相関と因果の壁

1)メンタルモデルの階層

 

メンタルモデルのパラダイムの階層を説明します。

 

推論をする(物事を考える)場合には、メンタルモデルを使います。

 

メンタルモデルなしには、推論はできません。

 

科学のメンタルモデルは、「帰納法(経験)、相関、因果」の3つです。

 

物理学は、因果のメンタルモデルですが、実験では、交絡因子が排除できるので、実際問題として、相関と因果の違いが問題として表面化することはありません。

 

パールは、「因果推論の科学」(p.412)で次のようにいいます。(筆者要約)

ルービン因果モデルでは、変数 Y の「潜在的な結果」は、「X に値 x が割り当てられていた場合、Y が個体 u に対して取る値」です。記号 Yx と記述することで、ルービンは、「X が x であった場合、Y は必ず何らかの値を取る」と主張します。反事実のYは (事実の)Y が実際に取った値と同じ客観的事実です。この前提を受け入れない場合 (ハイゼンベルクなら受け入れないと思いますが)、潜在的な結果を使用できません。また、潜在的な結果、つまり反事実は、母集団ではなく個体レベルで定義されています。

 

ここで、ハイゼンベルクが登場する理由は、物理学では、「潜在的な結果」を前提とする必要がないためです。

 

科学の3つのメンタルモデルに加えて、科学のパラダイムではありませんが、段落(共感)とパラグラフ(初歩の論理)のパラダイムを考えることができます。

 

こうすると、次の5つのパラダイム(メンタルモデル)があることになります。

 

1:段落(共感)

2:パラグラフ(初歩の論理)

3:帰納法(経験科学)

4:相関

5:因果

 

パールは、因果のパラダイムは、観察すること、介入すること、反事実を考えることの3段階から構成されるといいます。観察することは、相関と同じレベルになります。この点に配慮して、パラダイムの階層を書きなおします。

 

1:段落(共感)

2:パラグラフ(初歩の論理)

3:帰納法(経験科学)

4:相関=因果の1(観察;観察データ=ファクト)

5:因果の2(介入;介入データ=エビデンス

6:因果の3(反事実)

 

相関と因果の違いを認めるか、否かは、因果推論の科学を受け入れるか、拒否するかの境になります。これは、相関のデータであるファクトと、因果のデータであるエビデンスの区別につながります。

 

とはいえ、相関と因果推論の第1段は、重なっています。これが、混乱を生みやすい原因です。

 

アメリカは、1990年頃から統計学の教育に力を入れてきました。

 

アメリカのパラダイムシフトは、「4相関=因果の1(観察)」から、「5:因果の2(介入)」の間にあります。

 

ここ10年で、ベイズ統計の本が、指数的に増えています。

 

「4相関=因果の1(観察)」は、数学で、数式とプログラム言語を使います。

 

アメリカの教育は、基本的な数式とプログラム言語ができるところからスタートとしています。

 

大学では、数式とプログラム言語ができない生徒を対象にする必要はありません。

 

とはいえ、メンタルモデルの相関から、因果の階段を登ることは容易ではありません。

 

2)パラダイムギャップ

 

「因果推論の科学」(p.128)で、「パールは、1921年に近代的な因果推論の新しいパラダイムを定義したライトの言葉の的確さを尊敬するが、それ以上に彼の勇気と意思の強さも尊敬している」と言い、次のように書いています。

少し想像してみてほしい。たとえばあなたが幼稚園児で、友達に「3+4=7だ」と言うと皆が笑い、「3+4=8じゃないか」と言われたとしよう。仕方がないので、あなたは、先生に助けを求めるが、先生まで、「3+4=8だ」と言い出す。そうなると、さすがに不安になるだろう。家に帰ってからあなたは「自分の考え方がどこかおかしいだろうか」と自分に問いかけるはずだ。こういう状況では、どれだけ強い人でも、自身がぐらつくに違いない。私もライト同様、こういう幼稚園と同じような場所に身をおいていたからよくわかる。

 

通常であれば、あえて、このような話を本に書くことはありません。

 

パールが、あえて、パラダイムシフトの話を書いたのは、それだけ、相関から因果へのパラダイムシフトが困難であることを示しています。

 

パールは、既に、80歳を過ぎています。パールは、生きている間に、因果推論の科学の普及を目にすることはないと思われます。

 

「因果推論の科学」の謝辞(p.564)には、「本書がいつかかならず完成するという約束を長い間信じてくれた娘たち」という表現があります。

 

これは、「因果推論の科学」は、非常にながい紆余曲折を経て、完成したことを示しています。

 

筆者は、パールは、生きている間に、因果推論の科学の普及を目にすることはないので、後世に残す遺書のつもりで、「因果推論の科学」を書いたのではないかと思います。

 

フィリップス曲線は、因果推論の科学で考えれば、「3+4=8」に相当します。

 

