推論エンジン仮説の有効性の例を示します。
2013年のアベノミクス以降、政府と財界は、日本企業の技術開発を停滞させ、工場の海外移転をすすめ、貿易黒字を縮小する政策を進めてきました。
現在のリフレ派も、この延長にあります。
ここで、議論したい内容は、アベノミクスの是非ではありません。
ここで、議論したい内容は、アベノミクスはどのような認知モデルが働いて実現したかという政治家と経営者の脳内プロセス(認知プロセス)の問題です。
つまり、アベノミクスの推論エンジンは何かになります。
推論エンジン(認知科学)の視点でみると、2013年からの日本経済における意思決定と、パールハーバー以降の太平洋戦争時の政府の意思決定には、認知パターンの類似性があります。
「アベノミクス以降の意思決定」と「太平洋戦争時の意思決定」における認知パターンの類似性は、日本の組織論や社会心理学、あるいは歴史学の文脈で繰り返し指摘されてきた「日本型組織の失敗の本質」というファクトに基づく考察です。
特に、1984年に出版された名著「失敗の本質」が指摘した組織的欠陥は、戦後から現代に至るまで日本のリーダー層の認知モデルとして温存されているという見方が一般的です。
認知パターンの類似性を、認知科学および組織心理学の観点から3つのポイントで整理します。
- 「サンクコスト」を超えた「コミットメントのエスカレーション」
経済学の「サンクコスト」は、心理学では「コミットメントのエスカレーション(Escalation of Commitment)」と呼ばれます。これは「一度下した決定が誤りだとわかっても、これまでの投資(労力、メンツ、資金)を正当化するために、さらに過剰にリソースを投入してしまう」現象です。
- 太平洋戦争: 開戦時の「短期決戦」という前提が崩れた後も、初期の成功(真珠湾など)体験が認知を歪め、「引く」という選択肢を「英霊に対する裏切り」として排除し続けました。
- アベノミクス期: 円安・株高という「初期の目に見える成果」に固執するあまり、実体経済の基盤である「技術開発」や「国内生産の空洞化」という副作用を軽視し、同じ政策を10年以上継続(エスカレーション)させました。
- 「指標の抽象化」と「現場感覚の喪失」
両時期に共通する認知モデルとして、「抽象的な成功指標(Keny)を絶対視し、具体的な現実(Fact)を無視する」という傾向があります。
- 太平洋戦争: 大本営発表に見られる「精神力」や「撃沈数(虚偽を含む)」という抽象的指標に依存し、物資の補給路(ロジスティクス)の寸断や技術的劣勢という具体的現実から目を背けました。
- アベノミクス期: 「株価」や「円安」というマクロ経済指標(抽象的数字)を成功の証拠とし、現場での「イノベーションの停滞」や「実質賃金の低下」「貿易赤字の定着」という具体的・構造的な危機を認知の枠組みから外しました。
- 「空気」による意思決定(集団思考/Groupthink)
社会心理学者のアーヴィング・ジャニスが提唱した「集団思考(Groupthink)」が、日本の統治機構では特に「空気」という形で強く働きます。
- 類似性のファクト: 山本七平が『「空気」の研究』で指摘した通り、日本では「論理的妥当性」よりも「その場の雰囲気を壊さないこと(同調圧力)」が優先されます。
- 認知構造: 「円安による工場移転は長期的には国益を損なう」という異論があっても、政府・財界の「主流の空気」に反する意見は排除、あるいは自己検閲によって消されます。これは、開戦直前に「日米の国力差」を冷静に分析した「総力戦研究所」の報告が無視された認知構造と酷似しています。
- 学習の欠如:シングルループ学習の罠
認知科学には「シングルループ学習(既存の枠組み内での改善)」と「ダブルループ学習(前提そのものを疑う学習)」があります。
- 共通点: 太平洋戦争もアベノミクスも、「一度決めた方針をどう精度良く実行するか」というシングルループには長けていますが、「そもそもこの方針(戦争継続/円安誘導)は正しいのか?」というダブルループ学習が機能しにくい認知モデルを持っています。
結論
類似性は、以下の日本型組織特有の認知バイアスが時を超えて再現されていることを示唆しています。
- 経路依存性(Path Dependency): 過去の成功や決定に縛られ、進路変更ができない。
- 文脈依存的判断: 普遍的な真理や長期的な科学的予測よりも、その時々の政治的・人間関係的な「空気」で決まる。
- 情報のフィルタリング: 都合の悪いデータ(技術力低下、補給不足)を認知から除外する。
つまり、「失敗の本質」を、推論エンジンの問題を指摘した本として、解読できていれば、アベノミクスの失敗は起きなかったと言えます。
前回提示した「ケーススタディとして読むか、ケースメソッドとして読むかの違い」を再度引用します。
- ケーススタディ(Case Study)としての読まれ方: 客観的な「事例研究」として消費することです。
- 論理構造: 帰納的。過去のデータとして「こう間違えた」という知識を蓄積します。
- 位置付け: 読者は「観察者(安全圏)」に留まります。自分の現在の前提を壊す必要がないため、シングルループ学習に収まり、「知識が増えた」という満足感で終わります。
- ケースメソッド(Case Method)としての読まれ方: 「もし自分がその場にいたらどう決断するか」という主体的なシミュレーションです。
アベノミクスの失敗が繰り返された原因は、「失敗の本質」が、もっぱら、ケーススタディ(Case Study)として読まれ、ケースメソッド(Case Method)として読まれなかったことに原因があります。
ケースメソッドの「もし自分がその場にいたらどう決断するか」という主体的なシミュレーションは、反事実をあつかいます。反事実を封印すれば、ケーススタディに落ち込み、不適切な推論エンジンが間違いを繰り返します。
前石破首相は、トランプ大統領との会談のあとの記者会見で、アメリカのマスコミの「もし○○」という質問に対して、「日本の国会では、もしという議論はしないルールになっている」と答えました。つまり、日本の国会では、「反事実が封印され、不適切な推論エンジンが間違いを繰り返しています」と答えています。これは、「ダブルループ学習(前提そのものを疑う学習)」の欠如に対応しています。
「アベノミクスの失敗」は、たくさんあるこの間違いのひとつになります。