「因果推論の科学」をめぐって(54)

注:これは、ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー「因果推論の科学―「なぜ?」の問いにどう答えるか」のコメントです。

 

(54)科学の方法を研究する

 

1)科学の方法

 

科学の仮説の正しさは、その内容ではなく、方法論の正しさによって、保証されています。

 

この研究は、2つの視点で行なわれます。

 

1-1)科学者の視点

 

科学者が用いる方法は、仮説と検証です。

 

1934年にポパーは「科学的発見の論理」を出版し、それまでの伝統的な観察主義的帰納主義的科学的手法を否定した。

 

「伝統的な観察主義的帰納主義的科学的手法」が使えないことは自明でしたが、RCTを使うことは、事実上不可能であったため、「伝統的な観察主義的帰納主義的科学的手法」が使い続けられていました。

 

1974年のRubinの論文によって、RCT以外の手法への道が切り開かれます。

 

Rubin, D. (1974). Estimating causal effects of treatments in randomized and nonrandomized studies. Journal of Educational Psychology 66: 688–701

 

統計処理がパソコンで簡単にできるようになって、Rubinの手法が普及したのは、今世紀にはいってからです。

 

パール先生は、常に最新の手法をレビューして、使わないことは怠慢であるという考えです。パール先生の基準であれば、1990年以降に、「伝統的な観察主義的帰納主義的科学的手法」を使い続けたことは、科学者としての怠慢になります。

 

筆者のような普通の知的レベルの人の理解力は、あまり高くないので、専門外の手法については、論文ではなく、教科書などの参考書がでるまでは、学習を中断します。経済学者のように、統計学が専門でない人の場合にも、学習に割ける時間に制限があるので、統計学の新しいアイデアや手法が出現した場合、いつ本格的に学習するのが効率的かを判断していると思います。

 

Rubinの手法については、2000年から2010年の間に、ほぼ、誰でも学習可能な環境が整備されています。

 

2024年時点では、「伝統的な観察主義的帰納主義的科学的手法」を使わない経済学者の数もかなり増えています。しかし、マスコミやWEBに登場する経済学者は、「伝統的な観察主義的帰納主義的科学的手法」を使う経済学者ばかりです。これには、統計のリテラシーのない読者が、「伝統的な観察主義的帰納主義的科学的手法」を使う経済学者が、本物の経済学者であると考えている点も影響しています。

 

1-2)社会の視点

 

「科学革命の構造」で、クーンは、パラダイムという視点を提供しました。

 

パラダイムは、科学の方法の分析、科学の理論の作り方からではなく、科学者は、どのようにしてコミュニケーションをしているかという社会の視点で検討した点が、画期的でした。

 

社会の視点で科学の方法を検討するのであれば、コミュニケーション以外の視点も考えられます。

 

例えば、科学者は、生活のための収入をどのようにして得ているのかといった視点です。

 

こうした視点に立てば、ジョブ型雇用で、世界中の大学のポストを渡りあるいている科学者と、年功型雇用で、組織に従属している日本の科学者は、異なったパラダイムに属する、あるいは、共有しているメンタルモデルが異なると言えます。

 

日本の大学の研究レベルは、非常に低いですが、そこには、社会構造からみた科学の方法の問題が存在することを指摘しておきます。

 

2)科学の方法の社会的条件

 

2-1)科学の方法が満たすべき社会的条件

 

「因果推論の科学」のp.274に、1963年にできた英国の公衆衛生総監の「喫煙と健康」特別諮問員会の話が出てきます。(筆者要約)

 

委員会は、公平を期すために、委員会のメンバーは喫煙者5人と非喫煙者5人で構成されました。うち2人は、たばこ業界の推薦する人物でした。それまでに、喫煙に賛成、反対のいずれかの発言を公の場で公開した人は1人も選ばれませんでした。委員会のメンバーは、医学、化学、生物学などのそれぞれの分野で名の知られた専門家ばかりでした。そのうちの1人は、ハーバード大学統計学者、ウイリアム・コクランでした。

 

