7-1)科学とフィクション
筆者は、推論は、科学的な推論とフィクションの2種類に大別ができると考えます。
7-2)帰納法の課題
ところで、筆者のこのブログは、半年前に、パール氏の「因果推論の科学」を読むまでは、主に、帰納法を使って、書いていました。
帰納法には、次の特徴があります。
第1は、事例やデータをならべて、そこから法則を導き出す方法は、わかりやすく、心理的に納得できます。そもそも、「経験したデータ(観察研究)に基づかないで推論して下さい」と言われれば、途方にくれる人が多いと思います。帰納法は正しいと考える認知バイアスがあります。
第2に、テレビのドキュメンタリーや、マスコミ、書籍の推論の99%は帰納法で出来ています。これは、毎日、帰納法は正しい推論であるという洗脳を受けている(認知バイアスを強化している)ことになります。
第3に、帰納法の推論は、間違いではありません。ここでいう間違いとは、推論の結果が正しいという意味ではありません。推論のプロセスの一つとして採用できるという意味です。推論の結果の正しさは、推論とは、異なった検証のプロセスになります。
第4に、帰納法の推論は、非効率で限定的です。これは、帰納法による推論が、反事実をあつかうことができないためです。反事実を扱うことができなければ、多くの場合、その推論は、問題解決につながりません。なぜならば、問題の多くは、現状に問題があり、どうしたら、現状を変えられるかというものであるからです。
第5に、反事実に注目すれば、「経験したデータに基づかない推論」では、反事実、つまり、「もし、今の状態でなかったら」を、考える推論が、有効なプロセスになります。
第6に、推論(反事実を含む因果推論)の検証は、観察研究(ファクト)ではできません。推論の検証のためには、介入データ(エビデンス)が必要になります。
というわけで、半年前から、筆者は推論の方法を次第にシフトさせて、帰納法を減らしてきました。
これは、認知バイアスに訴えて、わかったという感覚がなくなる方法への方向転換になります。なので、わかりやすさは犠牲になります。
そもそも、帰納法を使わないで推論している論説を目にすることは、非常に少ないです。
これが、パール氏が、「因果革命」と呼ぶ理由です。
「因果推論」には、革命と同じレベルの破壊的な力があります。
7-3)エビデンスに基づく政策
上記の第5を、補足します。
「もし、今の状態でなかったら(反事実)」を、考える推論は、クリティカル・シンキングの一部になります。日本では、クリティカル・シンキングは、社会的に封印されていますので、問題解決ができなくなります。
例をあげます。
「大規模金融緩和政策に効果があったか」という問いは、日本経済が成長する上で避けて通れない議論です。多くの識者は、大規模金融緩和の結果、「大規模金融緩和」以前と比べて、経済指標(ファクト、観察研究のデータ)がどうなったかを論じています。これは、反事実を無視した帰納法の推論です。しかし、この推論は、大規模金融緩和の前後で、交絡因子は変化しないという現実には実現不可能な前提にたっています。つまり、検証効果はありません。検証効果のない推論を正しいと感じる理由は、認知バイアスがあるからです。
交絡因子とは、前後で値が変化して、結果に影響を与える要因を指します。日本の生産年齢人口、中国の競合企業(製造業の貿易赤字)、GAFAMなどのアメリカの企業(デジタル赤字)、パンデミックなど交絡因子の候補は多数あります。前後で値が変化しない要因はほとんどないので、無限に近い候補があります。
経済学の教科書では、経済政策の効果は、with-withoutの差で定義しています。これは、「大規模金融緩和政策の効果」は、「大規模金融緩和政策を実施した場合(with)」と「大規模金融緩和政策を実施しなかった場合(without)」を比較することで、求められます。
「大規模金融緩和政策を実施した場合」は、事実で、「大規模金融緩和政策を実施しなかった場合」は、反事実です。つまり、因果推論をする場合には、事実と反事実の比較が必要になります。反事実のデータ(エビデンス)を得るためには、前向き研究による介入に伴うデータが必要になります。観察研究のデータ(ファクト)は、事実に関するデータなので、反事実を扱うことができません。
以上が、エビデンスに基づく政策が必要である理由です。
つまり、エビデンスに基づかない政策では、政策効果は確認できていません。これは、税金が無駄に使われている可能性が高いことを意味します。簡単に言えば、減税や、プライマリーバランスを改善する大きな余地があります。
7-4)エビデンスの階層
一般的なエビデンスの階層は以下です。
表1 エビデンスの階層
階層 内容
EBL4 メタアナリシス
EBL3 RCT(ランダム化比較試験)
EBL2 観察研究
「エビデンスの階層」では、階層の上が、階層の下より信頼度が高いという説明になっています。しかし、この説明は、統計的な値に関する説明です。
「エビデンスの階層」のEBL1、EBL2、EBL3の研究結果を各々100件ずつ集めて評価すれば、この階層の順になります。しかし、3つの階層から、1件ずつの研究結果を抽出して、比較を繰り返せば、同点や逆転もあり得ます。
そこで、順番という概念を弱めて、「エビデンスの階層」のメタアナリシスを除いて、「科学的推論とデータの類型」として、整理しました。この表は、上下関係ではなく、カテゴリーの違いを意味します。
