(インスタンスのない理解は、データサイエンスの基準では、理解と言えません)
マルクスは、分配の平等を主張しました。
ロールズは、機会の平等を主張しました。
バイナリーバイアスの世界では、どちらがよいかという議論になります。
一方、データサイエンスでは、これは、アルゴリズムの問題です。
データサイエンスでは、理解できていることは、アルゴリズムをコーディングして、オブジェクトの条件をみたすインスタンス(数値例)を作成することになります。
最近では、政府の色々な分野の有識者会議が、高度人材の処遇をすべきと書いています。しかし、原資の資金に制限がありますので、高度人材の給与をあげると、他の人の給与を下げることになります。しかし、有識者会議は、高度人材の給与をあげる代わりに、誰の給与を下げるべきか書いていません。有識者会議が、高度人材を処遇する給与体系を提案できている(理解できている)場合には、誰の給与を増やし、誰の給与を減らすかというインスタンス(数値例)が提示できるはずです。
データサイエンスの判断基準で言えば、インスタンスが提示できていない有識者会議は、問題解決法が理解できていないことになります。
これは民間企業でも同じです。新聞には、高度人材の初任給を700万円にした企業の例が取り上げられます。この700万円は、どのようなアルゴリズムできめられた数字(インスタンス)でしょうか。新聞には何も書かれていません。
GAFAMの初任給は、1000万円を越えます。バックには、給与に対するジョブで得られる収益で、給与を払えるという計算があります。このレベルの給与計算が出来なければ、
文系と理系の問題は、日本以外では、スノーの「二つの文化」で解決済みです。文系は理系をりかいでませんので、理系の学習をすべきです。ギャップをうめる方法はありません。
リベラルアーツをいくら学習しても、ChatGPTは作れません。
データサイエンスの世界の真理は、進化し、時代(時間)とともに変化します。
永遠の真理があるという前提は殆どの場合に成立しないことが分っています。
言葉、有効な思考の道具ですが、リアルワールドとのリンクは曖昧で、遷移します。
言葉(オブジェクト)とリアルワールド(インスタンス)の対応が不確実なので、必ずエビデンス(インスタンス、数値例)に戻って確認する必要があります。
データサイエンスは、確率分布を伴う変数を扱います。これは、言葉では処理不可能です。論理(アルゴリズム)は、サンプルコードで表現できます。これは、言葉による文章を高次元に拡張したコンピュータ言語です。日常言語を使うメリットはありません。
確率分布を伴う変数を扱うことは、バイナリーバイアスを避ける基本的な方法です。これなしでは、データサイエンスは成立しません。
「文系」で、「理系」が理解できると主張する人がいれば、サンプルコードを日常言語に書き直してもらえばよいと思います。
少なくとも、筆者には、そのような不毛な作業をする気力はありません。
70年前の1959年の「二つの文化と科学革命」で、日本は、スノーの間違った理解をしました。その結果、日本は、世界で、唯一「文系」と「理系」の区別が残っている国になっています。
ChatGPTは、オブジェクトを引用します。しかし、インスタンスを作ることができません。
インスタンスを作れない学問は、形而上学で、現実問題の解決はできません。
ハンガリーが、社会主義政権に変わったときに、市場経済が否定されました。政府の予算は、市場原理によるのではなく、必要に応じて配分すべきとされました。しかし、予算配分を決めるアルゴリズムは存在しませんでした。政府は、適当に予算配分をきめるしか方法はありませんでした。
つまり、「政府の予算を、市場原理によるのではなく、必要に応じて配分すべき」というアイデア(オブジェクト)は、実際の予算配分というインスタンスを作ることが出来ませんでした。データサイエンスで言えば、実装不可能なアイデアでした。
日本には、労働市場がありません。これは、資本主義としては、致命的な欠陥です。リスキリングしても、給与がふえませんので、誰も、リスリングしません。労働市場に代る労働力の配分が適切にできる方法がありません。これがないと、産業構造が変わりません。
高齢化に伴って、労働力は減少しています。しかし、労働市場がないために、労働力が眠っています。労働市場があれば、人手不足になれば、賃金はあがります。フルタイムでなくても、時給の高いジョブが生まれます。
日本は、非正規や非フルタイムの賃金を切り捨ててきました。賃金は、労働の対価ではなく、ポストに付いています。
本来であれば、DXが進めば、レイオフが起こる代りに、労働生産性があがった分だけ、賃金が上がります。レイオフされた人は、リスキリングして、より賃金の高いジョブに着きます。これが市場原理です。
政府やマスコミは、2024年や2025年に労働力不足が起こるという問題があると書き立てます。しかし、そのような問題は存在しません。あるのは、労働市場の欠如という問題だけです。
つまり、2024年や2025年の労働力不足を論ずる人はインスタンスが見えるが、オブジェクトが見えない人たちです。
オブジェクトとインスタンスの違いが区別できないことは、抽象的な思考ができないことを意味します。
労働力不足問題があるのではなく、労働生産性をあげて、労働者の再配置を行うべき問題があります。これは、労働市場があれば、自動的に解消される問題です。
ここには、認知バイアスがあります。この問題は、次回に考えます。
引用文献
学問との再契約 (連載企画 第一回 : 超えるのではなく辿る、二つの文化)
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/268242
「パワーポイントは要らない」? 文系のプレゼンテーション方法に驚くも「言葉」に納得した理由 2023/07/12 Newsweek 安藤妙子(アステオンより転載)