しかし、友達も、先生も、フィリップス曲線は、正しい(3+4=8だ)といいます。

 

フィリップス曲線は、間違っている(3+4=7だ)という人は誰もいません。

 

「因果推論の科学」は、すぐれた啓蒙書であると評価されています。

 

「因果推論の科学」は、ベストセラーではありませんが、専門家と学生の多くが読んでいます。

しかし、「因果推論の科学」の読者で、フィリップス曲線(3+4=8)は、間違っていると自信をもって言える人は少ないと思います。

このハードルを越えていない場合には、メンタルモデルのパラダイムシフトは起きていないと言えます。

 

例えば、「1:段落(共感)」のメンタルモデルで、「因果推論の科学」が、理解できたと感じるのは、錯覚にすぎません。

 

理解とは、メンタルモデルの共有ができることです。

 

読者は、自分の推論が、メンタルモデルのパラダイムの階段のどのレベルにあるかを点検すれば、問題の所在は理解できると思います。

 

3)メンタルモデル・ギャップ

 

パールの「3+4=8」の話は、メンタルモデル・ギャップを示しています。

 

「因果推論の科学」(因果の理論)が出てきた時に、従来の研究者は、それまでの相関のメンタルモデルで、因果の理論を理解しようとします。しかし、メンタルモデルの共有ができていない(メンタルモデルのパラダイムの階層が異なる)場合には、コミュニケーションが成り立たないので、理解ができません。例えば、エビデンスは、因果推論の単語であり、do演算子と結びついています。(注1)

 

ところが、相関のメンタルモデルでは、ファクトとエビデンスが区別できません。その結果、ファクトとエビデンスを混乱したEBPM(証拠に基づく政策決定)の資料が氾濫します。こうした資料を読めば、混乱が拡大します。

 

パールが、<先生まで、「3+4=8だ」と言い出す>と、例をあげた状況になります。

 

以下に、前⽥裕之氏の講演要旨「経済学はどこに向かうのか」の一部を引用します。

 

RCTは⻩⾦律なのか

 

・多くの途上国がデュフロ⽒らの研究成果を取り⼊れてきたのは、国連がMDGsSDGs

を推進する中で、毎年の「⽬に⾒える」成果を求められる各国がRCTの⼿法を積極的に

活⽤する素地があるため。RCTは有⼒な研究⼿法ではあるが、決して万能ではない。現

実に、⽇本の政策決定の過程では、RCTを取り⼊れる動きはあまり広がっていない。

 

前⽥裕之氏は、RCTの使用が、EBPMであると考えています。

 

RCTは、相関の理論の最終地点で、因果の理論のスタート地点です。

 

「因果の理論の科学」は、コストがかかりすぎて、「実用性の乏しいRCTの限界を乗り越える手法」という問題から、スタートしています。因果推論のメンタルモデルでは、このことは理解できています。

 

「⽇本の政策決定の過程では、RCTを取り入れる動きはあまり広がっていない」というのは、RCTに代わる新しい因果推論の科学が取り入れらえていないという事実を示しています。

 

「RCTは⻩⾦律」ではありません。この問題は、「因果推論の科学」の第4章「交絡を取り除くーランダム化比較試験と新しいパラダイムー」で、詳細に論じられています。

 

問題は、RCTではなく、「新しいパラダイム」にあります。

 

経済学は⽇本版EBPMに役⽴つか

 

・⽇本でも、EBPM(証拠に基づく政策決定)が重要だとの認識は広がっている。

 

・⽇本では統計改⾰を契機にEBPMを推進する動きが広がった。EBPM推進委員会による「とりまとめ」(2021年6⽉)には、2024年度ごろに⽬指すEBPMの姿として、予算プロセスで新規事業を中⼼にロジックとエビデンスを検討する取り組みが定着している。

 

EBPM推進委員会の資料は、相関のメンタルモデルで書かれています。つまり、全く、使い物になりません。

 

経済学の「社会実装」に注⼒する若⼿研究者たち

 

・「使える!経済学―データ駆動社会で始まった⼤変⾰」(⽇本経済研究センター編、2022)の事例は、⺠間ビジネスへの応⽤がほとんどであり、政策決定に関与するよ

うな事例は同書には、ほとんど出てこない。

 

前⽥裕之氏は、「政策決定に関与するような事例は同書には、ほとんど出てこない」ことが問題であるといいます。

 

これは、フィリップス曲線でいえば、EBPMによって、フィリップス曲線の代替案が出て来ないと読み替えることができます。

 

しかし、フィリップス曲線は、因果推論の科学でいえば、間違いですから、代替案は、出て来ません。代替案を期待すること自体は、相関の理論が正しいというメンタルモデルに基づいています。

 

なお、政策決定は、公共経済学の理論では、費用対便益分析による代替市場をつかって、効率化を図ることになっています。「政策決定に関与するような事例」とは、「費用対便益分析にEBPMを導入できるか」という問いになります。