「喫煙と健康」特別諮問委員会から、科学の方法が満たすべき社会的条件がわかります。

 

「喫煙に賛成、反対のいずれかの発言を公の場で公開した人」、つまり、利害関係者と疑われる人は委員会から排除する必要があります。

 

一方では、「たばこ業界の推薦する人物」の採用のように、差別を避けることが必要です。

 

また、ウイリアム・コクランのように、外国人の委員を排除すべきではありません。

 

最後に、これだけ、多様な人選を行なっても、公衆衛生総監と特別諮問委員会のメンバーは意見の集約が可能であるという信念を持っていることが重要です。

 

2-2)日本銀行

 

日本銀行は、委員会ではありませんが、日本銀行は、政府とは独立して、金融政策を決める権限があります。

 

森永卓郎氏は、アベノミクス時の日銀の金融政策の意思決定を次のように説明しています。(筆者要約)

 

マクロ経済学の教科書には「不況になったら、金融緩和と財政出動をしなさい」と書いてある。

 

1997年に消費税率を3%から5%に引き上げたのをきっかけに、日本経済は15年間にわたって物価が下がり続けるデフレに苦しんできた。

 

2013年4月からアベノミクス(教科書どおりの金融緩和と財政出動)が始まると、消費者物価指数は上がり始め、2013年12月には、ほぼ2%の目標物価上昇率に達した。このほぼ2%の物価上昇率は2014年3月まで継続した。金融緩和・財政出動という政策は教科書どおりの効果があった。

 

2014年4月に消費税率を5%から8%に引き上げた途端、事態は急変する。物価上昇率が、目標物価上昇率の2%から急速に転落して、1年足らずでデフレに舞い戻った。アベノミクスは、消費税増税によって破壊された。

 

金融緩和を継続するなかで消費税増税をするという経済学の常識に反する経済政策が採られた理由を、私は理解できないでいた。アクセルを踏みながらブレーキを踏む運転をしたら、クルマは正常な動きができなくなる。

 

 安倍政権は、日銀総裁黒田東彦氏に入れ替えただけでなく、副総裁や審議委員も金融緩和派に入れ替えた。

 

異次元金融緩和の理論担当の岩田規久男副総裁は、黒田東彦総裁に、消費税増税に反対を進言した。

 

黒田東彦総裁は、岩田副総裁の進言を、「消費税の引き上げは、景気動向に一切影響を与えない」と斬り捨てた。

 

法学部出身の黒田総裁は、留学したオックスフォード大学で経済の専門家になった。アクセルとブレーキを同時に踏んではいけないことはわかっていたはずだ。

 

にもかかわらず、黒田総裁は、経済理論よりも、ザイム真理教の教義(財政緊縮)を優先した。

 

消費税増税は経済に致命的な被害を与え、2014年度の実質経済成長率はマイナス0.4%に転落し、その後も低成長が続くことになった。

<< 引用文献

わけがわからなかった…森永卓郎が困惑。「アベノミクス」の成果を台無しにした「消費税増税」決定の裏側 2024/08/12 Goldonline 森永卓郎

https://gentosha-go.com/articles/-/62156

>>

 

ここでは、「科学の方法が満たすべき社会的条件」を考えています。

 

経済学が、科学の方法であれば、 「安倍政権は、日銀総裁、副総裁、審議委員を金融緩和派に入れ替え」る必要はありませんでした。

 

「喫煙と健康」特別諮問員会のように、科学的な議論ができれば、日銀の金融政策は、日銀の主要メンバーが金融緩和派であるか否かにかかわらず、同じ結論が得られるはずです。

このことから、「日銀の金融政策は、科学の方法によって決まっていない、日銀の主要メンバーの経済学者は、科学の方法で経済学を使っていない」ことがわかります。

 

3)主観と因果探索

 

「因果推論の科学」の因果推論のメンタルモデルについて、筆者の理解は以下になります。

 

統計学のメンタルモデル+因果推論のレンズ==>因果推論のメンタルモデル

 

