弁証法の誤り

1)日本破綻・顛末記

 

2023年5月11日現在で永生未来(逢沢明、本名:稲垣耕作)氏の「日本破綻・顛末記」が、Novel Daysの2番目にランクインしています。

 

日本破綻・顛末記

https://novel.daysneo.com/works/511c9b258e22f74566eef4a065c41392.html

 

この最終章の「蛇足O 『弁証法』は論理学か?」の一部を引用します。



 

チャットGPTに「弁証法」について質問してみました。僕の今回の小説で、どんでん返しや逆転の発想法として使っていた論理トリックのテクニックです。



 

弁証法とは論理学の一種ですか。

 

 

弁証法は、単なる論理学の一種ではありません。弁証法は、哲学の一分野であり、相反する要素が互いに作用し合い、矛盾が解消される過程を分析するための方法論です。弁証法は、ドイツの哲学者ヘーゲルが提唱したものが有名ですが、それ以前から中国やインドなど様々な文化圏で独自の弁証法が発展してきました。

 

論理学は、論理的な思考や論理学的な法則について研究する学問であり、主に数学や哲学などで扱われます。弁証法は、論理学的な方法論を用いつつも、より包括的な哲学的な問題に取り組みます。弁証法は、相反する要素が互いに作用し合うことで、新しい洞察や知識を生み出すことができるという、哲学的な理念に基づいています。



非常に望ましい答えを返してくれました。弁証法は「論理学でなく、哲学や方法論である」というのが正しい見解であるべきです。

 

 ところがウィキペディアで「弁証法」を見てみると、「弁証法的論理学」という項目が立っています。これは〝恐るべき迷妄〟というしかありません。英語版の「Dialectic」には記載されていませんから、哲学後進地である日本の文系哲学者が、この恥ずべきトンデモ項目を書き加えたのでしょう。

 

 肯定と否定の両方が成り立つと、論理はたちまち崩壊します。自動推論系の場合、実は「どんな結論でも導ける」ことになるという大崩壊です。ほとんどの専門書ではその注意を明示的に書いていませんから、知らない専門家が多いのだと思います。

 

 しかしチャットGPTの回答は、僕をうならせるに十分です。開発者は天才にちがいないと思うのですが、きちんとこの問題に対処しうるシステムを構築しつつあるようです。今回の質問が、チャットGPTの根源的で最も重要な潜在能力をテストするつもりのものでしたが、見事に合格してくれました。

 

(中略)

 

 弁証法はそんな人工知能問題にも密接にかかわっているのですが、文系哲学者には数理脳がありません。論理学の基本さえわかっていないにちがいなく、数学基礎論の古典的成果である論証などチンプンカンプン、人工知能の自動推論系はまったくの別世界でしょう。まずデジタル数学から勉強し始めないといけませんから。

 

 しかも先ほどのウィキペディアの記述にはきわめて重大な欠陥があります。弁証法に関しては、戦後の京大で、科学史における特筆すべき一大成果というべき、非常に大きな貢献が行われました。それが欠落しているのです。

 

 数理脳もなく、科学脳もなくては、実践的な弁証法は理解しきれません。あまりにも古色蒼然とした記述に、僕は呆然としてしまいました。国内がこの状況ですから、英語版にこの項目がないのも仕方ありませんが。

 

 

2)ウィキペディア

 

永生未来氏は、京都大学で働いていたので、京都大学に思い入れがあるのかもしれません。

 

筆者は、パース主義者(パーシアン)なので、形而上学には、関心はありません。

 

さて、英語版のウィキペディアの「Dialectic」を見ると次の様になっています。



 

弁証法は、(真実を探求するのではなく)相手の議論にうまく反論することを目的とした議論を指すeristicと、会話の一方の側がもう一方の側を教える教訓的な方法の両方と対比される場合があります。弁証法は、主要な論理や批判とは対照的に、マイナーな論理としても知られています。

 

ヘーゲル主義では、弁証法という言葉は、概念間の矛盾という特殊な意味を持ち、それらの関係における決定要因として機能します。弁証法唯物論は、主にカール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスによって生み出された理論または一連の理論であり、ヘーゲル弁証法を伝統的な唯物論に関する議論に応用したものです。ヘーゲルマルクス弁証法は、20 世紀に哲学者のカール ポパーとマリオ ブンゲによって批判されました。

