ミームの研究(14)デザインの力

ミームの変化を考えます)

 

1)問題解決の方法

 

ミームのモデルでは、人間の行動はミームに支配されています。

 

脇田晴子氏と水林章氏は、特攻は、法度制度のミームに原因があると考えました。

 

つまり、特攻が再び起こらないためには、法度制度のミームを取り除く必要があります。

 

脇田晴子氏は、法度制度のミームを取り除く方法を提案せずに亡くなりました。

 

水林章氏は、法度制度のミームは日本語に組み込まれていると考え、フランス語で、解決方法を検討しています。

 

それでは、どうすれば、法度制度のミームを取り除くことが可能でしょうか。

 

2)公民権運動

 

例によって、日本語版のウィキペディアは、法度制度のミームで書かれているので、使いものになりません。英語版のウィキペディアのCivil rights movementには次のように書かれています。

公民権運動は、米国で 1954 年から 1968 年にかけて、合法化された人種隔離、差別、権利剥奪を廃止する社会運動およびキャンペーンでした。この運動の起源は19 世紀後半のレコンストラクション時代にあり、現代的なルーツは 1940 年代にありましたが、この運動が法制化で最大の成果を挙げたのは、長年にわたる直接行動と草の根の抗議活動を経て 1960 年代でした。社会運動の大規模な非暴力抵抗運動と市民的不服従運動により、最終的にはすべてのアメリカ人の公民権が連邦法で新たに保護されることになりました。

 

アフリカ系アメリカ人が追求した法的戦略の頂点に達した1954年、最高裁判所は、米国で人種隔離と差別を合法としていた法律の根幹を違憲として無効にしました。

 

つまり、公民権運動とは、「アフリカ系アメリカ人が追求した法的戦略」であり、憲法違反の法律の改訂を求める運動でした。

 

公民権運動には、法律を改訂するためには、何が必要になるかのヒントがあります。

 

日本では、性差別の解消のために新しい法律が追加されていますが、性差別を温存した古い法律が残っています。

 

アメリカの公民権運動では、人種隔離と差別を合法としていた法律は違憲で、全て改訂されています。

 

パーティ券問題では、裏金を使った議員は、グレーも含めれば、脱税をしています。少なくとも、脱税していないという証拠を提示した議員はいません。

 

政治資金規正法は、議員が採決して、骨抜きになっています。

 

しかし、公民権運動にみるように、憲法違反の法律は、改正すべきです。

 

政治資金規正法を、議員が作成して採決することは、三権分立に反します。

 

政治資金規正法は、議員とは利害関係のない第3者機関が作成することができます。

 

この第3者機関が、政治資金規正法の改正案を、例えば、A、B、Cと3つ作成して、選挙の時に、国民投票で、採決することは可能です。

 

公民権運動は、Civil rights movementでした。

 

「movement」は権限とは関係がありません。

 

最高裁は、国会ではありませんので、法律を作ることはできません。

 

しかし、最高裁は、政治資金規正法の改正において、三権の分立の確保を要請することができます。

 

最高裁が、指示待ち人間でなければ、法律の順守以外に、法と正義の確保のために必要な要請をだすべきであると考えられます。

 

同様の問題は、学会、税理士などの業界にもあります。

 

現在の法律が、憲法に照らして問題があると感じれば、関係者は、法律を改訂する要請を社会的に公開することができます。

 

ここで議論していることは、法律の内容ではなく、法律はどのような手順でデザインされるべきかという課題です。



3)法律とミーム

 

法律は、人々がそれにしたがって活動しなければならないミームです。

 

憲法は、適用範囲が広い大きなミームですが、個別法は、適用範囲の狭い小さなミームです。

 

法律は最初は、ミームではありませんが、法律の順守を繰り返えすと、その部分のニューロンのネットワークが強化されてミームになります。

 

「悪法もまた法なり」は、法度制度が生み出した間違ったメッセージです。

 

これは、ニューロンのネットワークが強化から考えると大きな問題です。

 

