成長と分配の経済学(31)~2030年のヒストリアンとビジョナリスト

3)リテラシーとレジームシフト



ジームシフトは、非可逆のプロセスですが、具体例がないと、イメージがつかみにくいと思います。そこで、リテラシーを例に、具体的に説明します。

 

3ー1)文字の始まり

 

文字以前の世界では、必要なことは、全て記憶しておく必要がありました。しかし、文字が誕生して、必要なことは、記録しておけばよいようになりました。現在では、文字を見ないで生活する日はないと思われますが、人類の歴史の中で、文字が出てきたのは、最近のことです。最古の楔形文字は紀元前3400年頃から使われ始めました。日本で文字が本格的に使われたのは、平安時代からで、まだ、1500年くらいしか経っていません。ただし、一度文字を使う社会になれば、その社会が、文字を使わなくなった例は、インカのキープくらいしかなく、非可逆のプロセスです。

 

文字以前の社会から、文字社会へのレジームシフトでは、識字率が問題になります。しかし、識字率は、レジームシフトの条件の一部に過ぎません。文字でコミュニケーションするには、文字を書く人と文字を読む人が必要です。識字率はその最低条件を示しています。識字率が低いということは文字によるコミュニケーションができないことになり、仮に、文字を読み書きできる人がいても、文字以前の社会のままです。つまり、レジリエンスがあります。具体的には、中世ヨーロッパのように、聖職者は読み書きできるが、一般の人は、その話を聞いていたような状況です。

日本の明治時代の識字率は異様に高く、明治時代初期の人口あたりの出版数は、英国を超えていて、それが、日本の近代化に、大きく貢献したことは、アマルティア・センが指摘しています。明治時代の小学校の建物には、その当時に、最先端の建築技術が投入されたところも多く、文化財になっている建物も少なくありません。学校に行って勉強することは、容易ではありませんが、所得を増やし、文化的には、クールでした。

 

3-2)文章を書くこと

 

文字で文章を書くことは、話している音声を文字に置き換えるだけではありません。話している音声は、そのコンテキストの中でしか意味を持ちません。音声になっていないコンテキストの部分も文字にしないと、意味の通じる文章になりません。小説は、会話の部分だけでは成立せず、登場人物の行動、周囲の状況の説明が不可欠です。このように文章を書くことは、文章が読めることより、はるかに難しい作業です。

 

識字率と異なり、統計データはありませんが、理解可能な文章をかける人の割合は高くないと思います。

 

理解できない文章も多く、その場合には、キーワードが落ちている試験問題の穴あき文章のように、読み手が、欠けているキーワードを補いながら文章を読む必要があります。

 

実は、日本語では、正しく伝わる書き方の教育は、ほとんどなされていませんし、テキストもありません。

 

こう書くと、怒られそうですが、日本では、指示書類があったあとで、集まって説明会をかならずします。文章を正確に書けていれば、説明会をするのは時間の無駄です。このことは日本の社会が文章を正確にかけていないか、文章をちゃんと読めない人がいるという前提でなりたっていることを示してしています。

 

一時期、家電製品のマニュアルの文章がひどいといわれたことがあります。最近の製品マニュアルは大分改善していますが、行政の文章は、未だにひどいです。

 

コロナウイルスの予防接種の文章は読んでもわかりません。重要なことは、箇条書きにして、できるだけ文章の頭の部分に持ってくることが原則ですが、最後まで読まないとわからない場合も多くあります。文章は書いたあとで、誰か別の人に読んでもらって意味が通じるかチェックする必要があります。これが十分にできていない市民むけの文章も多く見られます。

 

一昔前まで、新入社員は、仕事を見よう見まねで、学習するOJTが求められていました。業務の仕様書があれば、こんな非効率なことは不要ですが、正確な文章を各トレーニングがなされていないため、仕様書がかけません。OJTが多用されてきた原因には、わかる文章を書けない人が多かった可能性があります。

 

欧米では、パラグラフライティングの指導がなされます。筆者が今ここで、書いている文章をパラグラフライティングでかけるかと聞かれれば、正直かけません。パラグラフライティングでかける文章は、単純な思考経路のものに限定されます。



パラグラフライティングで書かれた文章は退屈です。

 

しかし、パラグラフライティングは、書く内容が単純であれば、誰でもかけるようになります。

 

パラグラフライティングは文章術ではなく、各内容をキーセンテンスの箇条書きにして、ブラッシュアップする技術です。

 

日本語でも、同様のキーセンテンスのチェックは有効です。

 

文章の内容を正確につたえるのであれば、次のような条件は必須です。

 

(1)主語を入れる。

(2)指示代名詞はつかわない。

(3)複文、重文は使わない。

(4)箇条書きを活用する。

(5)段落、タブ、改行、スペースを有効に使って、意味のまとまりが文字のまとまりになるようにする。

(6)見出し、小見出しレベルを設定し、スペーシングと対応させる。見出し、小見出し文字コード以外の属性をもったオブジェクトです。

 

