経済学のメンタルモデル(2)

1)セントラルドグマ

 

話を経済学に戻します。

 

経済学のメンタルモデルの基本は、需要、供給、市場均衡のセントラルドグマです。

 

これは、アダムスミスが提案したことになっています。

 

セントラルドグマは、実証的経済学と規範的経済学のどちらに属するでしょうか。

 

経済学の大きなテーマは、資源配分の最適化です。

 

これは、同じ資源をつかって、最大の便益を得る方法の探索になります。

 

規範的経済学は、価値を扱います。

 

「最大の便益を得る方法」が、価値に相当するのかは不明です。

 

例えば、自動車であれば、燃費は良いに越したことはありません。

 

資源配分の最適化は、これと同じ視点を持ちます。

 

「燃費が良い」は、価値であり、必ずしも誰もが賛同するものではないのでしょうか。

 

「燃費が良い」が、価値であれば、市場均衡は、規範的経済学になります。

 

「燃費が良い」が、価値でなければ、市場均衡は、実証的経済学になります。

 

燃費の最大値は、微係数がゼロになる点にあります。

 

微係数がゼロは、最適化問題では、よく使われる基準です。

 

市場均衡は、資源の最適配分に相当します。

 

市場均衡は、ドグマの規範的経済学であって、実証的経済学ではない可能性が高いです。

 

とはいえ、市場均衡を前提としないと、経済モデルを作ることができません。

 

方程式は、不定になってしまいます。

 

2)市場均衡の実証

 

セントラルドグマは、ドグマであって、正確には成り立っていません。

 

一般均衡モデルでは、市場均衡を前提にした計算をします。

 

経済学では、市場均衡は、厳密には成立しません。実際の値は、均衡点の周辺で変動すると考えます。また、変動は、収斂はしませんが、均衡点に向かう力が働き、発散することはないと考えます。

 

しかし、筆者には、この説明は、怪しく感じられます。

 

「需要>供給」の場合には、この説明は、正しく感じられます。

 

一方、「需要<供給」の場合には、この説明は、怪しく感じられます。

 

「需要<<供給」の場合には、この説明は、破綻しているように感じられます。

 

世界市場で、「需要<供給」問題が発生したのは、1980年以降と思われます。

 

1990年以降、人口減少問題が発生して、「需要<供給」が、頻繁に起きています。

 

2010年以降、中国は、供給過剰を輸出するようになって、「需要<供給」が、常態になっています。

 

筆者には、経済学は、「需要<供給」問題に対する処方箋を持っていないように見えます。

 

インフレは、「需要>供給」の状態に対応します。

 

フィリップス曲線の是非は別にして、政府と中央銀行が、インフレ(「需要>供給」)を望む原因は、「需要<供給」問題に対する処方箋がないためと理解することもできます。

 

「需要>供給」であれば、働いて生産すれば、モノが売れるので、雇用が継続します。

 

一方、「需要<供給」の場合には、セントラルドグマでは、モノの価格が下がって、均衡になるはずですが、実際には、モノが売れないので、失業が発生します。この場合に、「需要<供給」問題に対する処方箋があれば、対策を実施すればよいことになります。

 

「需要<供給」問題に対する処方箋がなければ、「需要>供給」を維持するという予防策にこだわることになります。

 

予防策があれば、「需要<供給」問題に対する処方箋が不要とは思えません。

 

第1に、インフレ(「需要>供給」)は経済活動の結果であって、原因ではありませんので、インフレ目標は実現不可能です。

 

第2には、「需要<供給」問題を放置すれば、低生産性が拡大再生産されます。

 

筆者は、「需要<供給」問題は、新しい均衡点を探索する問題に置き換えられるべきであると考えます。

 

例をあげます。

 

日本の多くの私立大学は定員割れを起こしています。

 

これは、大学教育が供給過剰である「需要<<供給」を示しています。

 

この問題は、人口動態から発生が必須であったにもかかわらず、30年以上放置されてきました。

 

供給過剰の場合、大学教育を生産しても、売れませんので、教員はクビになります。

 

しかし、クビになった大学教員は、どこで、仕事を得ることができるでしょうか。

 

人手不足であると言われますが、不足している仕事は、賃金の低いもので、クビになった大学教員の生活レベルが激変してしまいます。能力のある大学教員であれば、スキルアップして、賃金の高いポストに就くことができるでしょうか。

 

残念ながら、IT人材の国外流出が止まらないように、日本国内には、スキルアップしても、賃金の高いポストはありません。

 

恐らく、唯一の方法は、スキルアップして、リモート雇用で、海外企業の仕事を受けることであると思われます。

 

日本の高度人材の賃金は、異常に安いので、GAFAMは、日本に出先を設けつつあります。

 

こうした窓口を使えば、より容易に、海外企業の仕事を受けることが可能になります。たとえば、有料のトレーニングコースを受講して、成績がよければ、GAFAMに仮採用される可能性があります。

