する方法になるので、できるだけ市場原理のメカニズムが働くようにすべきであると、経済学者が考えます。

 

これは、国単位で考えれば、資源を有効に使えば、所得が増え、環境に優しい状態になるためです。

 

強欲資本主義キャンペーンを張る人がいますが、経済学は、歴史的には、貧困問題の解決を目指して、研究が進み、貧困対策には、社会全体が資源を無駄にしないことが必要であって、市場原理が一番有望な解決であると考えられています。

この方法では、格差がつきますが、経済成長するので、所得再配分によって補正する原資ができます。

 

3)経済政策

 

経済政策は、経済学に基づきます。

 

経済学では、矛盾する複数の理論があって、理論によって、最適な政策が異なります。

 

しかし、この話には、裏があって、科学ではない、イデオロギーの経済学が、横行しているためと思われます。

 

科学であるかないかは、エビデンスに伴う検証過程があるか否かで判断できます。

 

日本の経済政策には、エビデンスを伴う検証過程がないので、イデオロギーに過ぎないものが横行していると思われます。

 

イデオロギーの語源は、アイデアであり、思いつきにすぎません。

 

とはいえ、思いつきで経済政策を進めますとは言えないので、欧米の経済学の理論を引用します。

 

この時には、2つの問題点があります。

 

第1に、引用する目的が、権威を借りるのであれば、引用する経済学の内容には、関心がありません。経済学の理論の一部を切り出して、利用することもありますし、そもそも理論を理解していない場合もあります。

 

第2に、経済学の理論の前提条件が当てはまっていないことがあります。これは、Casual Universeを無視した引用を意味します。

 

4)市場原理

 

第2の問題点を補足します。

 

経済学の理論は、市場原理を前提とします。

 

これは、市場がない場合や、寡占の場合には、理論が当てはまらないことを意味します。

 

英国では、サッチャー政権の前には、ストライキが多発して、経済は行き詰まっていました。

 

ストライキは、大規模になれば、労働市場における寡占を生み出します。

 

その結果、市場原理による効率化や生産性の向上が阻止されます。

 

この場合には、経済理論は当てはまらなくなります。

 

日本では、系列取引が多く、中間財の市場がありません。

 

その結果、大企業に、中間財を販売する中小企業は、中間財を市場価格で、販売できません。

 

中小企業は、インフレで材料費価格が上がっても、価格上昇を、製品価格に転化できないと言います。これは、中間財の販売市場が、大企業の寡占になっているためと思われます。

 

つまり、独占禁止法に抵触する可能性があります。

 

パナソニックは、家電製品をメーカー価格で販売しています。

 

それまでは、家電メーカーは、量販店に価格を叩かれて、定価販売できませんでした。

 

これは、系列取引と同じように、量販店が、買い手市場を寡占して、市場価格より買い叩くことができていたと解釈できます。

 

こう考えると、消費財であれば、市場原理で価格が決まっていたとは言えません。

 

5)経済政策の欠如

 

政府は、経済学によらずに、経済政策ができると主張しています。

 

経済学は、科学としては、まだ、不完全な部分はありますが、優秀な学者は100年近く、改良を行なった成果です。

 

政治家の思いつきは、経済学を超えることはありません。

 

半導体の不足は、系列取引による中間財の市場破壊が原因であった可能性が高いです。

 

ガソリンの補助金は、消費財としてのガソリン市場を破壊します。

 

介護職員の給与は低く、人手不足です。

 

しかし、介護職員の収入は、介護される人の生涯賃金の一部です。

 

介護される人の生涯賃金が、介護職員の賃金と同じであった場合を考えると、持続可能な介護職員の賃金がもとまります。その値は、働く期間と介護を受ける期間の関数です。

 

簡単な算数ですが、介護を受ける期間が余程短くなければ、介護職員の賃金は安くなります。

 

現在の政府の政策には、このレベルの算数も含まれていません。

 

ここまで、経済学を無視して、市場を破壊すると、経済政策に使える経済学は無くなります。