問題は、悪法を改正する方法にあります。

 

憲法(人権)のミームが機能していれば、憲法違反の法度制度や年功型雇用はありえません。



現実には、法度制度のミームが、個別法のミームを介して、生き残っています。

 

これは、公民権運動の前のアメリカに似ています。



水林章氏は、法度制度のミームは日本語に組み込まれていると考えました。

 

しかし、筆者には、法度制度のミームは、個別法に組み込まれているように見えます。



ミームが問題発生の原因である場合、ミームの変更なしに、問題を解決することはできません。

 

法度制度のミームにとらわれた人は、すぐに解決策をだせと要求します。

 

思考が、過去の成功事例をコピーする帰納法に、とらわれています。

 

この思考ルートでは、法律の改正は、解決手法にあがってきません。

 

法度制度のミームにとらわれた人は、科学の因果モデルで思考することができません。

 

推論は、科学的に破綻しています。

 

今回のパーティ券問題では、政治資金規正法違反を裁判に訴えたり、国税庁に調査要求をした人がいました。

 

これは、進歩ではありますが、政治資金規正法憲法違反である限り、その効果は限定的です。

 

現在の政治資金規正法というミームはまともではありません。

 

問題解決には、ミームの変更が必要です。

 

ミームの変更は、個別法や憲法レベルのこともありますが、人権思想や法度制度といった憲法より更に、強力で広範囲なものもあります。



デザイン思考は、ミームの変更が出来るという点で、非常に強力な思考法です。

 

 

レンズを巡る旅;ライカMマウント

銘匠光学 TTArtisanのレンズの話です。

 

基本は、マウント(カメラ)を変更した場合、レンズのマウントも変更になります。

 

マニュアルフォーカスであれば、マウントアダプターを使えば、レンズのマウントを変更せずに使うことができます。

 

AFがないのは、不便ですが、被写界深度が浅くなると、AFは機能しなくなるので、MFでも十分になります。

 

一眼レフのフランジバックは長かったので、ミラーレスカメラにマウントアダプターを使えば、一眼レフ用のレンズをミラーレスカメラで使うことができます。

 

ただし、この方法には、フォーカスがマニュアルになる以外に問題点あります。

 

それは、デジタルカメラになって、絞りリングのないレンズが増えてしまい、マウントアダプターでは絞り制御ができない点です。

 

銘匠光学 TTArtisanのようなMFのレンズでは、距離と絞りリングがありますので、マウントアダプターがあれば、絞りと焦点の制御が可能です。

 

距離と絞りリングがあるレンズを購入して、そののち、カメラを変更した場合に、マウントアダプターを使う前提で考えた場合、どのマウントを選ぶべきでしょうか。

 

ミラーレスカメラ用のレンズの場合、MFTから、SONYのEマウントとニコンのZマウントには、マウントアダプターで変換が可能です。

 

しかし、それ以外は、困難です。

 

ミラーレスカメラ時代のマウントで、マウントアダプターを使う前提で考えれば、一番汎用性のあるマウントは、ライカのMマウントになります。

 

そこで、今回の話題は、「ライカのMマウントレンズを買うべきか」という疑問です。

 

SONYのEマウント、ニコンのZマウント、CANONのRFマウントと同じ価格で、ライカのMマウントのレンズが販売されていれば、「ライカのMマウントレンズを買うべき」です。

 

しかし、実際には価格差があります。

 

銘匠光学 TTArtisan 50mm f/1.4 ASPH ライカMマウントは、54,900円です。

 

このレンズでは、マウントアダプターをつけたセットが、57,900円で販売されています。

 

一見すると、マウントアダプターをつけたセットが、お買い得に見えます。

 

しかし、銘匠光学 TTArtisan 50mm f/1.4 ASPH ミラーレス版も販売しています。

 

価格は、36,900円です。マウントアダプターを除いても、価格差が18,000円あります。

 

この価格差は、レンズの外装の違いです。

 

レンズの構成とMTF曲線はまったく同じなので、光学特性に違いはありません。

 