 

こうしたトレーニングコースがふえれば、大学に行くよりもトレーニングコースを選択する方法もあります。

 

高校生が、日本の大学より、トレーニングコースを選択して、GAFAMに就職して、そのあとで、休職して、アメリカの大学に進学することもあり得ます。

 

恐らく、今後は、世界中のネットワークを使った多様なキャリアが形成されると思われます。

 

現状のままでは、日本の大学が、そのネットワークに組み込まれる可能性は低いです。日本の大学の卒業証書は、国際的には価値がなくなっています。

 

3)AIとDX

 

いうまでもなく、AIとDXは、「需要<<供給」を引き起こします。

 

テレビやマスコミが、SNSに勝てない理由は、SNSが、「需要<<供給」を引き起こしたからです。

 

テレビやマスコミは、情報供給のごく一部にすぎません。

 

「需要<<供給」になれば、今までのように、情報を作れば売れることはありません。

 

自動運転が実現すれば、ドライバーは、「需要<<供給」になります。

 

ロボット医師が、医療をすれば、ホームドクターのレベルでは、「需要<<供給」になります。

 

だからといって、供給を制限すれば、地方のドライバー不足や、医師不足の問題は解決しません。

 

ドライバーが過剰になれば、転職します。

 

同様に、医師も過剰になれば、転職が必要になります。

 

これは、ドライバーと医師だけでなく、全ての職種に当てはまります。

 

ロボット政治家が登場して、政治家が供給過剰になれば、政治家は転職する必要があります。

 

転職促進政策をとるか否かは、政策の自由意思の問題です。

 

現在の政府のように、転職促進政策を排除して、年功型雇用を継続して、既得利権を保全する政策を自由意思で選択した場合、この自由意思は、制約を受けます。

 

例えば、どの薬を飲むかという選択は、自由意思ですが、その選択は、完全に自由ではなく、薬の選択に伴う副作用も同時に選択をしていることになります。

 

同様に、年功型雇用を継続して、既得利権を保全すれば、副作用として、高度人材の海外流出が止まらなくなり、生産性が低下して、1人当たりGDPが下がり続けます。

 

4)問題の解決方向

 

実現不可能なインフレ目標よりも、「需要<<供給」問題の解決が、需要であると考えます。

 

「需要<<供給」の場合には、市場が、均衡点に復帰するというセントラルドグマが成り立ちません。

 

だからといって、「需要<<供給」問題に対して現状維持という選択をした場合には、破壊的な副作用が不可避になります。

 

筆者は、これが、現在日本で起こっている主要な経済問題であると考えます。

 

「需要<<供給」問題は、中国の供給過剰、日本の輸出競争力の低下、日本の人口減少によって、1990年ころから始まり、そのギャップが毎年拡大しています。

 

「需要<<供給」の交絡因子を無視した政策は、かならず失敗します。



実質賃金の低下は、内需について、「需要<供給」が、拡大していることに対応しています。

 

賃金が上がれば、内需が拡大するので、「需要<供給」の差は緩和します。

 

日本では、人口が減っていますので、「需要<供給」の差を縮めるには、人口減少以上の生産性と賃金の上昇がなければ、「需要<供給」の差は拡大します。

 

つまり、「需要<<供給」問題の解決には、労働生産性の高い部門への労働移動が必須になります。

 

雇用を維持する政策には、労働移動を阻害する副作用があります。

 

ドイツの自動車産業は、中国の自動車産業に、勝てなくなっています。

 

ドイツの労働組合が、雇用の維持を要求しても、その要求は、中国の企業には及びません。

 

自由貿易を進めれば、世界的に、同一労働に対する賃金は、収斂していきます。

 

1人当たりGDPをあげるためには、労働者が、労働生産性の高い部門に、移動する必要があります。

 

雇用を固定化すれば、雇用が流動的な国に比べて、賃金の上昇率が低くなります。

 

これは、相対的にみれば、国際的に貧しくなることを意味します。

 

労働生産性の高い部門が次々に生まれ、そこに労働者が移動していれば、1人当たりGDPは増えます。

 

これは社会システムの設計の問題であり、演繹法で検討できます。

 

労働生産性の高い部門が次々に生まれ、そこへの労働者の移動」はまだ発生していません。

 

つまり、この問題の解決方法は、帰納法では見つけられません。

 

アベノミクスの10年で、ドル換算(国際基準)の日本の一人当たりGDPは劇的に低下しました。

 

過去10年の経済データには、生産性の向上のデータはほとんど含まれていません。

 

帰納法では、「労働生産性の高い部門が次々に生まれ、そこへの労働者の移動」という処方箋は出てきません。

 

これは、「労働生産性の高い部門が次々に生まれ、そこへの労働者の移動」という処方箋が、反事実であるためです。

 

自由意思の問題が介在する場合(反事実の問題)には、帰納法は、無力です。演繹法で、設計図を作る方がはるかに有効なアプローチになります。