後半は、意味と文字のレイアウトを対応させることです。

 

日本語は主語を省略する場合が多いと開き直った説明がなされています。

分かり易い文章では、主語は必須です。主語があれば、自動翻訳の誤訳は劇的に減ります。

 

これらの指導は、国語ではなされませんので、筆者は、正しく伝わる日本語の書き方の教育は、ほとんどなされていないと考えます。

 

3-3)デジタル文字のはじまり

 

デジタル社会の文字(デジタル文字)は、数式またはプログラム言語です。

 

欧州で、数式が広く使われるようになったのは、18世紀のオイラー以降で500年しかたっていません。

プログラム言語が使われ出したのは、1950年頃からで、まだ、70年しかたっていません。

しかし、文字で書いたら気が遠くなるような内容を、プログラム言語は、簡単に書いてつたえることができます。

 

プログラム言語は、学習するのが大変ですが、ひらがなより漢字の方が学習するのは大変だが便利であることと似ています。

 

全文ひらがなの文章は、漢字入りの文章より、読みにくく、不便です。

 

数式やプログラム言語を学習するのは、手間がかかりますが、一旦学習すれば、とても便利で元にはもどれません。

 

アルゴリズムを記述するには、プログラム言語または、プログラム言語もどきをつかいます。プログラム言語もどきは、英語の単語ですが、必要があれば、すぐに、プログラム言語に移植できるレベルの表現です。ある意味では、図による表現になっています。

 

数式、プログラム言語、プログラム言語もどき合わせて、ここでは、デジタル文字と呼ぶことにします。

 

普通の文字と同じように、デジタル文字のスキルは、読めるレベルと書けるレベルに分かれます。

 

プログラム言語を学習すべき理由は、文字を学習すべき理由と同じです。デジタル文字の識字率が低ければ、その国は、「デジタル時代の開発途上国」になってしまいます。



3-4)デジタル文字を書くこと

 

順列組合せで考えれば、最後の節は、デジタル文字を書くことについて述べることになります。

 

一般の読者にとって、この部分はイメージしにくいと思われますので、その点を考慮して、「3-2)文章を書くこと」の説明を詳しくしています。

 

つまり、文字では、「音声になっていないコンテキストの部分も文字にしないと、意味の通じる文章になりません」でした。

 

そう考えると、デジタル文字を書く時に、コンテキストに相当する部分は何でしょうか。

 

筆者は、コンテキストに相当する部分は、デジタル文字のアルゴリズムを「評価関数、利用可能なデータ、候補となるアルゴリズム」の3点セットに落とし込むことであると考えます。

 

つまり、デジタル文字は、データサイエンスの科学の枠組みにセットできて初めて、有効な表現を得ることができます。

 

企業の組織で考えれば、今まで、一般の労働者は、文字が読めて、指示が理解できればよかったわけです。デジタル社会になれば、これが、デジタル文字が読めて、指示が理解できることに置き換わります。

 

一方、経営者や技術者は、経営方針や技術的な指示をだす文章を書きました。デジタル社会では、経営方針や技術的な指示は、デジタル文字で出されます。

 

ここで、プログラムとは言わずに、デジタル文字と言っているのは、プログラムのアルゴリズムの指示が出せれば、プログラム言語にこだわる必要はないからです。

 

経営者と技術者には、データサイエンスの基本である「評価関数、利用可能なデータ、候補となるアルゴリズム」の3点セットがわかっていないと、科学的な指示がだせず、企業は傾いてしまいます。

 

アメリカのIT企業の経営者と技術者は、このレベルをクリアしています。

 

3-5)まとめ

 

リテラシーの問題は、レジームシフトの根幹をなす課題です。

 

リテラシーの条件が満たされないまま、レジームシフトが進んで、point of no returnを越えると、「デジタル時代の開発途上国」が、確定します。

 

いったん「デジタル時代の開発途上国」が確定すると、IT技術を持っていても、それが、給与に反映されませんので、技術者にとっては、「デジタル時代の先進国」に、移住することが最適な行動になります。このようにして、「デジタル時代の開発途上国」は、「デジタル時代の開発途上国」に止まり、「デジタル時代の先進国」は、「デジタル時代の先進国」に止まるというレジリエンスが起こります。

 

Point of no returnは、既に来ているのかもしれませんし、まだ、来ていないのかもしれません。筆者は、10年後に、OECD各国は、「デジタル時代の先進国」にレジームシフトを完了すると予測しますので、point of no returnは、それより、かなり前に来ると考えます。

 

新しい教科の情報を教えられる教員が不足していると言われています。まともなIT技術者の賃金は高いので、低い賃金では、人材不足になるのは当然です。教員不足の原因が賃金にある場合には、賃金をあげれば人材は確保できるので、教員不足という問題は存在しません。しかし、賃金を上げても、人材不足が解消できない場合、日本は、point of no returnに達していて、手遅れ(もはや情報を教えても、デジタル社会の先進国にはなれない)です。