 

 

要する、弁証法は、文字通り、相手の議論にうまく反論することを目的とした方法論であって、真実の探求方法ではありませんでした。

 

この弁証法を真理の探求方法に格上げしたのが、ヘーゲルマルクスになります。

 

この論理展開は、かなり乱暴で、ポパーの批判の対象になります。

 

例えば、マルクスの場合には、資本家の論理と労働者の論理があって、衝突して、最後に労働者の論理が勝つというストーリーですから、これは、弁論大会の展開そのものです。

 

論理は、誰(資本家か、労働者か)の発言かで区別されますので、パースのいう権威の方法になります。

 

資本家の論理と労働者の論理が同じ母集団(Casual Universe)を対象にしているのであれば、永生未来氏の言うように、「肯定と否定の両方が成り立つと、論理はたちまち崩壊」するわけです。しかし、弁証法で使われている方法は、権威の方法であって、Casual Universeは問題にしていません。なので、肯定と否定の両方が併存します。

 

これは、弁証法は、ヒュームの反事実モデルをクリアしていないことを意味します。

 

ChatGPTは、「それ以前から中国やインドなど様々な文化圏で独自の弁証法が発展」といっていますが、英語版のウィキペディアの「Dialectic」にも同じようなことが書かれています。

 

3)弁証法とバイナリーバイアス

 

弁証法は、基本的には、バイナリーバイアスの塊です。

 

ヘーゲルは、テーゼとアンチテーゼと言いますが、小説やドラマであれば、正義の味方と悪役に相当します。

 

典型的なストーリーは、正義の味方が、一旦は、悪役に負けそうなピンチになります。最後には、正義の味方は、悪役を倒して、ハッピーエンドになります。

 

マルクスのストーリーでは、正義の味方は労働者で、悪役は資本家です。資本家(悪役)に搾取された労働者(正義の味方)は、最後に、フランス革命のような革命を起こして、政権を獲得するハッピーエンドで終ります。

 

しかし、これは、権威の方法ですから、独裁者の出現を避けることは困難になります。

 

バイナリーバイアスは人間の認知バイアスで、意識して補正しなければ、すぐにバイアスに引き戻されます。

 

生活習慣病の場合、明確な悪玉もなければ、善玉もありません。多くの食品は、摂取量と摂取方法で、善玉にも、悪玉にもなります。簡単にいれば、グレーです。

 

データサイエンスの基本は、多くの原因は、ほぼグレーであると考えるべきだということです。



しかし、これを受け入れることは容易ではありません。テレビで、バナナ等が健康によいと言われると、直ぐに店頭在庫がなくなることが繰り返されています。

 

小説やドラマに、善玉も悪玉も登場せず、グレーな人だけが登場すれば、ストーリーを追いかけるのに苦労します。原因は1つで、誰かが悪玉で、悪玉を見つけて、罰すればカタルシスが得られます。

 

永生未来氏は、弁証法を使って、小説にどんでん返しをいれたといっています。

 

小説やドラマがヒットするためには、善玉と悪玉をいれえて、どんでん返しを仕組むことになります。そうすると、バイナリーバイアスに訴えやすくなります。

 

4)悪役はいらない

 

ヘーゲルは、テーゼに、アンチテーゼが作用することで、テーゼはレベルアップして、量的な変化が質的な変化に転換されるといいます。

 

しかし、アンチテーゼ(悪役)がなくとも、量的な変化は質的な変化を引き起こします。

 

たとえば、次世代の半導体は、2ナノスケールの半導体であると言われています。この量的な変化に、追従するためには、製造方法や製造装置の質的な変更が必要になります。

 

量が変化すると質が変化することは、エンジニアリングの基本です。

 

ビッグデータになれば、回帰分析するために、今までのように、正規方程式をつくることはできません。リカーシブな解法が必要です。

 

あるいは、確率が入ると全く異なった結論が生まれます。

 

サイコロの目を推論する場合、「Aさんは、次は奇数の目ができると言います。Bさんは、次は、偶数の目が出ると言います」

 

これは、そこで終わりです。何時まで経っても、量の変化も、質の変化も起こらず、対立する命題が併存します。

 

パーシアンの視点では、弁証法は科学の方法ではなく、権威の方法にすぎません。