(ハドソン・リバー・スクールを概説します)
1)バルビゾン派
日本では、バルビゾン派の風景画には人気があります。
ウィキペディアには次のように書かれています。
<==
バルビゾン派(バルビゾンは、École de Barbizon)は、1830年から1870年頃にかけて、フランスで発生した絵画の一派である。フランスのバルビゾン村やその周辺に画家が滞在や居住し、自然主義的な風景画や農民画を写実的に描いた。1830年派とも呼ばれる。
コロー、ミレー、テオドール・ルソー、トロワイヨン、ディアズ、デュプレ、ドービニーの7人が中心的存在で、「バルビゾンの七星」と呼ばれている。広義にはバルビゾンを訪れたことのあるあらゆる画家を含めてそのように呼ぶこともあり、総勢100人以上に及ぶ。
==>
特に、コローとミレーは人気があります。
2)ハドソン・リバー・スクール(ハドソン・リバー派)
バルビゾン派や印象派が流行しだした当時、このハドソン・リバー・スクールはレッテルを張られた作品が時代遅れであると軽蔑する意図で使われました。
その点では、 ハドソン・リバー・スクールには、バルビゾン派と共通点があります。
ハドソン・リバー・スクールの画家は、クロード・ロラン、ジョン・コンスタブル、JMW ターナーなどのヨーロッパの巨匠にインスパイアされました。何人かの画家はデュッセルドルフ絵画学校のメンバーであり、他の画家はドイツのパウル・ウェーバーから教育を受けました。
この点も、バルビゾン派と共通しています。
ハドソン・リバー・スクールを取り上げるのは、次の2点によります。
(1)ここでは、darktableを中心としたデジタル現像をテーマにした話題を扱っていますが、写真撮影の構図については、風景絵画が参考になるので、ハドソン・リバー・スクールの作品は、分析する価値があります。特に、第2世代のハドソン・リバー・スクールの作品にはルミニズム(Luminism)が多用されているので、写真撮影上の参考になります。なお、作品の写真の多くは、CCで著作権上の問題がなく、例示できる点も取り上げる理由です。
(2)ハドソン・リバー・スクールの作品は、アメリカの自然保護に強く結びついています。ハドソンリバー流域では、ハドソン・リバー・スクールの作品に出て来る風景を保全する活動もなされています。つまり、アメリカの環境保護運動を理解する上で、不可欠の事項になっています、
ウィキペディアには次のように書かれています。
<==
ハドソン・リバー・スクールの優れた作品の多くが1855年から1875年の間に描かれた。その頃フレデリック・エドウィン・チャーチやアルバート・ビアスタットのような画家は大変な有名人のように扱われた。チャーチが「ナイアガラ」や「北部地方の氷河」のような作品を公開したときには何千という人が列を成しその一つの作品を見るために50セントを支払ったのだった。これらの作品の風景の壮大さはアメリカ人に彼らの広大で人の手の加わらない荒野の土地を思い起こさせ、西部への移住や、国立公園の保全、公園の整備の動きを後押しした。
==>
バルビゾン派は、総勢100人以上と言われますが、ハドソン・リバー・スクールの画家も多数です。
代表的な画家は以下です。
第1世代
(1)トーマス・コール
(2)アッシャー・デュランド
第2世代
(5)ジョン・フレデリック・ケンゼット
(6)サンフォード・ロビンソン・ギフォード
ファイル:Cole Thomas The Oxbow (The Connecticut River near Northampton 1836).jpg
トマス・コール (1801-1848)
嵐の後、マサチューセッツ州、ノーザンプトン、ホリヨーク山からの眺望 または ジ・オックスボウ(川の湾曲部) (1836)