ソフトウェアと建築と道路
前回、現代美術の説明を、中途半端に行ったあとで、段々不安になってきたことを今回書きます。
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ソフトウェアと建築
このブログでは、建築の写真も掲載しています。一番古い建築で、江戸時代のものがあります。東照宮などで、500年くらいたっています。その次に古い建築が古民家で、200年くらいです。最近の建築で、最短のものは、30年くらいで、壊されています。つくば学園都市の開発に際しては、日本中の著名な建築家が参加しています。しかし、中には、既に取り壊された建築もあります。過去に、その建築家の建築があったという痕跡はまったくありません。こうして、建築の写真を撮り続けていると、それは、おかしいと思うようになりました。建築家が建築を建てる場合には、このような建築にしたら、住みやすいとか、景観がよいとか、環境によいとかといった設計思想をもって、建築します。30年、50年、100年と時間がたって、いずれは、ハードとしての建築は取り壊されます。しかし、その時に、設計思想のうまくいった部分と、思うようにうまくいかなかった部分があるはずです。あとに建てる建築は、そのノウハウを吸収して、設計すればよりよい建築ができるはずです。
話が、分かりにくいので、音楽の例をあげます。田園交響曲はよく知られたベートーベンの傑作です。自筆譜も残っていると思われますし、校正印刷された楽譜もありますし、自筆譜の写真もあります。これらは、ハードウェアですが、田園交響曲は、楽譜のコピーが残っていて演奏できれば、自筆譜がなくなっても価値がなくなるわけではありません。実際に、有名な曲で、自筆譜がないものはいくらもあります。それでは、自筆譜だけでなく、演奏可能な楽譜のコピーが全て失われて、演奏できなくなったら、田園交響曲の価値はなくなるでしょうか。曲が演奏できなくなることは悲しいですが、それでも、田園交響曲の価値はなくなりません。というのは、田園交響曲は研究しつくされているからです。田園交響曲は、音楽で自然描写ができることを示した点で、非常に多くの作曲家に影響を与えました。例えば、その影響は、ディズニーの映画音楽にまで及んでいます。つまり、田園交響曲がなければ、その後の作曲の世界は、今とは違ったものになっていたと思われます。このように、自筆譜から始まった田園交響曲は、楽譜のコピーや、繰り返される演奏で、ひろまり、更には、他の作曲家への影響という形でも生き続けています。
もちろん、建築でも、ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエ、ヴァルター・グロピウスといった巨匠の作品は、良し悪しは別として、ベートーベンと同じように、後輩の建築家に影響を与えています。こうした巨匠は別格で、つくば市という田舎町の建築に多くを求めることには、無理があるのかもしれません。そこで、次に、基本的な歩道の例をあげます。
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ソフトウェアと歩道
以下の内容は、歩道だけでなく、道路一般にも当てはまりますが、ここでは、典型的な歩道を例に取り上げます。
つくば市では、計画上の都市中心であるセンタービルの広場を中心に、南北に、写真1のような、ペデストリアンデッキが整備されました。しかし、ソフトウェアとしての歩道の在り方は、決められませんでした。その結果、場所毎に、開発の時期毎に異なったタイプの歩道が整備され、統一性は、整備水準の上でも、デザインの上でもありません。写真1のペデストリアンデッキは、ハードウェアの面では、大きな面積と大きな街路樹を使っていて、それなりに立派なものです。しかし、筆者は、デザイン面では、必ずしも、モデルにはならないと考えます。
写真2は、サンフランシスコの道路計画のガイドラインのイメージです。この写真は、「Better streets plan San Francisco」の一部です。この他にも、「Planning and Designing for Pedestrians San Francisco」や「Urban Street Design Guide San Francisco」などが出ています。ここでは、サンフランシスコの例を示しますが、同様の計画ガイドを出している都市はアメリカにも、ヨーロッパにも多くあります。写真2は、道路計画において、考慮すべき点を例示しています。写真2に見るように、道路は、場所ごとに機能を与えられ、すこしずつ異なったデザインが採用されています。
写真3は、梅園公園近くの歩道です。ここでは、歩道に、微妙な曲がりが与えられています。この道路の右には、道路沿いに土浦用水の水路があり、水路と歩道の間は緑地帯になっています。ここでは、歩道の右側は、緑地帯の幅を変化させることで、歩道に曲がりを付けています。歩道の左側は、民家で、境界線は直線なので、右側と同じような曲がりを付けることはできませんが、歩道のタイルの色を変えることで、それらしい雰囲気を演出しています。
写真3を見た後で、再度、写真1を見ると、歩道と桜の木が植えられている緑地帯の境界線が直線になっていることで、人工的な景観になっていることがわかります。また、写真1では、写真2のような、場所ごとの機能分化が行われていないことも、景観が単調になっている理由と思われます。
結局、つくば市、あるいは、研究学園地区の歩道計画や道路計画では、サンフランシスコのように、道路の機能、デザイン、景観に統一性を与えるガイドラインが作られなかったことが、現在の歩道景観に表れています。学園都市計画では、ハードウェアとしては、立派なペデストリアンデッキが作られたのですが、そのノウハウを、ソフトウェアとして、継承する仕組みがなかったことになります。
金閣寺と銀閣寺は、京都を代表する名刹です。金閣寺と銀閣寺は、もとは、2つとも国宝でした。1950年に金閣寺は放火によって、焼失し、1955年に再建されます。しかし、再建された金閣寺は建物が新しいということで、国宝にはなりませんでした。現在、国宝の指定を受けているのは、写真4の銀閣寺だけです。
建築の本質が、ソフトウェアにあるのであれば、再建した建築には、価値がないということにはならないと思います。いずれ、全ての建築は壊れてなくなります。特に、木造建築は、寿命が短いです。再建された金閣寺が国宝にならないという視点は、建築とはハードウェアであるという視点です。しかし、こうした視点に立つと、ハードウェアではない「機能、デザイン、景観に統一性を与えるガイドライン」を作ろうという発想にはならないと思われます。そのことが、日本の都市景観を貧しくしているであれば、残念なことと感じます。(注1)
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まとめ
建築をソフトウェアとしてみるということは、ドーキンス流にいえば、建築も、一種のミームであるというとらえ方になります。アフリカには、土でできた世界遺産に登録されている建築もあります。登録理由は、建築様式の変遷をたどるうえで、重要な位置を占めているからだそうです。ですから、建築は、ソフトウェアであるというのは、筆者だけの見解ではないと思っています。
注1:
つくば市にも、歩道や道路の計画のガイドラインはあります。しかし、その内容は、ゾーニングした地区類型ごとに、空間の大きさを指定するもので、質と量で、サンフランシスコなどのガイドランと同列に論ずることはできません。
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Better streets plan San Francisco
https://nacto.org/docs/usdg/better_streets_plan_san_francisco.pdf
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Planning and Designing for Pedestrians San Francisco
https://www.sandag.org/uploads/publicationid/publicationid_713_3269.pdf
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Urban Street Design Guide San Francisco