リベラルアーツが有害である証明(0ー4)

07)文系の終わり

 

文系の学問は、世界では、日本だけにしかありません。

 

学問の進化で考えれば、日本は、ガラパゴス諸島のような世界と隔絶した進化をしています。

 

外国人の移民の議論がありますが、日本の大学がガラパゴス化していなければ、日本の大学も、高度人材の国際労働市場に組み込まれているはずです。

 

2024年時点で、高度人材の国際労働市場に組み込まれている大学は、沖縄国際大学会津大学くらいしか思い浮かびません。

 

香港の大学も、シンガポールの大学も、大学ランキングで上位を占めている新興大学は、高度人材の国際労働市場に組み込まれています。

 

高度人材を獲得するためには、能力に見合った給与を提示する必要があります。

 

年功型雇用を続けている日本の大学は、大学のランキング競争に参加するつもりがないことがわかります。

 

高度人材として、世界の労働市場で仕事を探していくのであれば、日本の大学の卒業資格には価値はほとんどありません。

 

日本の大学は、世界の労働市場で活躍できる高度人材の育成を目指すよりも、法度制度の維持を優先しています。新卒一括採用を前提に、学士を卒業させるビジネスです。

 

ジョブ型雇用になれば、日本の大学ビジネスは崩壊します。

 

それは、大学の問題だけでなく、卒業生が、教育投資を回収できなくなることを意味します。

 

この問題は、議論されることが少ないですが、重要です。

 

野口悠紀雄氏は、「同一業種で、同規模の企業には、初任給にほとんど差がない状態が続いている。一律横並び主義は、戦時体制下で行なわれた、国が新卒者を企業に割り当てる制度(1938年)や初任給の一律化(40年)制度に源流があるといいます。

<< 引用文献

大卒初任給3.9%増は30年ぶりのアップ幅、給料の「横並び一律」主義は崩れたのか 2024/05/09 Diamond 野口悠紀雄

https://diamond.jp/articles/-/343382

>>

 

つまり、人権無視の中抜き経済が、法度制度のミームのもとで、温存されています。

 

中世史が専門の脇田晴子氏は、戦後の歴史学を振り返って、学問の目的は、欧米の歴史学に追いつくことにあったと言います。

 

この目標は、高度経済成長期と安定経済成長期の経済政策の目標が、欧米の先進国の経済に追いつくことにあった点に対応しています。

 

バブルの頃に、日本経済は、先進国の経済に追いつきました。

 

バブルの頃になれば、日本経済は、キャッチアップでは、持続可能にならないだろうと予測されました。

 

ゆとり教育論は、そうした問題提起でした。

 

2024年の日本経済は、GDPがドイツに抜かれ、世界経済の中で沈んでいます。

 

キャッチアップでは、持続可能ではないという予測は、正しかったように見えます。

 

日本の経済政策は、どこで間違えたのでしょうか。

 

現在のように、間違いの原因を訂正せずに、過去と同じパターンの経済政策をくり返せば、日本は、再び、途上国に、逆戻りします。

 

既に、日本は、途上国に、片足を踏み込んでいます。

 

問題の原因を放置しているのですから、科学の因果モデルを無視すれば、当然の結果です。

 

病気に例えれば、がんを切除せずに、民間療法を続けている状態です。

 

日本が先進国であるために、残された時間は長くないことがわかります。

 

日本の政策を迷路に例えれば、バブルの地点で、間違った迷路に迷い込んでいるように見えます。

 

迷路から抜け出すには、間違えた地点に戻る必要があります。

 

このように考えると現在は、バブルの頃に、本来すべきことを怠ったツケを払い続けていると言えます。

 

話を文系の学問の歴史学に戻します。

 

バブルの頃、経済と同じように、日本の歴史学は、欧米の歴史学に追いついたように見えます。

 

経済と同じように考えれば、バブル以降、日本の歴史学は、欧米のキャッチアップから抜け出して、世界の歴史学をリードするような成果をあげるべきでした。

 

しかし、日本の歴史学者の著書が世界的なベストセラーになったり、日本の歴史学者が、世界中の大学からヘッドハントされたという話は聞きません。

 

つまり、日本の歴史学も、日本経済と同じように、世界レベルに達することなく、沈んでいるように見えます。

 

脇田晴子氏は、バブル以降も活躍して、亡くなっていますが、この点については、発言していません。

 

ウクライナ戦争で、ロシアの専門家は、戦争の勃発を予測できませんでした。

 

科学の方法を使って、戦争の勃発を予測する仮説(モデル)を作成したと仮定します。

 

この仮説を検証するには、どのようなデータが必要でしょうか。

 

戦争の勃発を予測する仮説は、ある条件下では、平和状態が戦争状態に転換するというモデルです。

 

このモデルの検証には、平和状態が戦争状態に転換した場合の複数のデータが必要です。

 