筆者のイメージでは、因果推論のメンタルモデルは、ベイジアンネットワークに矢印がついたようなものです。

 

因果ダイアグラムは、この網目構造から、一部を切り出します。

 

この切り出しを自動的に行なう研究は、野心的な夢である「因果探索」(p.127)です。

 

パール先生は、「因果探索」は実現可能と考えているようにみえます。

 

因果探索は、探索空間が狭ければ、解けますが、探索空間が広くなると、難易度があがります。

 

人間の脳は、恐らく、1次選抜で、探索空間を狭めてから、因果ダイアグラムを作成します。

 

例えば、力学の因果モデルの探索空間は、原因と結果の間の距離が短く、タイムラグが小さい部分空間に限定されています。

 

この1次選抜には、計算量を減らすメリットがありますが、論理的な正統性はありません。

 

なので、パール先生は、「因果探索」を、主観の問題として、整理しているようにみえます。

 

さて、森永卓郎氏が指摘したように、現在の日本のブリーフの固定化法には、科学の方法が採用されていません。森永卓郎氏の「ザイム真理教」のメンタルモデルを使って書くと、次のステップが必要になります。



ザイム真理教のメンタルモデル+科学の方法のレンズ==>統計学のメンタルモデル



「観察主義的帰納主義的科学的手法」を使って書くと次のステップが必要になります。

 

観察主義的帰納主義のメンタルモデル++科学の方法のレンズ==>統計学のメンタルモデル

 

「因果推論の科学」で、パール先生は、因果ダイアグラムの正しさは主観に基づくといいます。これが、客観的な「因果探索」を放棄していることの裏返しです。

 

一方では、因果ダイアグラムについての意見が割れてしまうと、因果推論のモデルは、ブリーフの固定化に使えなくなります。つまり、パール先生は、因果ダイアグラムは、主観であるが、メンタルモデルを共有して、十分なコミュニケ―ションがとれれば、因果ダイアグラムについて、大筋では意見が一致すると予想しています。このメンタルモデルのプロセスは、科学の方法には、含まれないので、「因果推論の科学」では、部分的にしか言及されていません。

 

筆者は、日本では、「統計学のメンタルモデル」の共有が出来てないと考えます。

 

そうなると、「因果推論の科学」は、難解な書籍になります。

 

4)三権分立の課題

 

森永卓郎氏は次のようにも言っています。

(財政緊縮には)カルト教団との共通性があります。カルト教団では信者には献金を繰り返させて厳しい暮らしをさせ る一方、教団の教祖や幹部が豪華な暮らしをしているということがあります。これを「ザイム真理教」に当てはめると、日本ではまず公務員が民間企業より年収が高い。国家 公務員の平均年収は民間企業の正社員と比べて約三〇%高 くなっています。民間企業の給与調査をするとき大手企業 だけを調査して、その水準に合わせているからです。

 教祖に近づくとさらに良い暮らしができます。財務官僚 の一番おいしい天下り先は日本銀行総裁だと言われてるのですが、その年収は三五〇〇万円です。これは国務大臣よりも高い。しかも個室と秘書と海外旅行と交際費と専用車という豪華五点セットが漏れなくついてくる。財務省のキャリア官僚は、この豪華な日銀総裁までいかなかったとしても、非常に豪華な天下り先が退職時に準備されています。しかも、「渡り」と言いますが次々に天下り先を転々として、そのたびに何千万円という退職金をもらう。 

<< 引用文献

森永卓郎氏インタビュー】ザイム真理教という 「カルト」による国家破壊 (一部公開)2023/12/10 クライテリオン 啓文社(編集用) 

https://the-criterion.jp/mail-magazine/231220/

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森永卓郎氏は、「黒田総裁は、経済理論よりも、ザイム真理教教団の教義(財政緊縮)を優先した」といいました。

 

しかし、上記の森永卓郎氏のカルト教団の説明を見ると、「黒田総裁は、経済理論よりも、個人の収入をを優先した」、「黒田総裁は、日本経済よりも、個人の収入をを優先した」という解釈も可能です。

 

