(エンジニアとテクニシャンの違いを認識しないと判断を誤ります)
1)エンジニアとは
スノーが、「二つの文化と科学革命」で、養成しないと国力にかかわるといったのは、エンジニアです。
テクニシャンはシステムを効率的に使います。
エンジニアは新しいシステム(モノ、コト)を作り出します。
自動車のセールスマンのように、販売システムを上手につかって、自動車を沢山販売する人は、テクニシャンです。
テスラのEVのように、電池というハードウェアを、販売した自動車につけておいて、その容量をソフトウェアの設定で変えることで、電池を販売するシステムを作り出すのはエンジニアです。
スマホやパソコンを使いこなすのは、テクニシャンです。
新しいコンセプトのスマホやパソコンを作り出すのは、エンジニアです。
エンジニアは現在は、この世の中にないものを作り出します。
1-1)ソフトウェア・エンジニア
エンジニアのなかでもデジタル社会で求められるのは、ソフトウェアエンジニアです。
とりあえず動くだけのソフトウェアをつくる人と、優秀なソフトウェアを作る人の労働生産性を昔、IBMが計測したことがあります。
その差は27倍ありました。この比較は、ともかく、ソフトウェアを作れる人を対象にしています。生産性の一番低いプログラマーの労働生産性を1とした場合、一番優秀なプログラマーの生産性は27倍ありました。1か月のうちの労働日数は、22日です。つまり、生産性のひくいプログラマーが1か月かかる作業を優秀なプログラマーであれば、1日で終わらせることができます。
更に、生産性の低い人は、そもそもソフトウェアを作ることができません。その労働生産性は、0(ゼロ)です。27をゼロで割れば、答えは無限大になって発散してしまいます。割り算ができない条件になります。
プログラムをつくれる人の割合については、体系的な調査を知りませんが、エクセルを使っている人で、マクロプログラムを書いている人の割合は、2から5%といわれています。この場合の分母は、文系・理系の区別のない全ユーザーです。
そう考えると労働生産性が高い人は、多めに見積もっても5%程度と思われます。
この5%の人に高給を払って、能力が発揮できるようなジョブを与えて、優秀なソフトウェアを開発してもらわないと、企業がつぶれることになります。
1-2)スノーのエンジニア
スノーの考えたエンジニアは、ソフトウェアエンジニアほどは偏在していなかったと思われますが、テクニシャンでは、不十分だと考えているはずです。
パレート比を使えば、エンジニアが2割、テクニシャンが6割、卒業できない人が2割程度が妥当な水準と思われます。
スノーが、ケンブリッジでリード講演「二つの文化と科学革命」を行ったのは、1959年です。
これは、1957年のスプートニク・ショックを反映しています。
科学技術教育を充実させないと、欧米の資本主義国は、社会主義国ソ連に、支配されてしまうだろうという危機意識が働いています。
テクニシャンの養成であれば、覚えたことを効率的に使えば良いわけですが、エンジニアは、新しいシステムを作らなければならないので、暗記ではどうにもなりません。
ですから、「二つの文化と科学革命」以降の欧米の教育は、K12(中学3年)以下でも、常に新しいシステムを作ることのできる人材養成を目的においています。これは、エンジニア予備軍を養成することが目的です。
最近のSTEM教育やSTEAM教育でも、この視点はまったく揺らいでいません。
その点では、「二つの文化と科学革命」は、その後、60年間の教育の方向を決めたという点で、マイルストーンになる本です。
1-3)ゆとり教育
「二つの文化と科学革命」を読んでいれば、自然科学文化によるエンジニア養成が、科学立国の基礎であり、教育の基本目標になることがわかります。
なお、ここでエンジニアと呼んでいるのは、問題解決のシステムを作り出す人のことです。一般的なエンジニアより広い意味で使っています。
たとえば、医学でも、新しい治療法を生み出す人はエンジニアです。開発された治療法を適用する人はテクニシャンになります。
つぎに、義務教育のカリキュラムのなかで、エンジニアとテクニシャンがどのように位置づけられてきたかを考えます。
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1980年から2010年まで、ゆとり教育が実施されています。ゆとり教育は、「詰め込み教育」と言われる知識量偏重型の教育方針を是正し、思考力を鍛える学習に重きを置いた経験重視型の教育方針をもって、学習時間と内容を減らしてゆとりある学校を目指した教育で、徐々にカリキュラム内容が減少しています。
ゆとり教育は、詰め込み教育に反対していた有識者から支持されていたが、学力低下の指摘から学習指導要領の見直しが起き、2011年度以降に、これまでのゆとり教育の流れとは逆の内容を増加させる学習指導要領が施行さました。 ただし現在も学習内容は詰め込み教育時代の水準には戻っていません。
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この内容は、想像を絶しています。
冷戦時代に、ソ連に侵略されないで独立を保つには、科学技術立国を目指す必要がありました。
そのためには、エンジニア養成がポイントです。
「二つの文化と科学革命」が、スプートニックショックの後で、評判を呼んだのは、スノーが「人文的文化を否定はしないが、ソ連に征服されないで独立を保つには、科学技術立国を目指すエンジニア養成をしないとだめだ。二つの文化の間にはギャップがあるから、こう説明してもお分かりにならない点が多いとは思うが、ともかく、エンジニア養成の邪魔をしないでくれ」というメッセージを発したからだと思います。
ところが、ゆとり教育の時代も、その後も、義務教育のカリキュラムの中には、エンジニア養成が出てきません。
これでは、スノー流にいえば、科学技術立国を放棄して、社会主義国の侵略を受け入れる政策になってしまいます。
その結果、現在は、エンジニアが不在ですから、防衛省の予算を増やしても効果はありません。仮想敵国にエンジニアが多数いて、日本にいるのは、テクニシャンばかりでは、全く勝負になりません。
実際、科学技術立国を目指さないので、教育の劣化は、起こるべくして起きています。
「OECD生徒の学習到達度調査」(PISA) を気にするのは結構ですが、これは正解のある問題ですから、テクニシャン養成の評価にしかなりません。
つまり、義務教育では、エンジニアとテクニシャンの区別はまったくなされていませんし、エンジニア養成は、全く視野に入っていません。
次回は、企業の中のエンジニアとテクニシャンについて考えます。
引用文献
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%A8%E3%82%8A%E6%95%99%E8%82%B2