 

これは、「新しいパラダイム」を使えば可能であり、その理論は、「因果推論の科学」に書かれています。

 

なお、「使える!経済学―データ駆動社会で始まった⼤変⾰」は、因果推論の科学ではありません。

 

データ駆動型科学と因果推論の科学の違いは、「因果推論の科学」の第10章「ビッグデータ、AI、ビッグクエスチョン」で論じられています。

 

経済学はどこへ向かうのか

 

・理論から実証へ、マクロからミクロへという潮流はさらに顕著になる公算が⼤きい。

 

・ 経済学の花形である経済理論を⽀える実証分析という基本は守られてはいるが、RCTに代表される新⼿法を駆使した研究は必ずしも経済理論の助けを必要としない。⼤学の経済学部はやがて「データサイエンス学部」の⼀部⾨になるのでは、と語る研究者も。

 

・ 「よいデータが集まったから、これで論⽂を書ける」といった声もよく⽿にする。→「ヤッコー研究」(とにかくRCTをやったらこうなったという研究)の乱造→「理論なき計測」との批判も。

 

・ こうした現状を憂慮するベテラン研究者らからは「実態認識」(研究対象となる社会の経済的・社会的構造、重⼤な出来事や社会が直⾯する重要な問題に関する知識)や「ドメイン知識」(個別具体的な制度や政策に対する深い理解)が重要だとの声も出ている。

 

・ 経済理論による演繹的な研究が⼤勢を占めていた時代に⽐べると、なお溝はあるにせよ、EBPMの中で官と学が歩み寄り、協⼒できる場⾯はもっとあるのではないか。

 

これが、最後のスライドですが、相関のメンタルモデルで書かれています。

 

<< 引用文献

経済学はどこに向かうのか 前⽥裕之

https://www.mof.go.jp/pri/research/seminar/fy2023/lm20231102.pdf

>>

 

因果推論の科学は、反事実を扱います。これは、「ある政策を行った場合とある政策を行わなかった場合の比較」になります。

 

おそらく、この手法以上に、「政策決定に関与する」手法はありません。

 

従来の経済学では、「ある政策を行った場合とある政策を行わなかった場合の比較」が出来ませんでした。

 

制約条件は、エスティマンドができる場合に限定されます。

 

反事実の比較の結果は、政策実施の確実性と政策効果の経済指標の2つになります。

 

全ての政策について、費用対便益分析が行われ、「ある政策を行った場合とある政策を行わなかった場合の比較」の結果のデータがあれば、政策の優先順位を機械的につけることが可能になります。

 

この場合には、主計局の仕事は、AIで簡単に代替できます。

 

EBPM推進委員会は利害関係者ですから、もちろん、そのような危ない部分は削除しています。

 

前⽥裕之氏の講演「経済学はどこに向かうのか」は、財務省で行った講演ですから、前⽥裕之氏が仮に、「EBPMを使えば、主計局の仕事は、AIで簡単に代替できる」ことが分かっていても、講演内容からは削除したと思われます。

 

「3+4=8」を訂正することは、容易ではないのです。

 

注1:

これは、パール流の説明です。ルービン流であれば、表現が異なりますが、反事実を扱えば、ほぼ同じになると考えます。

 

4)EBPMの動き

 

トランプ政権で、マスク氏は、政府効率化省(DOGE)のトップになる計画です。

 

マスク氏が、DOGEを通じて自身が担う企業に都合の良い政府組織の変更、行政執行、そして規制緩和が進められるのではないかという疑いの目を向けられることは必至であると主張する人もいます。

 

しかし、こうした発言は、EBPMを無視しています。

 

「ある政策を行った場合とある政策を行わなかった場合の比較」の結果には、主観の入る余地はありません。このデータをどのように使うかについては、主観が入ります。

 

因果推論の科学は、従来の科学は、客観である(これは相関のモットーです)を否定しています。しかし、因果推論の科学は、科学ですから、主観の部分と客観の部分を厳密に分離しています。

 

マスク氏が、EBPMを使えば、「ある政策を行った場合とある政策を行わなかった場合の比較」の結果の数字が出てきます。この数字の算出プロセスには、主観の入る余地はありません。

 

政府効率化省(DOGE)にはモデルがあると言われています。

 

それは、アルゼンチンのミレイ政権です。

 

ミレイ政権は、公務員を削減しました。税制は、制度を単純化して、90%の制度をカットする計画です。

 

アルゼンチンは、20世紀に先進国から脱落した唯一の国です。

 

今まで、アルゼンチンの政策は、失敗例の典型で、モデルになるとは、思われていませんでした。

 

日本の1人あたりGDPの推移をみれば、日本は、アルゼンチン化しています。

 

政策比較におけるEBPMの利用が、2025年の大きな論点になっています。