しかし、科学の方法の視点では、問題は、「黒田総裁が、何を優先したか」ではありません。

 

金融政策を決定するキーパーソンについて、「日本経済の成長よりも、個人の利害関係を優先した可能性を否定できない」透明性のない制度に問題があります。

 

パーティ券問題も同様で、国会議員が、政治資金規正法に違反したか、否かが問題ではありません。

 

国会議員が、利害関係を優先して、政策決定が歪んでいる疑惑を否定できない制度に問題があります。

 

政治にお金がかかること、政治家が違法行為をしたか否かは問題ではありません。

 

科学は、仮説と検証です。科学の正しさは、検証のプロセスにバイアスが入らないことで保証されます。

 

医薬品のRCTでは、2重盲検が使われます。

 

2重盲検はプロセスの透明性の条件です。憲法三権分立は、利害関係によるバイアスを排除する仕組みですが、パーティ券問題を見るかぎり、機能していません。

 

医薬品の許認可が利害関係できまり、寄付の大きな製薬会社の薬が優先して許可されれば、効果がなかったり、副作用が大きな薬が使用されて、患者の病気は悪化します。

 

現在の日本では、科学の方法のメンタルモデルは、共有されていませんが、その他のメンタルモデルが共有できているのでしょうか。

 

森永卓郎氏は、ザイム真理教というメンタルモデルを共有できているといいますが、ザイム真理教というメンタルモデルは、因果関係を含まないので、因果推論ができません。パール先生のいうメンタルモデルとは、因果推論の基本になりますので、ザイム真理教をメンタルモデルの共有と呼ぶことは出来ません。

 

アメリカの場合、最高裁の判事が、中絶に賛成するか、反対するかが問題になっています。

 

これは、逆にみれば、中絶といった一部の問題を除いて、メンタルモデルの共有が出来ていることを示しています。アメリカの裁判は、陪審員制度なので、常に、メンタルモデルの共有に対する圧力が生じています。

 

これは、判決は、主に因果推論で説明されることを意味します。

 

アメリカでは、選挙の1票の格差は、2倍を越えれば違法です。これは、選挙の票の割り振りについてのメンタルモデルが共有できていることを意味します。

 

日本では、2倍を超えても合法です。なぜ、2倍を超えても合法と言えるかという、因果推論の説明はなされていません。ここには透明性がないので、利害関係によって、裁判の結果がゆがめられている可能性を否定できません。つまり、日本の裁判では、メンタルモデルの共有が出来ていません。

 

中国では、既に、自動運転タクシーが、数百台走っています。

自動運転タクシーの実現の最大の課題は、自動運転タクシーには、どのようなメリット、デメリットがあるかというメンタルモデルの共有です。自動運転タクシーは、人間なら回避可能な場面でも事故を起こします。しかし、一方では、夕闇のような人間が安全運転が困難な場面でも、高い安全性を確保できます。こうしたメリットとデメリットのメンタルモデルが共有できれば、路上での試験走行は可能になります。しかし、そのためには、科学の方法による因果推論を採用する必要があります。

 

森永卓郎氏のザイム真理教のように、自動運転タクシーの路上での試験走行の許可は、利権で決まっているはずだというメンタルモデルが共有されれば、路上での試験走行に賛成する人はいなくなります。

 

アメリカでも、中国でも、科学的なメンタルモデルの共有が、日本より進んでいます。

 

パール先生が、主張する因果関係を理解できる強いAIが実用化した場合、科学的なメンタルモデルの共有が出来ている社会は、強いAIを、スムーズに受け入れることが可能です。

 

しかし、日本のように、科学的なメンタルモデルの共有が出来ていない社会では、強いAIを受け入れることは不可能です。

 

2024年時点では、日本では科学的なメンタルモデルの共有ができていないために、「因果推論の科学」は難解であるという評価を受けています。

 

しかし、仮に、10から20年後に、強いAIが実現した場合を考えると、日本は、強いAIから取り残されることになります。

 

その結果、日本経済や、日本企業の株価がどうなるかは、容易に想像できます。