与党は賃金を下げれば選挙に勝てるのか

 

1)賃金は増えていない

 

岸田首相は、21日、通常国会の会期末にあたって記者会見を行い、「30年ぶりの高い水準の賃上げ」を実現したと強調しました。

 

「30年間続いてきたデフレ経済から脱却し、『賃上げが当たり前となる経済』に向けた道筋を着実にしたい。このチャンスを決して逃してはいけない。この上半期、こうした想いを大切にしてきた」とした上で、「具体的な政策を着実に進めてきた」と述べた。

 

そして「30年ぶりの高い水準の賃上げや、100兆円を超える国内投資など企業の高い投資意欲の発揮、33年来の高い株価水準など、日本経済に前向きな動きが着実に生まれている」と強調しました。



経団連が5月19日に公表した「2023年春季労使交渉・大手企業業種別回答状況〔了承・妥結含〕(加重平均)」で、大企業の賃上げ率は3.91%となり、30年ぶりの高水準になっています。

 

日本銀行は、4月28日の金融政策決定会合後に公表した「経済・物価情勢の展望(展望リポート)」で、23年度の物価上昇率見通しを1.8%にしました。この数字を使うと、23年の実質春闘賃上げ率は、3.9-1.8=2.1%となります。

 

一方、政府は、2022年に物価対策のために補助金を配って、インフレを1.2%抑えたといっています。この分を引くと、2.1-1.2=0.9%が、2023年の実質賃上げです。

 

例年の春闘の賃上げは、2%くらいありますので、今年の実質の賃上げは、例年の半分だったことになります。

 

春闘の対象となっているのは主として大企業の従業員なので、経済全体の賃上げ率は、春闘賃上げ率よりさらに低くなります。

 

「30年ぶりの高い水準の賃上げ」は、名目数字であって、実質賃金でみれば、「30年ぶりの低い水準の賃上げ」であった可能性が高いと言えます。

 

「33年来の高い株価水準」は、インフレと円安の影響です。ドル換算であれば、株価は上がっていません。

 

証券会社で働いている人は、顧客が、株価が上がると考えれば、株式を購入してくれるので、手数料収入が得られます。なので、少しでも株価があがると、日本経済は復調したと吹いて回る人もいます。しかし、6月20日になって、円安が減速したので、株価が下がっています。要は、円安の効果が大きかったわけです。

 

金融政策では、労働生産性があがりませんので、「日本経済に前向きな動き」が出て来ることはありません。選挙の支援団体に配慮して、構造政策を後回し、あるいは、回避した結果、アベノミクスは、日本経済を破壊してしまいました。

 

2023年も、同じことが繰り返されています。

 

デジタル社会へのレジームシフトが起きていますので、労働生産性をあげるためには、企業のスクラップ・アンド・ビルドが必要です。

 

支援団体のある業界に、補助金を流して、ゾンビ企業を延命すれば、経済は、どんどん弱くなります。

 

2)アベノミクスのリプレイ

 

アベノミクスのときに、物価が2%あがって、賃金が1%しか、上がらなかった時に、賃上げは、与党の成果であると主張して、選挙に勝っています。

 

アベノミクスは、円安でゾンビ企業を延命した一方で、ユニコーンはつぶしてきました。

一見すると、この2つに直接の関係はないように見えますが、日本では、労働市場がないことが、ユニコーンの課題です。ゾンビ企業をつぶせば、労働市場ができますので、その点で、つながっています。

 

円安誘導の結果、2012年にアメリカとほぼ同じであった日本の一人当たりGDPは、2022年には、アメリカの45.7%まで低下しています。(野口悠紀雄「日銀の責任」125p.)

 

経済界を中心とした新しい資本主義実現会議も、(新しい資本主義)の「具体的な政策を着実に進めてきた」結果、「30年ぶりの高い水準の賃上げ」を実現したと言っています。

 

これは、新しい資本主義実現会議は、エビデンスに基づいた科学的な議論をする能力はないことを示しています。

 

3)日本の劣化

 

6月20日のダイアモンドに、河崎環氏が、ロンドン在住の経済小説家・黒木亮氏にインタビューした記事がのっています。

 

 

日本の「劣化」は、英国在住の黒木にとって肌で感じるものだという。

 

国民年金なんて、日本の支給額は年間せいぜい70万円ですが、イギリスは年間180万円が支給されます。今回の帰国フライトでも、欧州からの便に乗っている客は95%欧米人。インバウンドが復活しているのは、日本の物価が異様に安いからで、例えば欧州でもギリシャポルトガルを見ても分かるように、世界的に物価が安いのは“貧しい国”である証しです」

 

 

2011年の1ポンドは、127.9340円で、2022年の1ポンドは161.8990円でした。この間に、円は、ポンドに対して22%安くなっています。

 

2012年にイギリスより1割高かった日本の一人当たりGDPは、2022年には、7割にまで低下しています。(野口悠紀雄「日銀の責任」125p.)