銘匠光学 TTArtisan 50mm f/1.4 ASPH ミラーレス版には、MFTマウントはありません。

 

外装のチープな36,900円版のライカMマウントがあれば、一番のお買い得なのですが、もちろんそれは、ありません。

 

銘匠光学 TTArtisan 50mm f/1.4 ASPH ライカMマウントは、販売本数が期待できないので、価格は高めになります。

 

銘匠光学 TTArtisan 50mm f/1.4 ASPH ミラーレスは、販売本数が期待できるので、価格は安めになります。

 

銘匠光学 TTArtisan 50mm f/1.4 ASPH ライカMマウントを購入した人に、価格差を納得してもらうために、外装の差をつけています。

 

1万円で購入できる銘匠光学 TTArtisan 35mm f/1.4 C の外装は立派です。

 

これから、外装の差の原価は、価格差の18,000円よりかなり小さい、恐らく、3,000円以下と思われます。

 

なんとなく、レンズの価格設定のしくみが見えます。

 

補足:

 

銘匠光学 TTArtisan 50mm f/1.4 ASPH ライカMマウントはには、フォーカス校正機構が組み込まれており、自分で調整が可能です。

 

銘匠光学 TTArtisan 50mm f/1.4 ASPH ミラーレスには、フォーカス校正機構が組み込まれていない可能性があります。

 

その場合には、フォーカス校正は必要であれば、価格差の18,000円は、納得できます。

 

 

 

 

逆井城跡公園(坂東市)の桜~つくば市とその周辺の風景写真案内(1267)

 坂東市にある逆井城を治めていた逆井氏は、1536年、後北条氏に破れ、城主が交代します。1577年に後北条氏は、逆井城を築城しますが、1590年に、豊臣氏が、後北条氏を滅亡し、逆井城は廃城になりました。

 

廃城後も逆井城の外堀と土塁が残っていました。

 

最近、二層櫓、主殿、井楼矢倉、関宿城薬医門、櫓門と橋が復元され、逆井城は、逆井城跡公園として整備されました。

 

公園内には、260本以上の桜の花が植えられています。一重でピンクの花びらがきれいな地元生まれの桜「紅猿島(べにさしま)」もあります。

 

写真1 逆井城跡公園

 

 

写真2 逆井城跡公園

 

写真3 逆井城跡公園

 

 

ミームの研究(13)市場経済と中抜き経済

(中抜き経済を説明します)

 

1)非市場経済

 

経済学の基本は、市場経済です。

 

これは、市場経済が良いか、悪いかという問題ではなく、第1に、経済現象を微分方程式で近似するための前提条件です。

 

市場経済が成り立たない場合には、経済学のモデルは使えません。

 

第2に、市場経済が成り立たない場合には、経済データがありません。

 

2024年現在でも、キューバ社会主義国で、基本的な食料は、配給制です。

 

この場合には、基本的な食料価格のデータは、存在しません。

 

市場経済があれば、供給が、需要に追いつかないと価格が上昇するので、時間遅れで、生産(供給)量が増加します。

 

市場経済では、市場経済のこのメカニズムが機能しません。

 

価格データがないので、供給と需要のバランスを評価するデータが得られません。

 

社会主義国では、モノの不足と過剰が発生しますが、その状況を定量的に評価できるデータはありません。

 

社会主義共産主義は、イデオロギーを示す用語なので、経済現象を記述する用語としては不適切です。

 

中国では、土地の個人所有はできませんが、使用権の市場があります。

 

江戸時代の日本では、土地の所有者は大名でした。農地の使用権は、村落に貸与され、村落が管理しました。農地の使用権市場はありませんでした。村落の経営幹部は、耕作放棄地が生じないように土地を百姓の間で、ローテーションしました。山林の一部は、入会地でした。

江戸時代の日本は、社会主義ではありませんが、土地の取引市場がなかった点では、社会主義と共通しています。

 

