6)制御工学は、なぜ介入モデルをつかうか
この疑問のメンタルモデルを具体例で作ります。
自動車を止めるために、自動車にブレーキをつける場合を考えます。
ブレーキの設計に必要な情報は何でしょうか。
自動車の質量、速度、加速度、ブレーキパッドによるエネルギー損失などのデータが必要になります。空気抵抗やエンジンブレーキを考えれば、その関連のデータが必要になります。
しかし、自動車の色や内装のデータは不要です。
つまり、ブレーキの設計(制御、介入モデル)をするためには、自動車のデータのごく一部で十分です。
とはいえ、ブレーキパッドによるエネルギー損失などの介入データがなければ、ブレーキの設計はできません。
自動車がどのようにできてるかという大量の観察データと観察モデルは、役にたたないので、メンタルモデルからは、最初から除外されています。
制御工学、特に、古典制御理論では、制御可能な範囲の抽出が大きなテーマになります。
制御可能な範囲はモデル式が与えられれば、数学的に求めることができます。
これは、因果推論の科学では、エスティマンドが求められるという条件に対応すると思われます。
7)パールの間違い
「因果推論の科学」の第1章の終わりで、パールは、ベイジアンネットワークを開発したあとで、ベイジアンネットワークで、因果関係を説明できると、間違って考えていたといいます。
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当時、私は(ベイジアンネットワークの)確率の力にすっかり酔いしれていたため、因果関係は従属的な概念、つまり確率的な依存関係を表現し、関連する変数と無関係な変数を区別するための単なる便宜的、あるいは精神的な略語だと考えていました。1988年の著書Probabilistic Reasoning in Intelligent Systems(知能システムにおける確率的推論)の中で、私は「因果関係とは、ある構造の関連性について効率的に語ることができる言語である」と書きました。今日、この言葉は私を恥ずかしくさせます。なぜなら「関連性」は明らかに一段上の概念だからです。この本が出版された頃には、私は心の中で自分が間違っていたことを自覚していました。同僚のコンピュータ科学者にとって、私の本は不確実性下での推論のバイブルとなりましたが、私はすでに自分が背教者のように感じていました。
ベイジアンネットワークは、すべての疑問が確率、あるいは(本章の用語で言えば)変数間の関連度に還元できる世界に存在します。彼らは因果の梯子の二段目や三段目に昇ることはできませんでした。幸いにも、頂点に登るのに必要なのは二つのわずかな工夫だけでした。まず1991年、グラフ手術というアイデアによって、観察と介入の両方を扱えるようになりました。さらに1994年には、第三段階に到達し、反事実的事象を扱えるようになりました。
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パールは、この間違いを、因果推論の3段の梯子を使って、説明しています。
しかし、観察モデル(ベイジアンネットワーク)と介入モデルの違いに着目すれば、観察モデルと介入モデルの取り違いと見なすことも可能です。
8)制御不可能とパールの「グレンジャー因果」批判の理解
観察モデルを介入モデルの代りに使うと何が起こるでしょうか。
パールは、上記の部分の前で、次のように言っています。
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ベイジアンネットワークの継続的な成功は喜ばしいことですが、人工知能と人間の知能のギャップを埋めることはできませんでした。確かに、因果関係の幽霊は至る所に存在していました。矢印は常に原因から結果へと向けられており、実務家たちは矢印の方向が逆転すると診断システムが管理不能になることにしばしば気づいていました。しかし、私たちはほとんどの場合、これは文化的な習慣、あるいは古い思考パターンの産物であり、知的な行動の中心的な側面ではないと考えていました。
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「グレンジャー因果」では、(因果の)矢印の方向が逆転します。
これは、「実務家たちは矢印の方向が逆転すると診断システムが管理不能になる」問題を生じます。
つまり、パールの「グレンジャー因果」は、交絡因子の無視を指摘している面もありますが、より大きな問題は、「グレンジャー因果」を含むモデル(観察モデル)で、介入(制御)をしようとすると、制御不可能になる問題点を指摘していると考えられます。
この問題は、制御工学では、可制御性(controllability)や可観測性(observability)の条件が満たされない場合、制御系の設計が不可能になります。制御工学では、因果方向の不定性は、これらの条件を破壊するので、制御不可能になることがわかっています。