 

つまり、イギリスに比べて日本の一人当たりGDPは、40%減価しています。そのうち22%は、円安の効果です。残りの2割は、イノベーションによる労働生産性の向上をしなかったことが原因です。

 

国民年金を年間70万円から、年間180万円にあげるには、平均賃金をあげる必要がありました。日本は、円安と非正規雇用の拡大で、逆に進んでいます。

 

6月21日のFLASHは、日本経済新聞で連載されている記事「教育岩盤」に掲載された、第一生命経済研究所星野卓也主任エコノミストの分析を紹介しています。

 

それによると、世帯主が20から30代で、年間所得300から600万円の世帯のうち、2022年に子どもがいる比率は44%で、2012年に比べ21ポイント下がっています。一方、600から1000万円の世帯では、ほぼ横ばいになっています。

 

この結果は、世帯主が20から30代の所得の低下が、少子化の大きな原因である可能性を示しています。

 

実質0.9%の「30年ぶりの高い水準の賃上げ」では、全く問題になりません。過去10年で、1人当たりGDPは、対イギリスで40%、対アメリカで、54%減価しています。

 

仮に、このうち20%が円安による減価だとすれば、円安が止まれば、対イギリスで20%、対アメリカで、34%の減価を考えればよいことになります。

 

1人あたりGDPの伸びの少ないイギリスの20%を考えれな、イギリスとの差がつかないためには、年2%の1人当たりGDPの伸びが必要です。

 

失われた10年を次の10年で取り戻すのあれば、年4%の伸びが必要です。

 

GAFAMのようなシリコンバレーの企業をもつアメリカを基準にすれば、数字が大きくなります。

 

アメリカとの差がつかないためには、年3.5%の1人当たりGDPの伸びが必要です。

 

失われた10年を次の10年で取り戻すのあれば、年7%の伸びが必要です。

 

これから、「新しい資本主義」では、変化が遅すぎて問題外であることがわかります。

 

「新しい資本主義」は、デジタル社会へのレジームシフトを阻害しています。

 

4)最初の疑問

 

最初の疑問は、「賃金を下げれば与党は選挙に勝てるのか」ということにつきます。

 

日本の選挙で、不正はゼロでないかも知れませんが、極端な不正が行われているとは思われません。

 

つまり、有権者は、実際には賃金を下げる政策を支持していることになります。

 

恐らく、ここで考えられるバイアスは、労働市場の欠如だと思われます。

 

労働市場がなければ、賃金より、失業を恐れるバイアスが働きます。

 

とはいえ、英語のできる高度人材については、日本以外の国には、国際労働市場があります。その結果、日本人の高度人材は、急速に、流出しています。

 

6月20日日本経済新聞の第1面には、「私大定員割れ半数、赤字3割超」、「時代を映せぬ学部 整理急務」と書かれています。

 

しかし、市場経済を考えれば、ここには、問題はありません。定員割れして、赤字になれば、再編が進みます。それが市場経済の原理です。整理をするのは、市場であって、文部科学省ではありません。

 

問題は、今まで、市場ができていなかった部分に市場が出来る場合です。

 

黒木亮氏は次のようにも言っています。

 

 

今、日本は子どもを競争させないような教育をしているでしょう。順位を付けないなんて、おかしいですよ。競争に耐え得る人間にしないと、生き残れない。生きるって、競争ですよ。動物だって、懸命に自分を魅力的にして異性を引きつけて、自分の遺伝子を残そうとするでしょう。本来の動物のあり方を否定するような教育、おかしいんじゃないかな。子どもの能力をそぐような結果になっています。それは教育といえるんですかね。

 

 

日本の大学は、履修主義です。これは、教科書を棒読みする教員が生き残れることを意味します。

 

定員割れして、赤字になれば、再編が進みます。そのとき、履修主義は、ジョブ型雇用の企業からは受け入れらません。

 

履修主義の日本の大学の卒業証書は紙屑になります。

 

国際労働市場で勝負できない大学の教員は淘汰されます。

 

これが、ジョブ型雇用あるいは、労働市場というものです。

 

一見すると耐えられないように思われるかも知れませんが、デジタル社会に対応して、1人あたりGDPが、イギリスやアメリカ並みになるには、避けて通れません。

 

社内失業がなくなれば、リスキリング次第で、所得は、2倍以上になります。

 

労働市場がなければ、賃金は、どうにもなりません。

 

労働市場ができれば、世襲の政治家は淘汰されると思われます。






引用文献

 

「日本はますます劣化」「先進国の中では二等国」英国在住の作家が語る“失われた30年” 2023/06/20 ダイアモンド 河崎 環

 

所得300~600万円の子供がいる家庭は44%の衝撃 10年で21ポイント減、「子供を持つことが贅沢」の時代に 2023/06/21 FLASH

https://news.yahoo.co.jp/articles/c643ded3cb2b0d24d2153cac5743ea2b23c925af



23年春闘「未曾有の賃上げ」は錯覚、現実は「未曾有の実質賃金下落」2023/05/18 ダイヤモンド 野口悠紀雄

https://diamond.jp/articles/-/323029



【速報】「30年ぶりの高い水準の賃上げ」 岸田首相が記者会見 2023/06/21 FNNプライムオンライン

https://www.fnn.jp/articles/-/545719



新しい資本主義実行計画の改訂版について議論(新しい資本主義実現会議) 2023/06/12 日本商工会議所

https://www.jcci.or.jp/news/jcci-news/2023/0612181006.html