イデオロギーをフィルタ―で取り除けば、経済システムを評価する基準は、市場経済か、非市場経済かの2分法が適切であると考えます。

 

2)利益率

 

市場原理の特徴は、第1に、需要と供給のバランスが図られ、価格がつくことです。

 

第2に、利益率が圧縮されることです。

 

利益率と需給バランスの間には関係がありますが、この部分の理論は貧弱です。

 

筆者は、その原因は、需要と供給が潜在変数であるためと考えます。

 

潜在変数を含むモデルは解析的には解けませんので、利用可能なツールが入手できるようになったのは、ベイズ統計問題が解ける今世紀に入ってからです。

 

経済学の要点は、需要と供給のバランスが崩れていて、均衡状態に復帰する過程にあるのですが、その部分の理論化は出来ていません。

 

需要が供給に追いつかないと価格が上昇します。

 

価格が上昇すると利益率が上がります。

 

利益率があがると、生産者が増えて、供給が増加して、価格が落ち着く(利益率が下がる)と考えられています。

 

市場原理で、価格が決まるモノは、コモディティと呼ばれます。

 

コモディティの市場では、品質の差がつかないので、価格が高いと売れません。

 

コモディティの市場では、利益率が下がり続けますので、DXなどで、継続的に生産性を向上できない企業は倒産して、市場から撤退します。

 

高度経済成長期と安定経済成長期に、日本企業が輸出を拡大できた理由は、コモディティ市場での優位性にあります。品質が良く、安い製品の製造にあります。

 

コモディティでないブランド製品には、市場原理が働きません。

 

ブランドの価格は、需要と供給のバランスの外の非市場原理で動いています。

 

日本の白物家電は、中国製品との市場競争で敗退しました。

 

中国製品との市場競争で敗色が濃厚になった時点で、とられた戦略は、ブランド化でした。

 

ブランド市場の大きさは、コモディティ市場より遥かに小さいので、ブランド化戦略は、メインの市場からの撤退戦略になります。

 

そもそも日本製品は、良いコモディティとして売れたのであって、ブランドとして売れた訳ではありません。

 

一般に、ブランド市場の大きさは、コモディティ市場より遥かに小さいのですが、例外があります。

 

それは、ソフトウェアの市場です。

 

アップルのiPhoneは、利益率が高いことで知られています。

 

iPhoneの売り上げは巨大ですが、コモディティ市場にはなっていません。

 

その理由は、OSとソフトウェアのサービスにあります。

 

iPhoneは、水平分業で、世界中から部品を調達して、つくっています。

 

ロットの大きさが小さいと、iPhoneっと同じレベルで安価に部品を調達できないかも知れませんが、iPhoneと同等の部品を調達することは、時間をかければ可能です。

 

しかし、OSとソフトウェアのサービスを調達することはできません。

 

市場原理が働くコモディティ市場では、常に、価格競争が起きます。

 

これに対処するには、継続的に生産性を向上させるしか方法がありません。

 

国内の工場を海外に移転すれば、人件費が安くなります。しかし、海外工場で生産している競合商品との価格競争に生き残るためには、工場を海外に移して、人件費が下がった分だけ、販売価格を下げる必要があります。つまり、新製品の価格を段階的に下げて、中国製品と同じ価格ランクにする必要があります。

 

新製品の価格を段階的に下げて、中国製品と同じ価格ランクにしなければ、日本企業は、コモディティ市場から撤退することになります。

 

日本企業は製品を中国製品と同じ価格ランクにしませんでした。

 

日本の白物家電のブランドを購入した中国企業は、ブランドの価格ランクを下げて、売り上げをのばしています。

 

コモディティ市場では、同じ品質の商品は同じ価格になります。

 

自己満足のオーバースペックな製品をつくっても、ブランドにはなりません。

 

1994年以降日本の家電メーカーが国際市場から撤退した原因は、コモディティ市場の放棄、つまり、市場原理からの撤退にあります。

 

市場原理か、非市場原理かという2分法にこだわると、バイナリーバイアスが生じます。

 