ロシアの専門家は、平和状態が戦争状態に転換した場合の複数のデータをもっていませんので、いつ、ウクライナ戦争が起こるかを予測できませんでした。

 

平和状態が戦争状態に転換した場合の複数のデータがあれば、戦争の勃発のモデルを検証できます。

 

戦争状態が平和状態に転換した場合の複数のデータがあれば、戦争の勃発のモデルを検証できます。

 

これは数学のモデルの問題です。

 

ピーター・ターチン氏は、人口圧力が戦争を増加させるという仮説について、人口と内戦強度が同じ周期で振動する傾向があり、位相がずれていること(戦争のピークが人口のピークに続くこと)を発見しました。

 

現在、ターチン氏は、ウクライナ戦争の終結の予測モデルを公開しています。

 

<< 引用文献

ピーター・ターチン「ウクライナ戦争についての予測 その6:人的損耗モデルに経済力を追加する」(2023年12月10日)

https://econ101.jp/war-in-ukraine-vi-adding-economic-power-to-the-attrition-model/

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ターチン氏は、数学とコンピュータモデルを駆使した歴史動力学の創始者の一人です。

 

歴史動力学は、数学とコンピュータモデルを使わない日本の文系の手に余ります。

 

2010年にターチンは40種類の社会指標を組み合わせて2020年代に世界的な社会不安が起こると予測する研究を発表しました。

 

これは、トランプ政権を予測したと解釈される場合があります。

 

2020年、ターチン氏とジャック・ゴールドストーン氏は、指導者が不平等を削減し、研究で追跡されている社会指標を改善するための行動を起こすまで、米国の政治的および市民の不安は政権党に関係なく続くだろうと予測しました。

 

岸田政権の支持率は危機的水準までさがっています。

 

今後の日本の政治がどうなるのかについて、自民党を中心に動いてきた政治の経験に依存する専門家は、政権交代の可能性について、論じることができません。

 

それは、ウクライナ戦争を予測できなかったロシアの専門家と同じように、扱っているデータに政権交代のデータが少なすぎるからです。



例えば、コリン・ジョイス氏は、イギリスの保守党が、政権を失う科の背うが高いことに関連して、カナダの政権交代の例をあげています。

 

進歩保守党はカナダで政権を何度も担当してきた2大政党の一角でしたが、1993年のカナダ総選挙で、改選前の169議席のうち167議席を失うという惨敗を喫し、ミニ政党に転落してしまいました。

<< 引用文献

「一番マシ」な政党だったはずが...一党長期政権支配がついに終わる 2024/05/09 Newsweek  コリン・ジョイス

https://www.newsweekjapan.jp/joyce/2024/05/post-307.php

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仮説を検証するデータの範囲を広げれば、政権を担当した与党が、1回の選挙で、ミニ政党に転落する場合も見つかります。

 

こうした場合、有権者の支持は、第1には、経済政策になります。有効な経済政策が期待できなくなれば、得票率は落ちます。

 

もうひとつの要素は、立候補者が、政党の支持を受けて立候補することが、有利に働かないと判断した場合です。この場合には、立候補者の数を揃えることが困難になります。

 

ターチン氏と同様の研究は、日本の政治についても可能ですが、歴史動力学を駆使できる歴史学者は、日本にほとんどいません。

 

文系の学者は、スノーの「2つの文化と科学革命」を人文的文化と科学的文化の調和の必要性を論じた著書であると、都合のよい解釈をしています。スノーは、エンジニア教育のカリキュラムの拡充をしていますので、スノーの主張は、エンジニア教育なしでは、国の経済成長はないというもので、調和の必要性を論じてはいません。

 

リベラルアーツには、数学も、統計学も、論理学も含まれます。リベラルアーツは、人文科学ではありません。リベラルアーツのアーツは、芸術ではなく、テクニックを意味しています。つまり、数学や統計学を軽視した文系のカリキュラムは、リベラルアーツではありません。

 

文系の学者は、リベラルアーツを数学軽視の日本型リベラルアーツに読み替えています。

 

その結果、歴史動力学を駆使できる歴史学者は、日本にほとんどいなくなっています。

 

これは、文系と理系を分離した教育制度の結果であり、自然科学を無視した日本型のリベラルアーツが役に立つという主張が招いた結果です。

 

ここでは、歴史動学を例にとりましたが、欧米では、数学とコンピュータモデルが使えれば、AIをつかった歴史学の研究も行なわれているはずです。

 

つまり、文系の教育カリキュラムの結果、日本の人文科学と社会科学には、世界水準に比べて、大きな欠落が生じています。

 

日本の文系の学問は、ガラパゴス化して、国際競争力を失っているように見えます。

 

日本の文系の学問は、歴史動力学のような数学とコンピュータモデルを駆使する分野が欠如して、国際競争力からみれば、終っているように見えます。