めがね橋(南房総市)~つくば市とその周辺の風景写真案内(784)

めがね橋(南房総市

めがね橋は、白浜町の長尾川にかかる橋です。白浜めがね橋と呼ばれることもあります。

この橋が有名な理由は、1888(明治 21)年に竣工した古い橋であること、林芙美子は、最晩年に、書いた文章に、この橋の記載があることです。

林芙美子の記載

林芙美子は、森光子の舞台「放浪記」(2009年まで)の原作者なので、古い人ですが、いまだに人気があります。

混乱した記載が多いので整理しておきます。

該当箇所は以下です。かなづかいは、もともままです。


海沿ひに布良をまはるつもりだったが、私は、山越えをして、近道をとって、白浜海岸へ出て貰った。館山から、この近道は十六キロ位のところであらうか。途中、中国風な、石造りの眼鏡橋を架けた、川沿ひの鄙びた部落があったが、むづかしい世の中になったら、こんなところへ逃げて来ようかとも思った。昔、中国から戻ってきた人でもゐて、こんな支那風な眼鏡橋を架けたのではないかと、景色にみとれてゐるうちに、私は、つい、部落の名を聞くのも忘れてしまった。


この文章は、「文芸春秋」の昭和26年3月号に掲載の「房州白浜海岸」という紀行文に含まれています。

林芙美子には、朝日新聞に、「めし」を連載中に、1951年(昭和26年)6月28日に、心臓発作で亡くなっています。

この「めし」と「房州白浜海岸」の関係が問題になります。

「房州白浜海岸」は、「めし」の取材旅行を書いているとも言われています。

『めし』は、1951年(昭和26年)4月1日から7月6日まで『朝日新聞』に連載、同年6月28日の著者の急死に伴い150回の予定を97回で連載終了し、およそ3分の2を書き上げて未完の絶筆となっています。

「房州白浜海岸」は、「めし」とは時間が重複していませんので、めがね橋は、「めし」とは、直接の関係はありません。

歴史的建造物

めがね橋は、1888(明治 21)年 3 月に竣工した橋です。工事費の 399 円 40銭(当時)は、地域住民の寄付により賄われたと言われています。

白浜町の海岸端にある「みずるめ」と呼ばれる現在は採石されていない石切場で採石された「みずるめ石」を使っています。

架橋当初、めがね橋は長尾橋と呼ばれていました。その歴史を物語るように東岸上流の袖柱の胴石には、「ながをばし」と、橋のたもとの石柱には「眺尾橋」とも刻銘されています。

戦時中には戦車が走行したが「ビクともしなかった」という話もあります。

1959(昭和34)年3月、下流の在の国道410号線に鉄筋コンクリート造の新しい長尾橋が架橋され、主役ではなくなります。

老巧と戦車が通行したため損傷甚だしく1977(昭和52)年に補修しています。

1978(昭和 53)年に白浜町文化財に指定され、1989(平成元)年には千葉県有形文化財に指 定されています。

1993(平成 5)年から 1995(平成 7)年にかけて文化財保存整備修復工事で補修しています。

このとき、いわゆる“めがね”橋を演出しようと、下流に堰を設けて水位を上げる工事が行われています。

銅製の高欄は、この工事の一環で、古写真を基に復元設計(当初は鉄製)されてています。

関東唯一の石造3 連上路アーチ橋として、竣工当時の規模および形式がよく維持保存さ れていることから、2005(平成 17)年度の土木学会選奨土木遺産に選ばれています。

諸元は以下です。

名 称:めがね橋 所 在 地:千葉県安房白浜町滝口 地先 2 級河川 長尾川 管 理 者:白浜町 竣 工: 1888(明治 21)年 3 月 工 事 費: 399 円 40 銭(当時) 構造形式:石造 3 連上路アーチ橋 構造形式:アーチ 欠円アーチ 構造形式:橋壁面 切石布積 規 模:橋 長 28.340m 規 模:幅 員 3.940m 規 模:総 高 5.430m 規 模:径 間 6.950m

写真1と写真2は下流から、写真3は、上流から、めがね橋を見ています。

めがね橋 http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00034/2006/91-02/91-02-0046.pdf

めがね橋の解説シート https://committees.jsce.or.jp/heritage/node/376

めし ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%81%E3%81%97

放浪記 (戯曲) ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E6%B5%AA%E8%A8%98_(%E6%88%AF%E6%9B%B2)

写真1 めがね橋

写真2 めがね橋

写真3 めがね橋