市場原理と非市場原理の境界でビジネスをしている例もあります。

 

市場原理のお得感があり、品質が少しだけ良いといったブランド戦略です。

非市場原理では、設定した価格でモノがうれると考えます。

 

つまり、非市場原理で、モノが製造できるためには、市場原理の経済合理性のミームではなく、つくれば、売れるというミームが機能しています。

 

インフレになって、モノをつくれば売れると考えるミームも同じミームです。

 

キューバ社会主義国で、基本的な食料は、配給制です。

 

基本的な食料は、つくれば、売れます。

 

市場原理の経済合理性のミームに対して、つくれば売れるというミームに名前をつけるとしたら、中抜き経済のミームが妥当と考えます。

 

これは、中抜き経済の利益率は、市場を介さずに決められるというミームです。

 

1994年以降日本の家電メーカーは、コモディティ市場の放棄、つまり、市場原理から撤退をしました。これは、ブランド品をつくれば売れるというミームが経営を支配したことを意味します。

 

市場からの撤退は、作っても利益のでる価格で販売できない(利益率の低下)からです。

 

市場原理の働くコモディティでは、利益は市場が決め、常に、減少し続けます。

 

1994年以降、日本の企業経営では、市場原理の放棄と中抜き経済の拡大が進みました。

 

中抜き経済の拡大は、労働生産性の拡大の停止を意味します。

 

日本経済で、市場原理が放棄され、中抜き経済が拡大した時期は、生産性の推移を見れば、判断できます。

 

中抜き経済のミームは、政府が経済を制御できるという間違った法度制度のミームの一部です。

 

中抜き経済のミームにしたがった経営や政策では、経済成長はありえません。

レンズを巡る旅;中国製レンズの設計思想

今回のテーマは、銘匠光学 TTArtisan 35mm f/1.4 C の設計思想です。

 

このレンズは1万円程度で入手できるので、格安レンズになります。

 

WEBで見ると安い割には良く写ると書かれています。

 

MFで、コーティングは貧弱です。

 

しかし、その部分は、設計通りですので、弱点とは言えません。

 

写真1は、 銘匠光学 TTArtisan 35mm f/1.4 C(APS-C)のMTF曲線です。

 

絞り開放で、コントラストを表す10本の線は、中央では、0.9ありますが、周囲に行くと劣化します。

 

解像度を表す30本の線は、中央でも0.6しかありません。周囲に行くと、急速に低下しています。

 

写真2は、CANON のEF-M32㎜F1.4(APS-C)のMTF曲線です。

 

絞り開放で、コントラストを表す10本の線は、中央では、0.95あります。コントラストを表す10本の線は、周囲に行っても10㎜までは、0.9以上あります。

 

解像度を表す30本の線は、中央では0.85あります。周囲に行っても8mmまでは、0.8あります。

 

EF-M32㎜F1.4は、コントラストと解像度が優れていることがわかります。

 

写真3は、LEICAの35㎜F1.4(フルサイズ)のMTF曲線です。

 

MTF曲線は、5本、10本、20本、40本を示しています。

 

絞り開放で、コントラストを表す10本の線は、中央では、0.9ありますが、周囲に行っても13㎜では、0.8を切ります。

 

解像度を表す30本の線は、書いてありませんが、20本と40本の中央であると推定します。

解像度を表す30本の線は、中央で0.65あります。周囲に行くと10mmでは、0.5を切っています。

 

銘匠光学 TTArtisan 35mm f/1.4 Cを、CANON のEF-M32㎜F1.4のような日本のカメラメーカーのレンズと比較すると、コントラストと解像度の足りない価格なりの性能の悪いレンズになります。ただし、コントラストと解像度のの不足は、フィルム時代のレンズに比べれば、問題にならないレベルなので、しいて、コントラストと解像度を求めないのであれは、十分実用になるレンズという評価になります。

 

この評価には、銘匠光学 TTArtisan 35mm f/1.4 Cの設計思想が、CANON のEF-M32㎜F1.4のような日本のカメラメーカーのレンズ性能に追いつくことを目標に開発されたという前提があります。