表2 科学的推論とデータの類型
EBL3 エビデンスに基づく科学(因果関係)
EBL2 ファクトに基づく疑似科学(相関関係)
EBL1 データに基づかないフィクション
科学は、科学のプロセスに従った推論(因果モデル)です。
つまり、この世の中には、科学のプロセスに従った推論と、科学のプロセスに従わない推論の2種類の推論があります。
その間に、相関関係(疑似科学)のグレーゾーンがあります。
統計学者は、「相関は、因果ではない」と言ってきました。しかし、相関と因果は、「因果推論の科学」によって、因果モデルの手法が確立するまでは、区別できませんでした。唯一の例外が、RCTでした。
相関と因果の区別がつかないことには、次の2つの意味があります。
第1は、原因と結果の矢印の向きが特定できないことです。
第2は、相関の場合は、交絡因子を排除していないので、隠れたパラメータ(原因)がある可能性を排除できないことです。
なお、室内実験では、交絡因子を完全に排除できるので、因果モデル(エビデンス)になります。室内実験では、交絡因子を完全に排除して、介入によってデータが得られますので、データはエビデンスになります。
フィッシャーは、農場(室外)実験が、介入を伴うにも関わらず、交絡因子を排除できないことに気づき、室外実験で、交絡因子を制御する手法としてRCTを考案しています。
したがって、エビデンスが問題になるのは、室外実験になります。
整理をしておきます。
表3 実験条件とエビデンスの関係
介入あり 介入なし
室内 エビデンス ーーー
室外+交絡因子補正なし ファクト ファクト
室外+交絡因子補正あり エビデンス ーーー
さて、「因果推論の科学」が確立するまで、室外実験で、交絡因子を補正する唯一の方法が、RCTでした。しかし、「因果推論の科学」の確立によって、RCTを使わずに、室外実験で、交絡因子を補正する方法が開発されています。
表3は、室内実験のできない分野で、RCTまたは、「因果推論の科学」をつかって、交絡因子の補正をしていない推論は、プロセスの視点で、疑似科学であって、科学ではないことを示しています。
今回は、話を簡単にするために、疑似科学も広義のフィクションであると考えます。
科学のプロセスに従わないエビデンスのない推論は、広義のフィクションになります。
7-5)大学で何を教えているか
「大規模金融緩和政策に効果があったか」という問いに対して、「大規模金融緩和政策を実施した場合(with、事実)」と「大規模金融緩和政策を実施しなかった場合(without、反事実)」を比較して、「大規模金融緩和政策の効果」を求めている経済学者はいません。
これは、今までの大学の経済学部では、エビデンスに基づく科学ではなく、ファクトに基づく疑似科学を教育して来たという事実を反映しています。
エビデンスに基づく科学は、端的にいえば、事実と反事実を比較します。ルーピン流にいえば、これは、欠測値の問題になります。
事実と反事実を比較する手法は、ある政策を実施した場合(事実)と政策を実施しなかった場合(反事実)の比較になります。この方法を使えば、全ての政策の効果を推定することが出来ます。ただし、因果推論の科学のプロセスに従って、因果モデルをつくる必要があります。そして、そのプロセスには、前向き研究による介入データの取得が含まれます。観察研究では、全ての場合には、対応できません。
前⽥裕之氏は、次のようにいいます。
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経済学の花形である経済理論を⽀える実証分析という基本は守られてはいるが、RCTに代表される新⼿法(因果推論の科学、筆者注)を駆使した研究は必ずしも経済理論の助けを必要としない。⼤学の経済学部はやがて「データサイエンス学部」の⼀部⾨になるのでは、と語る研究者もいる。
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<< 引用文献
経済学はどこに向かうのか 前⽥裕之
https://www.mof.go.jp/pri/research/seminar/fy2023/lm20231102.pdf
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これは、今までの大学の経済学部では、ファクトに基づく疑似科学(広義のフィクション)を教育してきたという事実に対応しています。
つまり、「大学では因果に推論に基づく科学を教育しているか」、あるいは、「大学は、広義のフィクションを教育しているのではないか」という疑問があります。
表3に示すように、介入のある室内実験の結果(エビデンス)を根拠としている学問には問題はありません。しかし、室内実験のできない学問では、ファクトに基づく疑似科学を教育している可能性が高いと言えます。
繰り返しますが、科学の正しさは、結果の正しさではなく、プロセスの正しさに基づいています。
室内実験のできない学問で、エビデンスに基づく科学的に正しいプロセスを採用していない場合には、大学の教育は、疑似科学の教育になっています。
以上の考察は、筆者の発見ではなく、パール氏が、「因果革命」が起こっていると示唆した内容の一部になります。
高等教育では、科学の手法を教えるべきであるという主張は、1959年のスノー氏の「2つの文化と科学革命」に遡ることができます。