人文科学とエンジニアリング

(エンジニアリングの学問分野は縦割りではありません)

 

1)人文科学は役にたつのか

 

スノーは、「数学を入れたエンジニア教育を充実させなければ、国は経済的に滅びる」といっています。

 

「人文科学のみに係わる科学技術」は、スノーの科学の世界観とは相いれません。

 

こうしたスノーの主張は、人文科学への差別でしょうか。

 

恐らく、「二つの文化と科学革命」が出てきたときに、大きな論争を引き起こしたのは、スノーが、暗黙に、「人文科学では国は経済成長しない、人文科学は、経済成長にとっては役たたずだ、人文科学教育を減らしても、国の経済は貧しくならない」といっているように聞こえたからだと思われます。

 

「二つの文化と科学革命」は、論争を引き起こしました。人文科学の研究者は、巻き返しを図りました。

 

しかし、結果は、工学教育の充実でしたので、人文科学の研究者の巻き返しは成功しませんでした。

 

その原因は、政治勢力の力関係にあったのでしょうか。

 

筆者は、その原因は、スノーの主張の正しさにあったと考えます。

 

しかし、工学(自然学ではありません)が人文科学より役に立つことを論理的に示せるのでしょうか。

 

筆者は、それは可能であると考えますので、今回は、この点を取り上げます。

 

2)縦糸の科学と横糸の科学

 

人文科学は、縦割りの世界です。研究対象を決めて、対象を調べます。

 

これは、自然科学の分野、理学部、工学部、農学部でも部分的に採用されています。

 

建築学は、建物を立てる学問です。建物の材料、強度、耐震性能などは、建築学以外では取り扱いません。

 

学問分野が縦割りに設定されることを縦糸の科学と呼ぶことにします。

 

建築学には縦糸の科学の部分もありますが、それには、収まらない部分もあります。

 

エコな建築を建てて維持管理する問題、健康によい建築を建てる問題、金利があがって、住宅ローンが払えなくなる問題、これらには、生態学、医学、経済学の知識が必要になります。

 

建築学の目的が、「壊れない建築を建てる」のであれば、縦糸の建築学で構わないかも知れません。

 

しかし、建築学の目的を、「人が理想的な住環境で過ごす」とした場合には、縦糸の建築学では、問題解決はできません。専門分野を越えても使えるものは何でも使う必要があります。

 

筆者は、「エンジニアリングとは問題を解決する技術である」と考えています。

 

エンジニアリングは、まず、解くべき問題を設定して、それに、利用可能なツールであれば、何でも使います。生態学、医学、経済学はもちろんのことです。この中で、人間を対象にした医学だけは、医学者との共同研究でなければ違法になってしまいますが、注意が必要ですが、その例外を除けば、縦糸の専門分野はないと考えます。

 

このように専門分野を無視して使えるものは何でも使う科学を、横糸の科学と呼ぶことにします。

 

エンジニアは、横糸でエンジニアリングを進めます。一方、縦糸の部分の建築学を担当するのはテクニシャンです。

 

そうすると、「エンジニアリングとは、専門分野にとらわれず、使えるものは何でも使って問題を解決する技術である」と言えます。

 

このことが理解できれば、スノーが、「数学を入れたエンジニア教育を充実させなければ、国は経済的に滅びる」といったことは、納得できると思います。

 

「問題解決のためには、使えるものは何でも使う」のが、エンジニアなので、エンジニア教育とは、「問題解決のためには、使えるものは何でも使える」人材養成に他ならないからです。



3)科学技術基本法の改訂

 

2020年6月に、「人文科学のみに係る科学技術」及び「イノベーションの創出」を「科学技術基本法」の振興の対象に加えるとともに、科学技術・イノベーション創出の振興方針として、分野特性への配慮、あらゆる分野の知見を用いた社会課題への対応といった事項を追加する「科学技術基本法等の一部を改正する法律」が成立しました。

 

この表現は、かなり奇妙に見えます。

 

改訂された科学技術基本法に出て来る「人文科学のみに係る科学技術」は、縦糸の科学を意味しています。

 

改定前の科学技術基本法に、エンジニアリングが含まれていれば、「あらゆる分野の知見を用いた社会課題への対応」を追加する必要はないはずです。エンジニアは、「問題解決のためには、使えるものは何でも使い」ますので、「分野特性への配慮」はしません。「配慮」するのは、違法になりそうな医学の分野だけです。

 

つまり、科学技術基本法には、テクニシャンは登場しますが、エンジニアは登場しないように見えます。

 

科学技術基本法の科学と、スノーは、「二つの文化と科学革命」で述べたエンジニア中心の「科学革命」の科学は、別のものと思われます。

 

4)エンジニアの不在

 

筆者は、エンジニアを養成しない社会、エンジニアを必要としない社会だと思います。

 

政府は、何か問題があると対象分野の専門家による有識者会議を開いて、解決策を提案しますが、失敗が続いています。有識者ベストアンドブライテストなので、他に方法はないのでしょうか。筆者はそうは思いません。

 

例えば、介護には力仕事が多く、常に人手不足を抱えています。人文科学の専門家が、実際の介護現場で、どのような人手不足があるのかという問題点をよく知っています。しかし、人文科学の専門家は、その先には踏み出しません。

 

課題が、「介護労働の確保」であれば、エンジニアリングは、経済学であれば、賃金をあげる、ロボット工学であれば、介護ロボットを開発する、建築学であれば、介護しやすい建物構造に改築するなど、問題解決のためには、専門分野を問わず使えるツールは何でも使います。

 

こうなると、介護の人文科学の専門より、エンジニアを呼んできた方が、介護の問題解決が速くできます。

 

スノーが、「数学を入れたエンジニア教育を充実させなければ、国は経済的に滅びる」と主張したことは、こうした問題を一般化した表現です。

 

エンジニアはどうして、「問題解決のためには、使えるものは何でも使える」のでしょうか。専門外のツールを使っても間違いを起こさないのでしょうか。

 

そのヒントは、数学にあります。分野が違っても、数学的に同じ関数であれば、ツールは簡単に使いこなせるからです。

 

大前研一氏は、次のようなAIツールの利用例を紹介しています。

 

これは、社会が、エンジニアを必要としているからできることであり、スノーのいった、エンジニア教育が普及したからできることと思われます。

 

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 たとえば、すでにカナダでは弁護士業務のかなりの部分をAIが代替している。その訴訟のケースをアプリに入力すると、過去の判例に基づいて「裁判に勝てる確率」「妥当な請求額」「争点と法廷で議論すべき順序」などをAIが教えてくれるのだ。書籍やネット上の判例集を紐解いて調べる必要はないのである。今後はAIを駆使できる弁護士しか生き残っていくことはできない。

 

 さらに日本の場合、弁護士以外の法律事務の取り扱いを禁じた弁護士法第72条が修正されれば、大半の弁護士業務はネット相談に置き換わってしまうだろう。

 

 また、IT先進国のエストニアでは納税申告が自動化され、会計士や税理士という職業が消滅した。政府のクラウドデータベースに全国民のネットバンクとのやり取りと預金残高が記録されているため、課税所得や納税額の計算が自動で行なわれる。国民はスマホやパソコンから自分の納税額を確認し、承認するだけで確定申告と納税が完了する仕組みになっているのだ。

 

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引用文献

 

岸田政権が注力する「リスキリングで資格取得」の時代錯誤 本来学ぶべきスキルとは 2022/10/29 週刊ポスト 大前研一

https://www.moneypost.jp/960065