 

写真4は、銘匠光学 TTArtisan 50mm f/0.95(フルサイズ) のMTF曲線です。

 

このレンズの価格は12万円で。決して安価なレンズではありません。

 

しかし、開放の30本のMTF曲線の値は高くありません。

 

f/0.95のMTF曲線の性能の維持は困難です。

 

とはいえ、30本の曲線は、中央でも0.5しかありません。

 

レンズの性能は、MTF曲線だけではきまりません。

 

しかし、MTF曲線は、物理特性を示しているので、MTF曲線が極端に悪い場合には、基礎的な物理特性を満足していないことになります。

 

銘匠光学 TTArtisanは、30本の曲線を低く設計した可能性があります。

 

CANONは、10本のの最低ラインは、MTF曲線の値が、0.6以上であると言います。

 

30本の曲線の性能は、必須ではありません。

銘匠光学 TTArtisanは、七工匠 7Artisansのエンジニアが、ライカ互換のレンズを作りたくて、ドロップアウトしてつくった会社です。銘匠光学 TTArtisanの設計思想(理想のレンズ)は、ライカのレンズにあると思われます。

 

MTF曲線でみるライカのレンズの物理特性は、日本製のレンズに劣ります。(注1)日本製のレンズが優れているか、ライカのレンズが優れているかは、個人の判断によります。

 

ただし、はっきりしていることは、ライカのレンズを使えば、日本製のレンズではとれない写真が撮影できるという点です。この点がなければ、高価なライカのレンズを購入する人はいません。

 

MTF曲線でみる銘匠光学 TTArtisanのレンズの物理特性は、日本製のレンズに劣ります。

ただし、銘匠光学 TTArtisanのレンズは、日本製のレンズでは撮影できないような写真が撮れることを目標に設計されている可能性があります。

 

解像度を表す30本の線が、高くなると解像度があがるので、ボケが硬くなります。

 

ボケを重視するのであれば、解像度を犠牲にする設計もありえます。

 

写真5と写真6に、 銘匠光学 TTArtisan 35mm f/1.4 CとCANON のEF-M32㎜F1.4で撮影した写真を載せました。

 

銘匠光学 TTArtisanで撮影した写真は、解像度が低いです。

 

とはいえ、ボケをみれば、どちらが良いかという評価は微妙です。

 

設計費が、レンズのコストに占める割合は高いので、販売価格とレンズの性能の間には、線形関係はありません。

 

想定するレンズの販売数を大きく取れれば、レンズの販売価格が抑えることが可能です。

とはいえ、価格を伏せて、レンズを評価できる自信のある目利きは多くないと思います。

 

筆者は、銘匠光学 TTArtisan 35mm f/1.4 Cで撮影した写真が、CANON のEF-M32㎜F1.4で撮影した写真より優れているとは考えません。

 

しかし、銘匠光学 TTArtisan 35mm f/1.4 Cでは、CANON のEF-M32㎜F1.4では撮影できない写真を撮ることができます。

 

 

注1:

LEICAのレンズの一部は、コシナOEMであるという噂もあります。

写真1 TTArtisan 35mm f/1.4 CのMTF曲線

 

 

 

写真2 EF-M32㎜F1.4のMTF曲線

 

 

 

写真3 LEICA 35mmF1.4のMTF曲線

 

 

写真4 TTArtisan 50mm f/0.95のMTF曲線

 

 

写真5  TTArtisan 35mm f/1.4 C で撮影した写真

 

 

 

写真6 CANON のEF-M32㎜F1.4で撮影した写真

 

ミームの研究(12)リベラルアーツと中抜き経済

リベラルアーツの経済への影響を考えます)

 

1)経済活動の基本

 

経済活動の基本は、モノ、または、サービス(以下、モノで代表)を提供することです。

 

つまり、モノがつくれなければ経済は回りませんし、経済成長はありません。

 

これから、インフレになれば経済成長することはあり得ないことがわかります。

 

別の証明は、因果モデルの条件の点検ですが、今回は、モノをつくることに注目します。

 

高度経済成長期のように、外貨や資金がモノを作る制約の時代は、1972年頃に終了します。

 

それまでは、公共事業の資金すら不足して、世銀の融資をうけていました。

 

この資金が制約になる条件は、1995年以降のデジタル化で、経済の中心が情報になった結果、更に弱くなります。

 

OpenAIのようなベンチャーは膨大な資金を必要とします。しかし、ベンチャーをスタートする時点で、必要な資金はあまり大きくなく、中途で、成果が出始めてから、本格的な資金獲得が可能です。

 

つまり、経済成長の中心課題は、モノ、とくに新しいモノを作ることにあります。

 

そのモノはスマホや、生成AIのように、今までなかったモノである必要があります。

 

2)リベラアーツの課題

 

日本の現状は、新しいモノを作ることとは疎遠になっています。

 

こう考えると、何故、新しいモノ作りとは疎遠なのか、その原因は何かが問題になります。

 

「新しいモノ作りとは疎遠」(結果)を、生み出す原因を推定するアブダクションです。

 

新しいモノ作りは、既存のモノづくりの改良の上にあります。

 

新しいモノ作りは、既存のモノづくりの技術が理解でき、新しいモノに応用できる人材(エンジニア)が必要です。

 

ここで、日本では、文系(リベラルアーツ)のミームの人が、経営幹部に多いことが問題になります。

 

1959年に、スノーは「2つの文化と科学革命」の中で、エンジニア育成をしなければ、科学技術立国はできないと主張しました。

 

この主張は、第1に、エンジニアのスキルがなければ、新しいモノがつくれないという意味です。

 

しかし、ここには、第2の問題があります。

 

文系(リベラルアーツ)の人は、新しいモノがつくれません。

 

この新しいモノとは、設計図の下書きでも構いません。

 

エンジニアがグループで活動しますので、エンジニアが理解できる下書き、あるいは、指示書が書ければ、新しいモノ作りがスタートします。

 

しかし、文系(リベラルアーツ)の人は、新しい設計図の下書きが書けません。

 

エンジニアの科学のミームがなければ、新しい設計図の下書きが書けません。

 

そこで、文系(リベラルアーツ)の人が、経営幹部から撤退すれば、被害が発生しません。

 

しかし、年功型雇用では、給与はポストに付きます。

 

新しい設計図の下書きが書けなくても、給与を得ることが可能です。

 

これは、ジョブ型雇用ではありえません。

 

とはいえ、何もしないことは居心地が悪くなります。

 

そこで、経営幹部は、文系(リベラルアーツ)で、出来る仕事を考えます。

 

しかし、文系(リベラルアーツ)では、新しいモノはつくれないのです。

 

可能な仕事は、新しいモノをつくらずに、利益をあげる方法です。

 

これは、中抜き経済に他なりません。

 

つまり、文系(リベラルアーツ)の人が、経営幹部にいる年功型雇用組織は、かならず、中抜き経済を生み出します。

 

スノーは、エンジニアのスキルがなければ、新しいモノがつくれないといいました。

 

これに加えて、文系(リベラルアーツ)の年功型雇用組織は、中抜き経済を生み出すのです。

 

国策の半導体工場で、つくるものは、既存のモノであって、新しいモノではありません。

 

文系(リベラルアーツ)では、新しいモノの設計図は、書けないからです。

 

国策の半導体工場は、補助金の中抜き経済を目指しています。

 

中抜き経済は、日本経済の中心にあり、新しいモノはつくれなくなっています。

 

東蕗田天満社(八千代町)の桜~つくば市とその周辺の風景写真案内(1266)

東蕗田天満社(八千代町)の200mの参道の桜が絵になります。

 

ただし、絵になるアングルは、ほぼ1か所だけです。

 

写真1 東蕗田天満社(八千代町)の桜

 

 

写真2 東蕗田天満社(八千代町)の桜